kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

竹村健一か谷沢永一か

 危うく気づかずに流してしまうところだった。

 

 前のエントリに続いてもう一度引用する。

 

sumita-m.hatenadiary.com

堺屋氏は1980年代に、渡部昇一谷沢永一深田祐介ともに、サンピンイチスケと呼ばれていた。堺屋氏が逝って、サンピンイチスケは全て黄泉の国の住人となった。というか、深田祐介が2014年に他界していたことを今頃になって知った*3

 

 ところが、はてなキーワードには

1980年に創刊された青春出版社の雑誌『Big Tomorrow』で、若者向けに上手な生き方指南をおこなってよく読まれた四人の評論家のこと。渡部昇一堺屋太一竹村健一深田祐介で、「一」をピンと読むところから名づけられた。と書かれている。

 さっき、あれっ、竹村健一ってもう死んだんだっけ、と思って調べてみたら生きていた。それで気づいた。

 こういうのは複数の流儀があることが多いからどちらが「正しい」かとかいうのは意味がないだろう。

 谷沢(たにざわ)永一については、谷沢を関東では「たにざわ」と読まない、元中日ドラゴンズ谷沢健一(千葉県出身)のように「やざわ」と読ませると、ほかならぬ sumita-mさんが書かれていた記憶がある。谷沢永一は大阪出身だった。確か1980年から『週刊朝日』巻末のコラムを、東京出身の百目鬼恭三郎(当時朝日新聞編集委員)と週替わりで執筆していたが(コラムは「おきゃがれ あほかいな」と題されていたと記憶する)、2人とも「ド右翼」だったことに呆れ返った思い出がある*1

 また、竹村健一がフジテレビの「報道2001」に最後に出演した時にこの日記に記事を書いた。これもよく覚えている。

 

kojitaken.hatenablog.com

今日のフジテレビ「報道2001」で、竹村健一がテレビのコメンテーターを引退した。77歳だが、近年は経済問題の討論についていけないなど、衰えが目立っていた。

竹村は、長年にわたって右翼的コメンテーターの代表格だったが、昨年、従軍慰安婦問題への安倍政権の対応を批判したり、最近では英「エコノミスト」誌の「Japa"i"n」と題した日本の経済政策批判特集に抗議した民主党の岩國議員を評価するなど、さしものオールド・ライトも世の中の急速な右傾化についていけなかったのか、まともな意見も口にするようになってきていた。

ご苦労さまといいたいところだが、番組で最後に竹村へのメッセージを送ったのが、ナント石原慎太郎だった。これにはドッチラケ。石原こそ「老害」の象徴だ。一刻も早く引退してほしい。

 

 上記は2008年3月30日の記事だが、その2週間前にも竹村健一に言及していた。

 

kojitaken.hatenablog.com

フジテレビの「報道2001」で、あの竹村健一が良いことを2つ言った。
まず第一。ゲストの菅直人に対して、竹村健一が、「民主党参議院で多数を取ったおかげで、これまで政府・自民党がいい加減なことをずいぶんやってきたことがわかった」と前置きしながら、民主党に妥協を求める注文をしていた。竹村の主張の後段はともかく、従来の自民党政治をデタラメぶりを批判したことに注目したい。

もう一つはさらに注目すべきだ。英「エコノミスト」誌の「Japain」という日本経済をバカにした記事が現在注目されていて、「構造カイカク」派はこの記事の尻馬に乗って新自由主義の方向に世論を誘導しようとしているのだが、竹村は、民主党岩國哲人議員が「エコノミスト」誌に抗議したことを紹介、これを絶賛したのだ。岩國議員の所属を「民主党」と言った時にちょっと口ごもったのは、本当は野党の政治家なんか褒めたくないんだけど、という竹村の心の揺れが感じられて苦笑させられたが。

それはともかく竹村は、これは「国旗が焼かれたに等しい」記事であり、こういう記事が書かれた時は断固として反論しなけばならないと言っていた。その通りだと思う。

竹中平蔵一派の代表格である大田弘子は、年明け早々、「残念ながら、もはや日本は、経済一流と呼ばれる状況ではない」などとほざいて、田原総一朗らマスコミ人は一斉にこれに飛びついて、「カイカク」離れをしようとしていた福田内閣民主党を袋叩きにしたが、大田や田原らと比べたら、竹村健一のほうがよほどまともだ。

 

 今のネトウヨ(「安倍信者」)がこれらの発言を耳にしたら竹村健一を「パヨク」認定するに違いないし、逆に2008年にはあの竹村健一ですら民主党に一定の期待をしていたことは今から見れば驚きだ。

 蛇足だが、谷沢永一竹村健一の名前を掛け合わせたら谷沢健一になるんだね!

*1:まだ『朝日ジャーナル』が存在した頃、朝日新聞社新左翼の読者に対しては『朝日ジャーナル』、右翼の読者に対しては『週刊朝日』でそれぞれ機嫌をとっていた。但し、『ジャーナル』の方はのちに筑紫哲也を編集長に起用するなどして「リベラル」向けの誌面に変わった。

堺屋太一死去

 堺屋太一が死んだ。つい最近テレビで見た記憶があるから急死だったんじゃないだろうか。中日新聞の訃報記事を以下に引用する。

 

http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2019021102000061.html

 

堺屋太一さん死去、83歳 作家「団塊の世代

 

 「団塊の世代」の名付け親であり、経済企画庁(現内閣府)長官を務めた作家で経済評論家の堺屋太一(さかいや・たいち、本名池口小太郎=いけぐち・こたろう)さんが八日、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。八十三歳。大阪市出身。通夜は十六日午後六時から、葬儀・告別式は十七日午後一時から東京都港区南青山二の三三の二〇、青山葬儀所で。喪主は洋画家の妻池口史子(いけぐち・ちかこ)さん。

 東大経済学部卒業後、一九六〇年、通商産業省(現経済産業省)に入省。七〇年開催の大阪万博の企画を担当し、沖縄開発庁(現内閣府)出向中には沖縄海洋博も手掛けた。七八年退官。

 在職中の七五年に石油危機をテーマにした「油断!」で作家デビュー。第一次ベビーブーム世代を「団塊の世代」と名付けた七六年の同名の小説では、この世代が社会に与える影響をいち早く予測した。

 九八年七月から二〇〇〇年十二月まで小渕内閣森内閣で、民間人閣僚として経済企画庁長官を務めた。第二次安倍内閣では内閣官房参与に就任した。

 八五年には脱工業化社会を予言した「知価革命」も出版。歴史小説も多く「峠の群像」や「秀吉」はNHK大河ドラマの原作になった。

 官僚主義の弊害を厳しく批判し、道州制など地方分権推進論者でもある。

 大阪市長などを務めた橋下徹氏が率いた「大阪維新の会」のブレーンとして、大阪府・市の二重行政を排する「大阪都構想」を支持。民間の外国人雇用協議会の会長も務め、外国人労働者の雇用拡大を提言していた。

 中日新聞 2019年2月11日 朝刊)

 

 この人には昔からあまり良い印象は持っていなかったが、上記記事の末尾近くにある通り、晩年に「大阪維新の会」のブレーンになったので、印象がさらに悪化した。

 今年の年初に読んだ小松左京の下記の本に加藤秀俊の解説がついているが、それに堺屋の名前が出てくる。

 

やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記 (新潮文庫)

やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記 (新潮文庫)

 

 

 以下、解説文から引用する。

 

「万国博を考える会」発足のきっかけになった「次は大阪で国際博か?」という新聞記事は、おそらく当時の通産省の池口小太郎、のちの堺屋太一が観測気球として書かせたものだろう。実際それに小松さんが飛びつき、梅棹、加藤、仁木と四人で準備が始まった。

小松左京『やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記』(新潮文庫,2018)373頁)

 

 小松さんの文章を読むと、あの視察旅行の前まで、サブテーマ委員会で役人相手に大立ち回りをした様子がうかがえる。サブテーマ委員会は、テーマを実際にどのように展示し結びつけるかを議論する場であり、枢要なポジションだ。小松さんは触れていないけれども、ここで一番議論になったのは、「テーマ館」をめぐる議論であった。われわれは当然ながらテーマ館が必要だと考えていたが、通産省サイドはそもそも想定していない。小松さんは、なぜテーマ館が必要なのか、大演説をぶった。ここで通産側の担当者である池口小太郎と微妙な関係が生まれる。もちろん表立って喧嘩はしないけれども、小松さんは相当神経をつかっていたと思う。

(同376-377頁)

 

  この文章を読みながら、「つまらない役人」としての堺屋太一像が浮かび上がってくるよな、と思ったのだった。
 
 以下は、『Living, Loving, Thinking, Again』からの引用。
 

sumita-m.hatenadiary.com 

(前略)かつて津村喬*2が堺屋を、プロレタリア文学でもブルジョワ文学でもない、官僚による官僚のための〈テクノクラート文学〉の創始者と評していた筈。〈テクノクラート文学〉の担い手としての(隠れた)代表作は田中角栄名義の『日本列島改造論』ということになるのだろうか。
ところで、堺屋氏は1980年代に、渡部昇一谷沢永一深田祐介ともに、サンピンイチスケと呼ばれていた。堺屋氏が逝って、サンピンイチスケは全て黄泉の国の住人となった。(後略)

 

 「サンピンイチスケ」は知らなかったのでネットで調べてみた。以下、「はてなキーワード」から引用。

 

1980年に創刊された青春出版社の雑誌『Big Tomorrow』で、若者向けに上手な生き方指南をおこなってよく読まれた四人の評論家のこと。渡部昇一堺屋太一竹村健一深田祐介で、「一」をピンと読むところから名づけられた。

出典:三ピン一スケとは - はてなキーワード

 

 渡部昇一竹村健一と同じ括りなら印象が悪かったはずだと納得。『Big Tomorrow』なんか立ち読みしたこともない。たぶん「三ピン一スケ」というのも「二キ三スケ」のもじりに違いない。「二キ三スケ」に言及した「はてなダイアリー」の記事を以下に記録しておく。

 

満州国を実質支配した「二キ三スケ」 - furueの日記(2006年6月18日)より

 

二キ三スケ

満州国を実質的に支配していた、5人の日本人実力者たちに対する蔑称

東條英機関東軍司令官)

星野直樹(国務院総務長官)

鮎川義介満州重工業開発株式会社社長)

岸信介総務庁次長)

松岡洋右満鉄総裁)

このうち、鮎川義介岸信介松岡洋右満州三角同盟ともいう。

 

 そう、「二キ三スケ」とは蔑称だったのだ。

 「団塊の世代」の名付け親で、経済評論家や作家として幅広く活躍した元経済企画庁(現内閣府)長官の堺屋太一(さかいや・たいち、本名・池口小太郎=いけぐち・こたろう)さんが8日、多臓器不全のため死去した。83歳だった。通夜は16日午後6時、葬儀は17日午後1時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は日本芸術院会員で洋画家の妻史子(ちかこ)さん
 「団塊の世代」の名付け親で、経済評論家や作家として幅広く活躍した元経済企画庁(現内閣府)長官の堺屋太一(さかいや・たいち、本名・池口小太郎=いけぐち・こたろう)さんが8日、多臓器不全のため死去した。83歳だった。通夜は16日午後6時、葬儀は17日午後1時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は日本芸術院会員で洋画家の妻史子(ちかこ)さん。

堺屋太一さん死去 「団塊の世代」名付け親 83歳

 
 
堺屋太一さん=東京都新宿区で2018年4月26日、藤井太郎撮影

 「団塊の世代」の名付け親で、経済評論家や作家として幅広く活躍した元経済企画庁(現内閣府)長官の堺屋太一(さかいや・たいち、本名・池口小太郎=いけぐち・こたろう)さんが8日、多臓器不全のため死去した。83歳だった。通夜は16日午後6時、葬儀は17日午後1時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は日本芸術院会員で洋画家の妻史子(ちかこ)さん。

堺屋太一さん死去 「団塊の世代」名付け親 83歳

 
 
堺屋太一さん=東京都新宿区で2018年4月26日、藤井太郎撮影

 「団塊の世代」の名付け親で、経済評論家や作家として幅広く活躍した元経済企画庁(現内閣府)長官の堺屋太一(さかいや・たいち、本名・池口小太郎=いけぐち・こたろう)さんが8日、多臓器不全のため死去した。83歳だった。通夜は16日午後6時、葬儀は17日午後1時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は日本芸術院会員で洋画家の妻史子(ちかこ)さん。

民主党政権の経済失政を認めることができない呆れた「リベラル」の一例

 緊縮財政やデフレを容認するどころかそれらに積極的な評価を与える、戦前でいえば立憲民政党に相当するような括弧付き「リベラル」がこの界隈で影響力を持っている間は、安倍政権あるいはそれを後継する自民党政権を反政権側の勢力が倒すことなど夢のまた夢だと私は確信しているが、その括弧付き「リベラル」の典型例を示すツイートを下記に晒す。

 

 

 どうやらこの御仁にはご自身が「経済強者」の側に立っていて、そんな人たちに反感を持つ多数の庶民層が「消去法」で自民党に投票してしまうことなど夢想だにしないかのようだ。

 上記「リベラル」のツイートに対する批判的なツイートをいくつか示す。まず一人目の方。上記ツイート主とのやり取りがあるので2件示す。

 

 

 

 さらに、この2人のやり取りに突っ込みが入った。

 

 

 最初のツイートに対して同様の反応を示した方もおられた。

 

 

 そうだね、私も給料は相当減った。それどころか事業の先が怪しくなったので転職に追い込まれた。それで80年代から前世紀末まで住んでいた首都圏(東京)に舞い戻ってきたわけだ。なお、給料の頭打ちは何も民主党政権に限らず、村山富市政権時代に発表された日経連(その後経団連に吸収合併)の「新時代の日本的経営」(1995年)の頃からの新自由主義全盛期を通じてのことだった。それもあって、私は新自由主義に対してきわめて強い反感を持っている。

 ところが、安倍政権になってからは給料が下がらなくなった。金融緩和の効果だったと思っている。安倍政権の経済政策が効いたのは最初だけで、以後は消費増税や「庶民に対しては緊縮(お友達と軍事と原発と外国にはバラマキだけど)」の財政政策が金融緩和の効果を打ち消したおかげで、安倍政権の経済政策を総合的に見れば全然ダメだはと思っているけど、それでも多くの人が民主党政権と比較して安倍政権の経済政策を選んでしまうのは止むを得ない、そう考えている。

 だから、いま野党陣営に求められるのは、民主党政権時代の失敗を認め、どこに誤りがあったか、どうすればそれを正して、かつ安倍政権よりも優れた経済政策を有権者にアピールできるかということだろう。もちろんそれは実現可能なものでなければならないことはいうまでもないが。

 このエントリで批判しているツイートは、その私の認識とは真っ向から反する意見の発信なので、ここにエントリを立ち上げて強く批判する次第だ。

 そのツイートに対するさらに他の方の反応の例を示す。最初、このブログにも時折コメントをいただく知り合いの方かと一瞬思ったが、別人であることはすぐにわかった。

 

 

 こちらは、ツイート主ではなく他の方とのやり取りを記録しておく。

 

 

 

 また別の方の反応。

 

 

 きりがないのでこれくらいで止めておくが、呟きの主の主張がリベラル界隈内でも全く支持されていないことは以上に挙げた例だけでも明らかだろう。

 なお、呟きの主はデフレを歓迎するツイートを過去に発信していた。

 

 

 開いた口がふさがらない妄論だが、おそらくこの呟きの主は熱心な立憲民主党支持者なのであろう。立民がこういう人たちの声に耳を傾けるようなことがあるなら、同党の未来は限りなく暗いと思われる。

「リベラル・左派」界隈の「小沢一郎タブー」と山本太郎

 下記「こたつぬこ」(木下ちがや)氏のツイートは、名指しこそしていないものの、明らかに玉木雄一郎以下の国民民主党、それに小沢一郎に対する批判だろう。つまり、小沢や玉木が橋下徹日本維新の会に秋波を送っていることを批判している。

 

 

 しかし、上記ツイートに対する反応を見ると、小沢一郎への言及を避けている人間ばかりだ。「リベラル・左派」界隈において小沢批判がタブーとなっている悪弊は全く改められていないと思わされる。

 「薔薇マークキャンペーン」にもっとも適合的な政治家と思われる山本太郎もその一人だ。この人が小沢一郎をタブーとしている間は、大きな飛躍を期待することはできない。それどころか、あの孫崎享でさえ小沢と距離を置き始めたことを思えば、早いところ小沢一郎という「殻」を食い破らない限り、山本太郎に未来はないだろう。

孫崎享が小沢一郎を「自民党別働隊」呼ばわり。焦る「小沢信者」w

 橋下徹にすり寄る小沢一郎自由党)と国民民主党(代表・玉木雄一郎)に理も勝ち目もないことは火を見るよりも明らかだと思うが、孫崎享もそう思ったのか、小沢を見限るかのようなツイートを発した。孫崎は従来、小沢を「自主独立派」の政治家として称賛していたはずだ。

 

 

 ここで孫崎は、小沢一郎玉木雄一郎を「自民党別働隊」だとみなしている。これは正しい(笑)。

 「味方」のはずの孫崎が裏切ったことに慌てふためいているのが「小沢信者」だ。以下、上記孫崎のツイートに対する彼らの反応。

 

 

 また下記のツイートでは、「小沢信者」が枝野幸男に責任転嫁している。

 

 

 これに他の「小沢信者」である「よしぼー」氏(狂信的なツイートの数々で「小沢信者」ヲチャにはおなじみの御仁w)がさらに反応し、「ゲッターライガー」氏とやりとりを始めた。「希望の党」の一件をめぐって2人の意見が合わないらしい。

 

 

 

 

 

 以上、絶滅危惧種の断末魔の叫びとして記録しておく。

 ところで、いまや見境もなく橋下徹にラブコールを送り続ける小沢一郎に対してなお態度をはっきりさせない共産党に対して、下記ツイートのような声があがるのは致し方ないだろう。なお、下記ツイートの主は「薔薇マークキャンペーン」に賛同しておられるようだ。

 

 

 

「『右』も『左』もないプーチン礼賛」の時代

 興味深いツイートにお目にかかった。

 

 

 上記を承けたツイートも。

 

 

 私自身、さっき公開した読書ブログの記事にプーチン批判を書いたばかりだった。

 

kj-books-and-music.hatenablog.com

 

(前略)現在は、日本経済が力を失った一方、世界的な独裁権力の一つと評するべきプーチン択捉島などに軍事施設を建設する暴挙に出ており、それを追認するかのような二島返還論は絶対に認めてはならないと思います。現在の日本はロシアと緊張関係があるわけでもなく、平和条約を結ぶ必要に迫られているわけでも何でもないので、千島列島全体を日露の緩衝地域にすることを最終目標にして粘り強く交渉を続けるしかないというのが私の意見です。

 なお、全千島を領有していた頃の日本も、民間人の移住を認めるのは択捉島までで、それより北のウルップ島からシュムシュ島までへの民間人の移住を禁止していたことを今回『エトロフ島発緊急電』を読んで知りました。それは良いのですが、一方でシュムシュ島などに住んでロシア化が進んでいた千島アイヌの住民を色丹島強制移住させたのは暴挙以外の何物でもなく(その悲劇から小説に登場する宣造が造形されたんですよね)、それは厳しく批判されるべきですし、同様にプーチンによる北方四島への軍事施設建設やロシア人移住奨励などの政策も(これはもともとソ連時代からやっていたものの遅々として進まなかったようですが)、戦前の軍国主義日本やスターリンソ連にも匹敵する恐るべき強権主義的な妄動として厳しく批判されなければなりません。そういえば日本の「リベラル・左派」にはプーチンに対して甘過ぎる悪弊もあるように思います。(後略)

 

 今や「『右』も『左』もないプーチン礼賛」の時代かよ、ケッ、とプーチン及び彼を礼賛する「右」や「左」の人たちに唾を吐きかけたくなる今日この頃なのだった。

現代日本の政治の戦前とのアナロジーと「薔薇マークキャンペーン」

 『広島瀬戸内新聞ニュース』(2019年2月6日)より。

 

hiroseto.exblog.jp

 以下引用する。

 

第二次世界大戦の前の政党内閣時代、濱口雄幸(立憲民政党)がバカ受けした時代があった。
濱口は、今で言えば政治的リベラルのスタンスだが、新自由主義を進め、庶民にとっては余り良くなかった。その反動で、軍部が台頭した。
当初は「天誅!」の皇道派が出てきた。皇道派は、現代で言えば「公務員に天誅!既成政党に天誅!」の大阪維新に似ている。
しかし、2・26事件で皇道派と政党は共倒れになり、統制派が覇権を握った。
民主党と維新で票が割れたスキを突いて安倍自民党が政権に返り咲いたのに似ている。
現代でも、リベラル派の中には脱原発と言うことで小泉純一郎さんに接近する傾向もある。ただ、それが、余計に安倍自民党を延命させる傾向もある。
安倍総理自体は、実際には、日欧EPAとか水道民営化、種子法廃止などバリバリの新自由主義グローバリストで、軍事と原発とお友達には手厚く庶民には厳しい。それでも、なんとなく、小泉さんよりはマシ、的なイメージを持つ人もいる。そういう人たちが野党ー小泉連携に警戒して消極的ながら安倍自民党=統制派に行ってしまう傾向が強い。

こうした状況を打破するにはやはり、きちんと、庶民寄りの経済政策を野党・市民連合が打ち出すことだ。
薔薇マークキャンペーンがその嚆矢(こうし)となることを期待する。

 

rosemark.jp

 

 「薔薇マークキャンペーン」(後述)への賛同も含めて、上記引用文に概ね賛成する。「概ね」と留保をつけたのは、「維新=皇道派」という喩えにどうしてもちょっと抵抗があるからで、私の感覚で「皇道派」といえば、10年前の「政権交代」の時に持ち上げられた平沼赳夫城内実、それに彼らを応援する旗を振って「『右』も『左』もない」などと言っていた連中、さらには孫崎享のような反米右翼を連想するからだ。経済思想からいっても彼らこそ「2.26事件」の青年将校に近い。

 しかし、安倍反動政権への政権復帰があった2012年の政治状況において「皇道派」の役割を果たした政治勢力となると、日本維新の党がそれに当てはまるのも確かだ。まあ歴史がそんなに正確に繰り返すはずもない。

 確かにあの当時から今に至る政局は戦前と類似している。このアナロジーにおいて、自民党が軍部(統制派)に当てはまることがまず注目される。当時の民主党は戦前の立憲政友会小沢一郎派・鳩山由紀夫派)と立憲民政党菅直人派や野田佳彦派など)とをともに包含し、党内で激しく権力抗争を展開していたが共倒れした。それが政党政治の崩壊にあたる。そういえば2010年に菅直人政権が成立した直後に坂野潤治が『週刊朝日』に寄稿したことがあって、そこで坂野は小沢・鳩山派を政友会の流れに、菅直人民政党の流れに当てはめて菅政権への期待を表明していたが、菅直人はその直後に消費増税を打ち出して失敗した(=坂野潤治の期待に背いた)。菅は「三党合意」の政治を行った野田佳彦ともども、戦前の立憲民政党が犯した誤りを繰り返したことになる。

 その後の総選挙で政友会の後継としての日本未来の党民政党の後継としての民主党が共倒れし、日本維新の会みんなの党といった新自由主義政党が躍進したものの圧勝して政権を奪回したのは自民党だった。これは衆院選小選挙区制を考えれば当然の結果で、小沢一郎を代表として菅直人鳩山由紀夫以下、日本未来の党も含む民主党系政治家たちが自ら蒔いた種だった。

 翌年の参院選でまずみんなの党が2010年の参院選での獲得議席数に及ばない頭打ちとなってその後崩壊。維新も橋下徹が党を退いたあとの2017年衆院選でははっきり衰勢となって現在の「安倍一強」に至る。

 その独裁者・安倍晋三が上記『広島瀬戸内新聞ニュース』の記事が書く通り

実際には、日欧EPAとか水道民営化、種子法廃止などバリバリの新自由主義グローバリストで、軍事と原発とお友達には手厚く庶民には厳しい

 ことは、反安倍政権の人たちの共通認識でなければならないと私も思う。

 数日前にも書いたが、安倍政権の財政政策が「緊縮」かどうかという議論がリベラル・左派界隈にあるが、そんなものは「お友達と軍事と原発(と外国)以外には緊縮」と断言してしまわなければならない。下記「こたつぬこ」(木下ちがや)氏のツイートのような曖昧な表現は、それこそ立憲民政党の後継たる旧民主党主流派の緊縮財政(財政再建)への志向に問題を感じない人につけ入られるだけだろう。

 

 

 こたつぬこ氏には、現在の立憲民主党支持者に対する忖度でもあるのだろうか。そう思ってしまった。

 「緊縮」や「財政再建」に問題を感じない人たちには、菅政権時代に政権のブレーンとされた神野直彦が2007年に書いた『財政のしくみがわかる本』から以下に引用文を示すので、せめてそれくらいの認識は持っていてほしいと思う。

 

財政のしくみがわかる本 (岩波ジュニア新書)

財政のしくみがわかる本 (岩波ジュニア新書)

 

 

(前略)財政の借金が大きくなると、財政がこの所得再分配の機能を果たせないどころか、逆再分配の機能をもってしまうということです。なぜなら、国債を持っているのはお金持ちの階層です。したがって、国民からとりたてた税金を、国債の借金返しに使えば、一般の国民から税金をとって豊かな人々にお金を配分してしまうという現象になるのです。

 現在日本でおこなわれようとしている、財政再建のために消費税を増税しようという政策は、その典型です。なぜなら、消費税は負担が逆進的で、貧しい人に負担が大きく、豊かな人に負担が小さいからです。税金で貧しい人々に負担を求め、国債をもっている豊かな人々にお金を配分するということになるわけです。

 つまり、本来の財政は、国民のお金を右のポケット(豊かな人々)から左のポケット(貧しい人々)に移すのが原則なのですが、財政再建のための消費税増税では、左のポケットからお金をとって、右のポケットに押し込むという危険性があるということです。

神野直彦『財政のしくみがわかる本』(岩波ジュニア新書)137頁

 

 その後神野直彦は、2010年に総理大臣になった直後から消費増税に前のめりになった菅直人に妥協してしまったが、もともとの氏の立場は「まず直接税の課税ベース(課税範囲)を拡大せよ、そして直接税の税収が十分になった時点で、アメリカのような「小さな政府」を目指すのであれば、そのまま直接税中心の税制で進み、北欧や西欧のような福祉国家を目指すのであれば、直接税の土台に上乗せする形で消費税などの間接税による負担を求めよ、というものだった*1。神野氏自身は後述の「薔薇キャンペーン」代表の松尾匡が属するリフレ派とは相容れない立場の人だし、前述のように2010年に菅直人に妥協してしまったが、氏のもともとの主張は傾聴に値すると私は今でも思っている。今や消費税を軸とした税制を主張しているかのように見える(神野直彦の愛弟子でもある)井手英策などは上記の師の文章に対してどう答えるのだろうか。「消費税の使途を福祉・社会保障に限定すれば良い」とでも言うのだろうか。

 

 さて、「後述」と書いた「薔薇キャンペーン」だが、やはり『広島瀬戸内新聞ニュース』(2019年2月3日)の記事で知ったのだけれど、ちょっと前に東京新聞に取り上げられていた。

 

hiroseto.exblog.jp

 以下、東京新聞の記事を引用する。

 

www.tokyo-np.co.jp

市民団体「薔薇マーク」 「反緊縮」に賛同する候補者支援へ

 

 消費税増税反対と財政出動を柱とした「反緊縮」の経済政策を掲げる市民グループ「薔薇(ばら)マークキャンペーン」が一日、国会内で記者会見を開き、四月の統一地方選と夏の参院選で趣旨に賛同する候補者を認定、支援すると発表した。代表の松尾匡(ただす)立命館大教授は「安倍政権では社会保障の削減、個人消費の低迷が続いている。野党は大衆増税に反対し民衆にお金を使って景気回復を目指すべきだ」と訴えた。

 「反緊縮」は、英国労働党のジェレミー・コービン党首らが主張する政策。欧米各国がリーマン・ショックから立ち直った後、財政再建を進めて景気を悪化させる中、正反対の政策として一定の支持がある。

 トレードマークにした薔薇は、欧州では労働者の尊厳を守る象徴。キャンペーンの趣旨である「Rebuild Our Society and Economy(社会と経済の再建を)」の頭文字でもある。

 主な政策に(1)消費税増税凍結(2)社会保障・医療・介護・保育・教育・防災への財政出動(3)最低賃金の引き上げ(4)大企業・富裕層の課税強化-などを掲げる。財源は企業増税など「公正な税制」が実現するまで国債発行で賄う。三月初旬から候補者の認定を始める。

 呼びかけ人の一人の西郷南海子(みなこ)事務局長は「若い人は景気は良くならないと思いがちだがそうではない。日本は立て直せると知ってほしい」と訴えた。

 (安藤美由紀)

東京新聞より)

 

 記事にある通り、「薔薇マークキャンペーン」の代表は松尾匡立命館大教授。

 

 キャンペーンの「賛同人」には『広島瀬戸内新聞ニュース』の主宰者・さとうしゅういちさんも名を連ねている。

 

rosemark.jp

さとうしゅういち(広島瀬戸内新聞社主)

素晴らしいです。もっと早く「庶民のための経済政策」を求める運動が日本でも出来ていれば良かったのですが、これからともに頑張りましょう!

  

 リストに載った名前の多くは市井の人たちだが、立場はさまざまで「立憲パートナーズ」の人もいれば、小沢一郎系の元国会議員・中村哲治氏の名前もある。以下人名は省略するが、プレジデントオンライン編集長もいれば、驚くべきことに「ワタミ労働政策研究所 主任研究員」を名乗る方もいる。また、パクツイ常習犯として悪名高い「小沢信者」にして、私が日頃から「全く感心できない人間」とみなしている、ある江戸時代の歴史上の人物の名前を勝手に僭称している御仁までいる。このブログのコメント常連の一人である杉山真大さんの名前とコメントもある。

 

杉山真大

兎角現政権の批判の文脈で税金の無駄が声高に言われ、「何でもかんでも金を出す」ことが批判されている。しかし現実には社会福祉や教育・医療・地域振興その他もろもろ「全てにわたってお金が足りない状態」で、それで優先順位だのメリハリだの言えば忽ち何処かが犠牲になり、下手すれば立場の弱い者同士で互いに相争うことになり兼ねない状況だったりする。
そういう現状認識の上で今必要なのはキチンとした経済政策と社会政策の両立であり、安易に”聖域無き改革”や”良い緊縮”に与するべきではない。

  

 有名人としては菅野完氏の名前が目についたが、国会議員などの大物は名を連ねていない。国会議員では山本太郎が松尾氏の主張を受け売りしていることからもわかる通り、明らかにこのキャンペーンの方向性にもっとも合致する政治家だ。しかし、一方で山本太郎には小沢一郎をタブーにしているという大きな問題点がある。その小沢はといえば、国民民主党の政治家たちの賛同が得られそうにもないこのキャンペーンに賛同することなど間違ってもないだろう。小沢はかつては河村たかしのような「減税真理教」を積極的に支援していたし、現在はしきりに橋下徹にラブコールを送るなど、本質的に新自由主義側の人間であるように思われる。

 私はといえば、「薔薇キャンペーン」に大いに期待はするけれども、かつて小沢一派が積極的にコミットした「減税真理教」とこのキャンペーンとを混同するような人士たちによって攪乱されはしないだろうか、との若干の懸念もあるので、当面は賛同人に名を連ねることは見合わせておこうと思っている。

*1:前掲書87-93頁記載「直間比率」の節などを参照。