kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

安倍晋三、新元号談話を自ら発表へ。「込める思い」とやらを語るらしい

 やらないはずはないと思っていたが、やはりやるらしい。

 

 

 まず共同通信の記事の全文を引用する。短い。

 

 政府は4月1日の新元号公表に合わせ、安倍晋三首相自らが記者会見で談話を発表する方向で調整に入った。新元号への思いを国民に直接伝える狙いがあるとみられる。菅義偉官房長官による新元号公表時間は午前11時半、首相会見は正午とする方向で最終調整に入った。29日に新元号選定手続きに関する検討会議を開き、公表時間を含む日程を決定する方針だ。政府関係者が28日、明らかにした。

 政府は4月1日に改元政令を閣議決定。菅官房長官が新元号を公表し、墨書を掲げる。引き続き安倍首相が会見で談話を読み上げる段取りを想定している。

 

(共同通信 2019/03/29 02:00)

 

 以下、共同通信のツイートへの反応から拾う。

 

 

  同感。それに尽きる。

 

 

   意見が分かれているが、私は前々から書いている通り後者だと思う。まあそれも週明けには結論が出るし、昨日公開した『きまぐれな日々』の記事に書いた通り、くだんの字が入ろうと入るまいと安倍晋三は損はしない。そんなことを論点にすること自体安倍を助ける。

 

 

  「アベの思い」ももちろん要らないが、新天皇のものであるならばもっと要らない。

 

 

  「穢れる」どころか元号自体が最初から有害。

 

 

 これも同じで、元号自体が「時代の私物化」の産物だ。

 

 政権批判側がこのレベルだから安倍政権は安泰なのだ。どのツイートからも元号そのものに対する批判が決定的に欠けている。

 来週から、新元号万歳の圧倒的な声と、元号を「アベが選んだ」ことを批判する少数の声とが対比されると思うと心からうんざりする。

 元号自体を問題にする人があまりにも少なすぎるのだ。これも「批判する言論が絶え果てた『崩壊の時代』」の一つの表れだろう。

おいTBS! 「こうのもろ なお」って誰だよ!!

 朝のテレビはあまり見ないのだが、たまに見るというかテレビをつけている時はたいていTBSの朝チャンだ。今朝はたまたまつけていたら、最近の教科書の内容が昔と違うとかいう話をしていた。

 たとえば平仮名の「そ」の字体が違い、60年代から80年代まで*1は2画で習ったが、それ以降は1画で習っているとか。私は2画で習った世代だがずっと1画で書いていた。おそらく子ども時代には2画で書いていたのだが面倒になったのと新聞や本などの活字がたいてい1画なのでいつの間にか1画で書くようになったのだろう。自覚は全くないのだが。

 また理科ではリットルは2011年以降、小文字でなく大文字で書くように習うようになったらしい*2。私は今でも小文字で書くが、そういえば大文字での表記が目立つようになった気もする。また、2006年に冥王星が太陽系の惑星とは認められなくなったために、「水金地火木土天海冥」*3と言わなくなった(「冥」が外れた)話もしていたが、さすがにこの件は鮮明に覚えていた。

 面白かったのは英語で、昔は "My name is Shinzo Abe."*4 式に習ったが、今では "I am Abe Shinzo." 式に習うらしい。番組の解説によると、世界的には "My name is ..." より "I am ..." と名乗る方が多く、また姓名の順番はその国で行われる順番に合わせるのが普通だとのこと。私は1992年に初めてパスポートをとった時に「姓→名」の順番にした記憶がある。この順番にこだわっていたのはかつての朝日新聞のスター記者にして現在では『週刊金曜日』の創始者として知られる本多勝一だったから、現在80代後半のホンカツ氏もこのニュースにはご満悦かもしれない。余談だが、1993年にクレジットカードを作った時のサインは日本語の漢字にした。これには国粋主義ではなく欧米人などに真似されにくいためという合理主義的な説明を聞いたが、ネット検索をかけてみたら別にサインなら何でも良いらしい。

 

news.cardmics.com

 

 なぜか本論から離れた話題でリンクまで張ってしまったが、姓名の順番に戻ると、日本と朝鮮の世襲の独裁者はそれぞれ「アベ・シンゾー」と「キム・ジョンウン」だし、福田康夫が愛好して止まないハンガリーの大作曲家は「バルトーク・ベーラ」で良いのだ。クラシック音楽の世界では特に「名→姓」の順番にしたがる傾向が強いが*5、いい加減にこの悪弊を廃するべきだろう。

 国語の部が長くなったが、やっと本論の社会科というか日本史の話に入る。これは全然知らなかったのだが(もともと日本史は大の苦手なのだ)、源頼朝の有名な肖像画は、実は足利尊氏の弟・足利直義肖像画である可能性が高く、また足利尊氏を描いたとされていた「騎馬武者像」も、尊氏の家臣だった高師直*6(こうのもろなお)かその子の高師詮(こうのもろあきら)であるとの説が強まってきて、その理由によって伝頼朝の肖像画や伝尊氏の「騎馬武者像」は教科書から姿を消したのだという。

 ネット検索で調べてみると、頼朝像についてはこの説が有力となったのは古い話ではなく、米倉迪夫(よねくら・みちお)が1995年に発表してあっという間に通説として定着したものらしい。下記リンクの平凡社ライブラリーで読めるとのこと。

 

源頼朝像 沈黙の肖像画 (平凡社ライブラリー)

源頼朝像 沈黙の肖像画 (平凡社ライブラリー)

 

 

 以下、アマゾンカスタマーレビューから引用する。

 

日本人の常識を揺さぶった不朽の名著

神護寺の国宝・源頼朝像は人違いで、足利直義像が正しいと指摘した旧版・1995年刊の「絵は語るシリーズ」第四巻の内容(新たな書き直しなし)に、旧版刊行以後の議論の展開を補論として付加した新版。神護寺三像を含む様々な画像の比較検討+足利尊氏(兄)と自分の影像を神護寺に安置するという足利直義願文(写真を掲載)とを組み合わせて、神護寺三像の真の像主(モデル)を特定する。補論にまとめられているとおり、大英博物館蔵の源頼朝像と太刀の柄に関する議論が深まったので、著者の説は現在ではさらに確固たるものとなっているが、旧版の議論だけでも源頼朝像は14世紀制作の足利直義像だとする著者の説は十分に説得力がある。

具体的には、浄土寺足利尊氏像等と対比して平重盛像を足利尊氏像に訂正し、夢窓疎石像と比較して源頼朝像が14世紀に制作された可能性を指摘し、等持院足利義詮像と対比して藤原光能像を足利義詮像に訂正するのだが、モノクロにかかわらず図版が精緻でなるほどと納得できる。特に源頼朝像(実は足利直義像)と夢窓疎石像との対比では、雰囲気が似ていることは一見して素人目にもわかるが、本書ではさらに踏み込んで、耳、目と眉、唇と鼻孔を拡大して、耳内側の濃墨のアクセントや鼻孔を灰色で色づけしている点等で共通していることを確認しており、専門家はこういう所に着目するのかと感心する。

曖昧なまま定着した日本人の常識を正す、歴史・美術学の記念碑的な名著だ。

 

 へえ、面白そうだな、いつか読んでみようと思った。

 

 武装して馬に乗った足利尊氏とされていた像のほうは、矢が折れていて征夷大将軍の絵として相応しくないとの議論があるとテレビで言っていた。それは良いのだが、なんとアナウンサーは「高師直」の名前を読む時につっかえながら「こうのもろ なお」とか「こうのもろ あきら」などと発音していたのにぶっ飛んでしまった。彼らは高師氏ではなく高氏だろ。そんなことは日本史が大の苦手だった私でも知っている。

 もっともかくいう私も子どもの頃、テレビ欄に載っていた「杉良太郎」を「すぎら・たろう」だと思い込んでいたことがあった。それと似たようなものか。

*1:テレビでは元号で言ってやがったが西暦に直した。

*2:理科の場合SI単位系での表記が原則になった方が大きな変化だと思うが、その話はしなかった。

*3:これもかなり長い間「水金地火木土天冥海」だったが(1979年から99年までの間)、ようやく元の順序に戻ったと思ったら冥王星が惑星から外れてしまったのだった。

*4:番組では別に安倍晋三の名前を例に使ったわけではなかったが、ここでは安倍の名前を使う。

*5:たとえば鄭京和(韓国の名ヴァイオリニスト)を「チョン・キョンファ」ではなく「キョンファ・チョン」と表記したがる傾向が、彼女がメジャーになった1970年代からあったが、これに対して断固として「鄭京和」と表記したのが数年前に世を去った宇野功芳だった。私は思い込みの強い印象批評家にして極右人士でもあった宇野が大嫌いだったが、この一点に限っては宇野を支持する。もっとも、さしものクラシック業界でも、ある時期から後は「チョン・キョンファ」表記が普通になったはずだ。なぜってたとえば金大中を「デジュン・キム」なんて誰も呼ばないから。

*6:エントリの公開当初、「高諸直」と誤記(誤変換)してしまって気づかずにいて、sumita-mさんのブログで指摘された。https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/03/28/033835 アホを嗤った究極のアホとは私のことだ。これでは故勝谷誠彦といい勝負かも。面目ない(苦笑)。

遅すぎたイチローの現役引退

 私はアスリートとしてのイチローのパフォーマンスはずっと買ってきたのだが、今回東京ドームで行われた引退試合は全くいただけなかった。守備はともかく打撃ではもう去年から全く通用しない選手になってしまっていて、そんな選手が公式戦に出場すること自体いかがなものかと思った。

 1993年9月から2か月間アメリカに滞在した時、当時46歳だったノーラン・ライアンの最後の登板がスポーツニュースで報じられたのを見たが、先発して一死もとれずに降板していた。いま調べてみると同年9月22日のマリナーズ戦で、ライアンは0イニングを2安打4四球5失点で降板したらしい。でも当時このニュースに接して、日本人の方がアメリカ人より平均寿命も長いんだし長く現役を務められるはずだと思ったものだ。

 それを実現させたのは工藤公康山本昌だった。山本は1993年にヤクルトから負けなしの7勝を挙げた投手で、渡米していたので知らなかったのだが、9月に試合前の練習で怪我をして戦線を離脱した。彼の故障がなければヤクルトは優勝を中日にさらわれていたかもしれなかった。一方、ヤクルトは工藤とは西武ライオンズ球場(当時。現西武ドーム)で行われた日本シリーズ第1戦で対戦して打ち込み、快勝した。ヤクルトの勝利投手は荒木大輔だった。これはアメリカ滞在末期に現地のテレビで放送されたニュースで知った。この2人がのちに現役続行にこだわる選手生活の先駆者になったが、まだ山本昌の引退から3年半しか経っていない。その山本昌が引退した2015年には、本拠地最終戦阪神戦という、わざわざ球団が山本のために用意したかのような日程が組まれていたが*1、もはや一軍では全く通用しなくなっていた山本はその試合での登板を固辞し、結局シーズン最終戦となったマツダスタジアムの広島戦で先頭打者だけに投球することにした。ところがその試合も広島のクライマックスシリーズ進出を賭けた試合になってしまったので、山本昌は大いに恐縮していたものだ。結局広島はこの試合で死に馬・中日に蹴られてクライマックスシリーズ進出を逃した。中日に助けられてクライマックスシリーズに進出したのは阪神だったが、山本昌阪神戦を引退試合にすることを固辞したのは、阪神もまたクライマックスシリーズ進出を賭けて日々必死に戦っていたことが理由の一つだった*2

 山本昌もまた、投手にありがちな自己主張の強い選手だったと私は認識しているが、その山本も一軍で全く通用しなくなった自分が後身たちの真剣勝負に水を差してはならないと考えた。これがあるべき姿なのではないだろうか。

 その山本に引き比べてイチローはどうか。東京ドームで引退試合をやってもらえることを喜んでいたが*3、同僚であるマリナーズの選手や相手球団のアスレチックスの選手への配慮は見られない。試合では両軍の選手はイチローに拍手を送っていたが、内心ではなんでこんなセレモニーに付き合わされてわざわざ日本で試合をやらなければならないのかとうんざりした選手も少なくないのではないか。

 イチローは大いなる勘違いをしていた。イチローの現役引退は一年遅かった、彼は晩節を汚した。私はそのように思う。

 

 なお、下記はてなブログの記事にイチローの言葉が引用されている。この記事を読んだから、遅ればせながらイチロー引退について書こうと思い立った次第。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

 上記リンクの記事中、

アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから。

このことは、外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分があらわれた

 という言葉*4は良かった。イチローは言葉の人ではないと私は思っているが、「リベラル」人士までもが排外主義に侵されている今、「誰だって外国人なんだよ」という当たり前のことを誰もが想起すべきだと思った。

 しかし、

頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつあるような。

 というのはどうかな。

 ブログ主のsumita-mさんは

「データを重視する」ということで思い出すのは、1980年代に、野球は頭でするもんやという触れ込みとともに野村克也が唱えていた所謂ID野球だけど。あの頃も、野村を持て囃すメディアやファンと野村を拒絶するファンとに分かれて、争っていたのでは?

と書くのだが、かつて90年代に野村克也が采配をふるう試合を多く見た私は、野村野球の真髄は呪術的な魔力にあったと思う。派手な打撃戦となった1992年の日本シリーズ第6戦(対西武)にサヨナラ勝ちした試合後、野村克也はハイになってID野球の看板をかなぐり捨てるようなコメントを出したはずだ。そしてこのシリーズでは岡林洋一を、ヤクルト初のリーグ連覇と15年ぶり日本一を記録した翌年のシーズンでは伊藤智仁をそれぞれ登板過多で潰すという大きな誤りも犯した(のち野村は彼らに謝罪した)。きわめつきは1997年のシーズンで、開幕直前にある局のインタビューに答えて「自信のある監督は強気のことは言わないんですよ」と言いながら、別の局のインタビューでは自軍の選手をさんざんにこき下ろしていたのだった。そして開幕戦で広島から移籍したばかりの小早川毅彦が、前年まで3年連続開幕戦完封勝利を挙げていた読売の不動のエース・斎藤雅樹から放った3打席連続本塁打。斎藤に強い小早川が広島で戦力外と判断されたのを知って獲得したのは確かに「データ重視」だろうが、3打席連続本塁打まではデータからは出てこない。何かプラスアルファがあったのだ。

 なお、野村克也同じような呪術的な魔力を持つ監督として、中日の落合博満が挙げられる。それだけに、2011年のシーズン終盤に中日のフロントが落合を監督から引きずり下ろそうと画策した時、「これで当分優勝できなくなるぞ」と思った中日の選手たちが発奮してヤクルトが逆転されてしまうのではないかと危惧して、そのことをこの日記にも書いたら、なんとそれが現実になってしまった*5

 「頭を使う」ことは必要条件だが十分条件ではない。言語化が容易ではないプラスアルファが必要なのだ。イチローは自らのプレーではそれができていたからこそ不世出の選手になったと思うのだが、言葉としては

頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつあるような。

 などという陳腐なことしか言えない。

 だから、イチローは言葉の人ではないと考える次第だ。

*1:山本昌は選手生活の後半において阪神戦を得意とし、2006年に史上最高齢ノーヒットノーランを首位攻防の阪神戦で記録したほか、2014年には史上最年長勝利を阪神戦で記録した。

*2:阪神山本昌が登板しなかった中日戦に負けてしまい、結局広島対中日最終戦クライマックスシリーズ進出チームを決める試合になってしまったのだった。

*3:イチローは、神戸の球場で(オリックスのオープン戦か何かで?)引退試合をやることになるんじゃないかと思っていたなどと語っていたが、東京ドームで派手にやるよりその方がずっと良いじゃないかと私は思った。

*4:https://www.buzzfeed.com/jp/keiyoshikawa/ichiro からの引用。

*5:しかもその後の中日の低迷まで現実になっている。

マララ・ユスフザイ氏まで政権浮揚に悪用する安倍晋三

 金曜日(3/22)の午後から久しぶりに遠くに行っていたものだから、はてなブログ移行後はじめて更新を休んだが(23,24両日)、その間旅先で目を剥いたのが、安倍晋三がマララ・ユスフザイ氏と会ったというニュースだった。それをいつもは見ないNHKで見たものだから、余計に不快感が募った。不幸中の救いは、岩田明子の解説に遭遇しなかったことだ。

 あまりに不愉快だったので、報道を直接引用しないで、『広島瀬戸内新聞ニュース』から引用する。

 

hiroseto.exblog.jp

マララさん、安倍ジャパンの実態をご存じですか?
医学部では女子を減点。
性犯罪では明らかに「やっている」例でも無罪判決が相次ぐ。
そもそもジェンダーギャップ指数は先進国主要国最悪。

こんな日本の総理、それもよりによって安倍総理(支持基盤はマララさんを襲ったイスラム過激派とさしてジェンダー観は変わらない日本会議)を持ち上げたら、あなたも恥をかきますよ?

ひょっとしたら持ち上げてやらせる高等戦術かもしれませんが。
また、安倍瓶三こと晋三さんは、マララさんを政権浮揚に悪用していますね。
まあ、安倍瓶三こと晋三さんも、サーロー節子さんと
違い、苦言を言いそうもない相手だと見切ってマララさんを
利用したのでしょう。 
お陰でジェンダーではリベラルな考えの
女子大学生とか、結構安倍瓶三こと晋三さんを
支持したりしています。

安倍ジャパンも凄まじい排外主義と新自由主義グローバリズム勢力への日本売り飛ばしの組み合わせです。新自由主義グローバリズムには、安倍・マララ会談は都合が良いのは事実でしょうな。

(『広島瀬戸内新聞ニュース』2019年3月23日)

 

辛坊治郎が参院選に出馬との観測

 下記のツイートに目を剥いた。

 

 

 辛坊治郎といえば、10年ほど前の私のブログライフ初期の時代には、城内実や故勝谷誠彦と並ぶブログの悪役だった*1。毎週土曜日朝には辛坊が司会を務める読売テレビ日本テレビ系。当時在住していた香川では西日本放送)の番組を見ては悪口を書き連ねていたものだ。その後歳をとり、さすがに辛抱たまらなくなって辛坊の監視は止めてしまった。

 上記のツイートを見て、てっきり辛坊が読売テレビ日曜午後の、かつて(やしき)たかじん冠番組だったあの極右番組の司会を降りるのかと思ったがそうではなかった。以下サンケイスポーツより。

 

https://www.sanspo.com/geino/news/20190320/geo19032005010007-n1.html

辛坊治郎す・またん!』卒業「10年一区切り」

 

 読売テレビは19日、大阪市内の同局で春の改編説明会を行い、10周年を迎える情報番組「朝生ワイド す・またん!」(月~金曜前5・20)の辛坊治郎キャスター(62)が番組を卒業すると発表した。

 辛坊氏は2010年3月29日の放送開始当初から同局の森たけしアナウンサー(59)とメインMCを担当。18年4月の改編で木、金曜のみの出演になっていた。「10年一区切り」との辛坊氏の決断を、同局は「10年間、番組を支えていただき、感謝の思いしかない」と送り出す。

 最後の出演は29日。昨年から月~水曜を担当する野村明大アナウンサー(46)が木、金曜も引き継ぐ。

 また、辛坊氏がMCを務める「そこまで言って委員会NP」(日曜後1・30)に「副委員長」として出演してきたフリーアナウンサー渡辺真理(51)が3月いっぱいで降板。同局の黒木千晶アナウンサー(25)が「秘書」として出演する。

 

サンケイスポーツ 2019.3.20 05:01)

 

 あの極右番組を降りないのであれば、辛坊の参院選出馬の観測に説得力があるとはいえない。しかし、参院選は7月なので、4月や10月の大改編期ではないがプチ改編期ではある。だから参院選出馬がないとも断言できない。実際、前記ツイートに反応したが2つのツイートも指摘している。

 

 

 

 参院選に出馬する場合は維新からというのも確かにあり得る。いずれにせよぞっとしない話だ。辛坊は関西の出身ではないが*2、こいつが大阪(関西)にもたらした害毒には計り知れないものがある。

*1:ラスボスが安倍晋三であることは昔も今も変わりないが。

*2:辛坊は静岡出身かとずっと思い込んでいたがそうではなく、鳥取県生まれだったがすぐに引っ越して、大学を卒業するまではずっと埼玉県に住んでいたらしい。つまりほぼ生粋の首都圏の人間だ。