読書ブログに下記記事を公開した。
今日(6/7)ちくま新書から新刊が発売される三春充希氏のTwitterサイトを見に行ったら下記のツイートが目に入ったが、この意見には同意できない。
ぼくは北方領土に関しては、いま現地に生きている人たちの意思を最大限に尊重するべきという考えです。そこで生まれ、そこで育ち、いまそこに生きている人たちがいる以上、一貫してそうです。
— 三春充希(はる)⭐みらい選挙プロジェクト (@miraisyakai) June 3, 2019
国境に近い地域には、現在住んでいる人たちを思うよりも大事なことがある。それは国家間の争いが起きないような緩衝地域にするという知恵だ。上記ツイートにはその視点が欠落している。この意見では国後島や択捉島に軍事基地を建設しまくるプーチンの所業を批判できない。
昔、ウルップ島は北海道アイヌと千島アイヌの間の緩衝地域とされていたそうだが、現在のロシアの独裁者・プーチンにはそんな知恵はない。もちろん安倍晋三にもない。だから丸山穂高のように戦争をけしかける馬鹿者が出てくる。
現代に生きる人間は、少しは昔のアイヌの知恵に学んだ方が良い。
日本でピケティの『21世紀の資本』の邦訳が発売されたのは2014年だった。あの本には膨大な統計データをまとめたグラフが多数載ってたりして、そういうのに慣れていない読者はへこたれるだろうなとは私も思ったが、あの本では本来数学が得意なピケティが本来の数学の演繹的なアプローチを放棄して、「文系数学」的というか帰納的なわかりやすいアプローチをしている。彼が課題としているのは「戦争によらない格差の解消」にほかならないのだが、なぜか日本ではそういう方向の議論が深まらず、ピケティが「ブーム」として消費されてしまったことは痛恨の極みだった。
特にマルクスというか「宇野経済学」を引き合いに出してピケティを「国家社会主義者だ」と論難した佐藤優の議論には腹が立った。この日記のコメント欄に、佐藤が「安倍のあとにくるであろうファシズムこそ問題だ」と言っていたと指摘された方がいたが、私は「佐藤優こそファシズムを招き寄せようとしている張本人ではないか」と言いたくなる。
「薔薇マークキャンペーン」についていえば、当初は旧民主・民進系のTwitterアカウントの発信者たちが「薔薇マーク」を頭ごなしに否定しているのを見て腹を立てた。しかし最近では、山本太郎による立憲民主党への強い憎悪を示す発言(これは昨日の日記で少し触れた)や、「日本経済復活の会」へのかかわりが発掘されたりしたことに強い危機感を持っている。後者については、こたつぬこ(木下ちがや)氏もTwitterで取り上げたので(下記)、知る人が増えたようだが、私は「政権交代」の前に当時の反自公ブロガーとしては異端に近いくらいに積極財政政策を推す記事をよく書いていた2008年頃に「日本経済復活の会」へのお誘いをいただいたことがあったので、当時からこの会が極右の巣窟であることは知っていた。なお当然ながら、私は新自由主義者と同じくらい極右が大嫌いなので、お誘いには乗らなかった。
だんだん人脈が明らかに。 https://t.co/aPTcMg9jA2
— こたつぬこ『「社会を変えよう」といわれたら』4/17発売 (@sangituyama) June 6, 2019
結局私は坂野潤治に立ち返ってしまう。坂野は、戦前に行った「反軍演説」が有名な斎藤隆夫が格差には鈍感で、社会大衆党がファシズムに走ってしまったことを繰り返し指摘している。現在も、旧民主・民進系支持の人たちは、90年代の民主党がとってしまった新自由主義路線の惰性が残っているのか格差には鈍感である一方、「大きな政府」を志向しようとするとファシズムの罠が待ち構えているように思われる。
山本太郎についていえば、この人は本当に小沢一郎に心酔してるんだなあと思う。あれこそ小沢一郎の本音の代弁なのだ。小沢には、自らが仕掛けた小池百合子や前原誠司との野合を、立憲民主党の立ち上げによって邪魔されたという強い怨念があるに違いない。それを小沢は自分では言わず、周りの人間である山本太郎に言わせている。それが昔からの典型的な「小沢流」なのだ。
まあ山本太郎というのは純粋な人なのだろう。だから彼が変な方向に行こうとしてると思ったらそれを正直に指摘して強く批判しなければならない。その意味で、先日こたつぬこ氏が「山本太郎はリベラルとファシズムの間の線上に立っている」と指摘したのは、実に良いことだった。今も少し覗いてみたら、山本氏が変な方向に行かないように歯止めを掛けようとする懸命なツイートがいくつかあった。
山本太郎は、誰も傷つけない政治を目指していますよね。辛い気持ちを山本太郎は代弁しています。その気持ちを広く伝えるためには、排外主義を唱えるような人たち、詐欺師まがいの人たちとは距離を置かなければ。山本太郎をそうした人たちから守れるのは支援しているみなさんたちだけです。 https://t.co/ENIltpMdjk
— こたつぬこ『「社会を変えよう」といわれたら』4/17発売 (@sangituyama) June 6, 2019
しかしアブナイのは「山本太郎は間違わない」と断言して憚らない「信者」的なあり方の人が少なくないことだ。これにもこたつぬこ氏は警告している。
山本太郎が判断を間違わないことは、山本太郎を支持する方々が判断を間違わないことを保証しません。いろんなものが寄ってくるのがお分かりなら、安心論は振りまかない方がいいですよ。 https://t.co/HSO5awH4OZ
— こたつぬこ『「社会を変えよう」といわれたら』4/17発売 (@sangituyama) June 6, 2019
確かガルブレイスが晩年の著書に書いていたことだったと思うが、政治家は支持者が望む政策しかとれない。「山本太郎が判断を間違わないことは、山本太郎を支持する方々が判断を間違わないことを保証しません」というのは本当にその通りで、これは山本太郎を枝野幸男に置き換えても成り立つ。私は、一昨年の衆院選の直前に立憲民主党を立ち上げた枝野幸男が、政権を獲ってもいきなり金融緩和を止めたりはしないと明言したことに接して、この人のもともとの保守的な思想信条には共感できないけれども「風を読む」ことには長けているなあと思ったものだ。しかし現在の立憲民主党は前述のような90年代の民主党がとっていた新自由主義的な惰性を脱せずにいる。それはそういう方向性を立民の支持者が望んでいるからだ。「枝野幸男が判断を間違わないことは、枝野幸男を支持する方々が判断を間違わないことを保証しない」ことの好例だと思う。
同じことが山本太郎支持者についてもいえる。民主・民進クラスタに対しては新自由主義への傾斜が懸念されるが、山本太郎支持クラスタに対してはファシズムへの傾斜が懸念される今日この頃なのである。
何やら、予算委員会もずっと開いていないくせに、安倍晋三が通常国会の会期を延長して衆議院の解散を目論んでいるとかいう話だが、それを『news23』(予想通り「リニューアル」しても視聴率はさっぱりだったらしい)が、新サブキャスターの山本恵里伽といういかにも線の細そうな人の声だったと思うが、「総理大臣の専権事項」などと断定的に伝えていたのを聞いて「こりゃダメだ」と思った。報道番組であるならば、ここ数年安倍晋三が弄んでいる7条解散による「解散権」なるものが本当に合憲なのか、総理大臣が好き勝手に短い間隔で解散総選挙を行っている現状を追認していて良いのかという問題意識がまず必要だろう、そうしたこともできないようでは「報道のTBS」の復活など夢のまた夢だろうと思った。15歳近くも年上の雨宮塔子と比較しても安定感を感じさせる小川彩佳はさすがではあるが、メインキャスターの首をすげ替えるだけで番組の視聴率が稼げると思ったとしたら、そう考えたTBSの幹部社員は無能の一語に尽きるだろう。「解散風」など存在しないのだ。
前置きはこれくらいにして、「野党共闘」の現状を眺めてみると、「野党共闘」の軍師たるこたつぬこ(木下ちがや)氏の最近のツイートを見れば明らかな通り、この共闘は「民共共闘」、あるいは「民共合作」的なものへと性格を変えつつある。これは、いうまでもなく自由党の国民民主党への合流に伴うものだが、民民に合流しなかった山本太郎の元号政治団体が「共闘」の枠組みから外れたことを指摘する人が少ないことに奇異の感を抱くのは私だけだろうか。
元号政治団体への支持率はメディア各社の世論調査の選択肢にも含まれていないためによくわからない。元号政治団体名と「支持率」を検索語としてネット検索をかけたら、日本共産党を天敵視する「日本共産党(左派)」(毛沢東主義系)の事実上の機関紙とされる『長周新聞』の記事*1が筆頭で引っかかり、それには
と書かれているが、これはこたつぬこ氏が下記ツイートで指摘した通り、ネットで流布するデマを拡散したものに過ぎない。
山本太郎が結成したら支持しますかと聞いたら9%が支持すると答えたので立憲の支持率より高いと喜んでいるという風聞ですが、これは支持率にカウントできる回答ではない。しょうもない。都合がいい部分だけとりだして、自分を騙してどうすんねん。 https://t.co/FX8tvFZ9pS
— こたつぬこ『「社会を変えよう」といわれたら』4/17発売 (@sangituyama) June 2, 2019
共産党が勢いを失うと喜ぶ立場にある『長周新聞』が山本太郎人気を煽ろうとしていることは前にも指摘したが、山本太郎自身も、どうやら自らが「野党共闘」から離脱したにもかかわらず、「立民主敵論」みたいな立場に立った発言をしているらしく、立民支持者たちから不快の念が表明されている。
この演説もそうだが、山本太郎が一番憎いのは立憲民主党じゃないかと思えてくる。前もデマ飛ばしてたしな。枝野氏が否定して「形の上では」終ったが。 https://t.co/S7mV0b2a3m
— イナモトリュウシ@リッケンキモサヨオタ (@yksplash_ina) June 5, 2019
驚く。野党結集のために政治家になった、と記者会見で言ってた人間が、街宣で他の野党を名指しで誹謗と。一丁目一番地みたいだった脱原発も何処へやら。
— naoko☘️りっけん (@konahiyo) June 5, 2019
さすが、外国人ヘイト的な発言をする自民党議員に、総理になってくれと呼びかけるだけある支離滅裂さ。
もう遠慮するのやめた。 https://t.co/SuJjlNBYbv
どうやら、上記2件のツイートで引用されている元ツイートの呟きの主が問題ありの人物のようだが、それはともかく、山本太郎自身が政党政治否認に傾く兆しが見え始めたのではないかと危惧する。
立憲民主党や国民民主党を含む旧民主・民進系のあり方に対しては、私も強い不満を批判を持っているが、それが政党政治否認につながってしまったら元も子もない。それこそ戦前の歴史を繰り返してしまう。
「崩壊の時代」の中でも、重大なターニング・ポイントが近づいてきたようだ。
昨日(6/4)で天安門事件から30年。同じ「改元」とやらがあった年でも、息の詰まりそうな重苦しい閉塞感の時代である2019年とは全く異なり、1989年は激動の年だった。年明けの1週間目の日の昭和天皇の死で幕を開けたこの年は、年の終わりまであと1週間を切った日のルーマニアの独裁者・チャウシェスク夫妻の銃殺で幕を閉じた。イランでサルマン・ラシュディに死刑を宣告したばかりだったアヤトラ・ホメイニの死の翌日に起きた天安門事件はその中間にあり、その後に東欧諸国の共産党政権が相次いで倒れた。年の終わりには日本ではバブル景気に浮かれた日経株価指数が最高値を叩き出したりもした。
『広島瀬戸内新聞ニュース』によれば、アメリカと中国の経済政策はかつてと入れ替わった感があるという。
リンクを張った最後の記事に関して、「課税ベース(課税対象とされる範囲)の拡大」はかつてのレーガン政権同様、安倍政権(第2次内閣以降)でも、法人税率の引き下げとセットで行われてはきている。しかしその中身は、外形標準課税の拡大のように、赤字企業や中小企業に苦しく、黒字出しまくりの某自動車メーカーに代表されるようなガリバー企業には優しいものではないかとの疑念が拭えない。
とはいえ、この記事を読んで思ったのは、現在、中身の議論を伴わずにネットの一部に熱狂の声が挙がっているMMT(現代金融理論)主唱者やそれに反対する人たち、あるいはリフレ派左派とリフレ派右派、積極財政派と緊縮財政派等々の立ち位置を明らかにするために、さまざまな座標軸をとった二次元(あるいは三次元)のグラフを作ってみてはどうかということだ。
たとえば、横軸の右側に直接税増税、左側に直接税減税をとり、縦軸の上側に異次元の金融緩和賛成、下側に金融緩和反対をとると、グラフの第一象限(右上)に松尾匡はくるだろうし、日本共産党は第四象限(右下)にくるだろう。またリフレ派右派は第二象限(左上)にくるはずだし、大の反リフレ派にして新自由主義者である池田信夫(ノビー)は間違いなく第三象限(左下)にくる。また別系列の反リフレ派である金子勝や神野直彦らは日本共産党と同じ第四象限に位置するはずだ。河村たかしの減税日本などは直接税減税を訴えているので、彼らの金融緩和に対する姿勢はわからないが少なくともグラフの下側(第三または第四象限)にくると思われる。山本太郎はおそらく松尾匡と同じ第一象限だろうが、河村たかしら「減税真理教」との関係がいまいちはっきりしない。
別に二次元グラフでなくとも、毎日新聞が国政選挙の度にやっている「えらぼーと」でも良いし、二次元グラフの軸は上記以外に、もっとも普通にとられるであろう消費増税/減税と金融緩和/引き締めや、財政政策内で直接税を横軸、間接税を縦軸にするなどいろいろとり方はあるだろう。
こんなことを長々と書くのも、「野党共闘」系・共産党系とされるこたつぬこ(木下ちがや)氏が昨日発した一連のツイートを読んで、「薔薇マークキャンペーン」の立ち位置は相変わらず周知及び議論が活発な状態というよりは、こたつぬこ氏が「デマゴーグ」だと言い、私もそれには強く同意する田中龍作を筆頭とする一部の「山本太郎信者」*1による煽動に引っ掻き回されている状態としか思えないからだ。私自身は、基本的には「薔薇マークキャンペーン」に賛同する立場なので、よけいに現状に強い苛立ちを覚える。
MMTについては、理論的妥当性とともに、どういう層がこの理論に惹かれるのかをしっかり考えましょう。恐らくは「仮想通貨」に魅力を感じる労働者、自営業層だと思います。この層は維新にも投票する層です。これを安倍政権と山本太郎が取り合いすることになります。 https://t.co/4TVJqL11LE
— こたつぬこ『「社会を変えよう」といわれたら』4/17発売 (@sangituyama) June 4, 2019
社会主義的リベラルが、MMTに強い違和感を抱く原因はこれです。20世紀以後台頭した労働組合は「賃金」による生活保障のシステムを作り上げた。しかし新自由主義的転換は、「賃金が足りない」あるいは「賃金では物足りない」という新しい要求を抱く労働者を作り出した。いわゆる「市場の民」です。 https://t.co/2bFsNbDWVk
— こたつぬこ『「社会を変えよう」といわれたら』4/17発売 (@sangituyama) June 4, 2019
この「市場の民」は、19世紀のような「ブルジョアジー」とは違い、「賃金では物足りない」という上層起業家精神と、「賃金では足りない」という下層労働者の救済精神とを、まったく違うのにともに包摂してしまいます。仮想通貨が起業家も非正規労働者も魅了したように。 https://t.co/8hy7QAYBUg
— こたつぬこ『「社会を変えよう」といわれたら』4/17発売 (@sangituyama) June 4, 2019
高賃金と強力な国家介入による税の吸収/再分配という市場規制が新自由主義によって壊されたところから、この「市場の民」は出現した。そしてこの階層は、旧来の保守、リベラル、左翼いずれも組織できていない。そこに食い込んだのが維新。 https://t.co/FIlAHjMjuw
— こたつぬこ『「社会を変えよう」といわれたら』4/17発売 (@sangituyama) June 4, 2019
そしてMMTは、この「市場の民」のうち、「賃金では足りない」という層に食い込む論理として登場した、と思われる。これは「要求はケインズ主義、器はリバタリアン」といえるもので、社会民主主義的リベラルの要求を抱きながら、労働組合を忌避するというキメラのような政治意識ともいえる。 https://t.co/v0jKnP82IC
— こたつぬこ『「社会を変えよう」といわれたら』4/17発売 (@sangituyama) June 4, 2019
現在、MMTを自民党若手議員も推し始め、安倍官邸も興味を示しているという。上記に引用したこたつぬこ氏のツイートの4件目を最初に引用した『広島瀬戸内新聞ニュース』の記事に絡めていえば、トランプも安倍政権もこたつぬこ氏の指摘する「市場の民」に食い込もうとしているかに見える。
また、民主党政権時代、特に菅政権時代(2010年6月〜2011年8月)に、民主党内や自民党の特に若手タカ派の議員たちの間で、リフレ政策の導入を求める声が強く挙がったことも思い出される。たとえば松原仁(民主、現無所属)の名前がすぐに思い出される。
自民党参院議員の西田昌司もそうだったかと思いきや、ネット検索をかけたら西田昌司はMMT支持だが反リフレで、真逆の立場をとる高橋洋一とやり合ったらしい。あの「経済右派」の朝日新聞編集委員・原真人のツイートで知った。
先週はMMTを主張する西田昌司参院議員とBS-TBS「報道1930」で議論。おもしろいのは、MMT派の西田氏はリフレ派に批判的。リフレ派の高橋洋一氏はMMTを「数式もない」と批判していること。行き着く先はどちらも「財政ファイナンス」なので、似たり寄ったりに思えるけれど。
— 原真人 (@makotoha) May 29, 2019
西田昌司と高橋洋一の立ち位置の比較などは、先に書いた二次元グラフにプロットすればよくわかるのではないだろうか。
現状は、共産党系と見られるこたつぬこ氏や、旧民主・民進系と見られる「軍畑先輩」氏*2の双方から「薔薇マークキャンペーン」は「減税真理教」の同類ではないかとの疑念*3が提起されている。そのような誤解を解くとともに、現在のような煽り文句先行ではないまっとうな議論へと導くために、二次元グラフの活用を含めた「薔薇マークキャンペーン」の立ち位置の説明が必要なのではないかと強く思う。
リニューアルされた『news23』*1の初回、やはりダメだった。私は近年帰宅時間が遅くなってこの番組を見ることを余儀なくされる日が多いが(新聞もプロ野球も反読売なので日テレのゼロとかいうのは見ない)、一昨年に安倍晋三の圧力で大幅に番組が変わっていこうダメになった部分が基本的に継承されていた。
一昨年以降、この番組の何がダメになったかといって、番組の前半でどうでも良いワイドショー的な話題を延々とやるようになったことほど番組の堕落を表すものはなかった。それはまさか朝日新聞で長年政治記者をやっていた星浩の趣味とも思われないから、局の上層部の意向がそのまま反映され、念願かなって夜のテレビニュースの「アンカー」になれた星浩はそれに異を唱えなかったということだろう。このあたりの信念のなさが星浩の特徴であり、その星をアンカーに据え置いた時点で、他局で安倍政権がらみでキャスターを降ろされた小川彩佳を「メインキャスター」に迎え入れようが番組が良くなることを期待できないのは当然だった。星浩でさえ逆らえないのに小川彩佳が逆らえるはずがない。もっとも、これまでのワイドショー的な趣向は「ネット論」に置き換えられてはいたが(もちろんネット論は昨日だけで、何らかの「ジャーナリズム的な」トピックを論じるコーナーを最初に据えるのではないかと推測される)、その中身も問題が大ありだった。
番組が問題にしていたのは「左右の分断」だったが、日本のネットに限らない言論でもっとも問題なのは安倍政権による事実上の言論統制であって、それでNEWS23の故岸井成格も報道ステーションの古舘伊知郎や小川彩佳も放逐されたのだ。しかし、番組はその核心に触れることを避けた。「安倍タブー」がリニューアル初日に早くも発動したといえる。番組ではトランプが分断に積極的に関与していることまでは指摘していたが、トランプに触れるのであれば当然触れなければならない安倍晋三を避けていた。これではどうしようもない。
それに、少し前までのワイドショー仕立ては論外にしても、昨夜やったようなトピックに焦点を当てるコーナーは、本来番組の後半に持ってくるべきだろうし、そもそもそういうコーナーを設けるのであれば、番組の時間帯を拡大すべきだろう。筑紫哲也時代の初期には0時を過ぎても延々とやっていて、そうしたコーナーは「第2部」と称していたが、そのくらいの余裕がなければニュース番組としては成り立たないはずだ。今回のリニューアルの前から、いつになったらニュースをやるんだよと苛立たせて、始まるやあっという間に終わってしまってあまりの薄味さにあっけにとられていたが*2、それは基本的には昨夜も変わっていなかった。
ただ、一箇所だけポジティブな意味で注目したのは「異論! 反論! OBJECTION」のコーナーの復活で、あれは岸井成格時代にも見た記憶がないから、筑紫哲也時代から10年あまりを経ての復活ではないか。もしかしたら「多事争論」も復活するかなと一瞬思ったが、さすがにそれはなかった。考えてみれば「多事争論」が復活するのであればそれは星浩の役柄だが、星に「多事争論」は似合わない。とはいえ「異論! 反論! OBJECTION」の復活には、TBS局内にはかつての「報道のTBS」の復活を期して臥薪嘗胆の日々を送っている人たちがいるであろうことを感じさせてくれた。
とはいえ、「敵の本丸」であるところの「官邸によるメディア支配」という問題の核心から目をそらしている間は、低迷していたと伝えられる番組視聴率の向上など夢のまた夢だろう。思い出されるのは、昨年秋に日テレ夜のニュースに進出した元NHKの有働由美子が、自らの「持ち味」であるらしいバラエティ色を前面に出そうとして転けた一件であって(その後視聴率が持ち直したかどうかは知らない)、昨夜の放送を見る限り、小川彩佳も有働由美子と同じくスポーツ紙や週刊誌の「掌返し」の洗礼を受ける可能性が高いと思われる。
山本太郎の元号政治団体からいったいどんな人が立候補するんだろうかと思っていたら、まず名乗りを上げたのは蓮池透だった。
https://www.asahi.com/articles/ASM5053TFM50UTFK00S.html
蓮池透氏、れいわ新選組から出馬表明 今夏の参院選念頭
蓮池透は、もともと北朝鮮による拉致被害者家族の中でも強硬なタカ派だったのが転向した人だから、山本太郎との相性は良さそうに思える。他にどんな人が出るんだろうか。国谷裕子や前川喜平に出てほしいとか言ってる人も見かけたけれどもカラーが違うだろう。山本の政治団体とメジャーなリベラル(括弧の有無を問わない)とでは適合的なイメージが湧かない。山本太郎に適合的なのは、蓮池氏みたいなアウトロー的なイメージの人か、さもなくばミーハー。後者の代表として私が思い浮かべるのは室井佑月だが、室井自身は立候補しないだろう。人脈的には、昔から小沢一郎・鳩山由紀夫びいきで、今回も山本太郎に献金したという内田樹も思い浮かぶが、内田もまた山本の政治団体から立候補するとは思えない。蓮池透は確かに良い人選だが(私は支持しないけれども)、二の矢、三の矢が思い浮かばないのだ。
ところで、この蓮池透の出馬表明に激怒したのが天木直人だった。昨日(5/31)、自身のブログで噴き上がっていた。
馬鹿馬鹿しいから記事は引用しないが、天木直人は少し前に小林興起を代表とする政治団体からの参院選出馬を表明していて、山本太郎にも協力を呼びかけていた。
山本太郎は、なんで俺が泡沫の小林や天木から「協力」を呼びかけられなきゃならないんだよ、と憮然としたのではないか。私が山本ならきっとそう思う。山本は2013年の参院選東京選挙区に無所属出馬で当選したのに対し、小林は2005年の「郵政総選挙」で小泉純一郎と小池百合子に自民党衆院議員の座を奪われて以来、一度は小沢一郎に民主党の比例ブロック代表で拾われたものの格落ち感は否めなかったせいか再度浮上しようとしては失敗を重ねて零落した。天木に至っては2007年の参院選に出馬して惨敗した経験しかない。
また、蓮池透の立場から考えても、山本太郎の元号政治団体からの出馬なら当選の可能性があるが、小林・天木の政治団体では当選可能性はほぼない。しかも小林は石原慎太郎直系を自認する極右だし、天木も2010年の衆議院で自民党の代表質問に立った稲田朋美を絶賛した恥ずかしい過去がある。山本と小林・天木を比較したら山本を選ぶのが当たり前だ。天木が激怒したのは、山本太郎にシカトされた上に、自らも声を掛けていた蓮池透に逃げられたためであることはほぼ間違いないが、怒る方が身の程知らずというものだ。
ごく一部で興味を持たれるであろう局所的な話題としてこの件を取り上げた次第。