kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

籠池泰典、「ムサシ」のデマを開陳して安倍晋三を援護射撃(呆)

 「安倍首相、頑張れ」の籠池康博(泰典)はいまや「7年遅れの『小沢信者』」に成り下がったらしい。

 自身も「小沢信者」とおぼしき「Dr.ナイフ」のツイートより。

 

 

 籠池の発言の動画をリンクしたツイートもある。私は動画見てないけど。

 

 

 おかげで、5年前に発信したこの日記の記事がいくつかのツイートにリンクされた。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 またか、と呆れるほかない。

 

 5年前に「きっこ」が発した謝罪のツイートを以下に貼り付けておく。

 

 

 5年前の日記に書いた結びの言葉を以下に再掲する。

 

謝罪しただけリチャード・コシミズよりマシとか言う人もいるかもしれないが、いずれにせよこれはもはやデマに頼ってしか安倍晋三を批判できなくなった「小沢信者」の末路を示すものであって、コシミズもきっこも五十歩百歩でしかない。上記の件など、安倍晋三への援護射撃以外の何物でもない。無能さこれにきわまれり。

 

 上記引用文の「きっこ」を「籠池康博(泰典)」に置き換えれば、今回の籠池発言への評価になる。

 そういえば、衆院大阪何区の補選だったかに、宮本岳志の応援演説の弁士として籠池を呼ぼうとしたことがあった。この応援演説は宮本候補のお膝元である共産党支持者の同様を招いたため中止されたが、こんなふざけた陣営から人心が離反するのは当たり前であって、だからこそ宮本候補は供託金没収の惨敗を喫したのだ。

 いい加減に失敗から少しくらいは学習したらどうだ。

セイタカアワダチソウとススキとネトウヨと

 かつて毒々しい色の「秋の名物」があった。その最盛期は1970年代頃だったか。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

 以下引用する。

 

さて、季節が秋になったことをヴィジュアル的に実感させるのは背高泡立草の花。或る日、にょきっとした背高泡立草の黄色い花が咲いているのに気づく。私にとって、日本の秋の色というのは(背高泡立草の)黄色なのだった。しかし、昔はもっと一面真っ黄色だったと思う。昔、1980年代頃までは、近所に背高泡立草のニッチが今よりも沢山あったのだった。人間の手によって自然が破壊されたけど人造が中止(停止)された場所、例えば耕作が放棄された田畑やまだ家の建っていない住宅造成地など。50年くらいのスパンで考えるとそうなのだけど、1000年という長いスパンで考えると、また違ってくる。背高泡立草は近代以降に北米からやってきた外来種なので*2、この秋の光景は藤原定家*3松尾芭蕉*4も見ることができなかったものだ。

 

出典:https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/10/28/100855

 

 そういえばセイタカアワダチソウは確実に減った。1970年代の阪神間でもセイタカアワダチソウは猛威を振るっていて、同じ黄色の阪神タイガースは毎年読売や中日や広島やヤクルト(1978年)に負け続けていたけれども、雑草の世界では決して他に覇権を明け渡さなかった。

 昔と今の何が違うって、動物ではスズメ、植物ではセイタカアワダチソウが激減したことではなかろうか。ネット検索をかけると、スズメが減ったのは巣を作れる場所が減ったからだという。

 

natgeo.nikkeibp.co.jp

 

 以下引用する。

 

 身近で文化の中にも登場するスズメだが、現在減少していると考えられている。スズメの正確な個体数調査が行われているわけではないが、さまざまな記録から、1990年ごろから減少しており、半減したと考えられる。それ以前は十分な記録がないのでわからないだけで、減少幅はもっと大きいかもしれない。

 減った原因の一つは、巣を作れる場所が減ったからである。昔の建物は屋根瓦や、軒下に手ごろな隙間があり、スズメが巣を作っていた。しかし、近年建てられた住宅は気密性が高く、このような隙間がなく巣を作りづらい。さらに、スズメが餌を採る場所も減っている。昔はよくあった、草が生えたような駐車場や空き地は舗装されてしまっている。

 

 このまま減少が続いて、いつかスズメを見なくなる日がくるかというと、そう単純ではないと思われる。というのも、現代のスズメが巣を作っている人工構造物の隙間の中には、たとえば道路標識のように、過去には存在しなかったものも多い。今後も、スズメは人間の作り出した文明にうまく対応してくれるかもしれない。一方で、ヒバリやゲンゴロウのように昔は当たり前にいた種が、消えていった例もある。油断は禁物である。

 

出典:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/033000144/

 

 東京東部では、マラソン競歩を札幌に持って行かれた(笑)五輪に合わせてか、電柱の地下化の工事が急速に進んでいるが、これもスズメを減らすことになるかどうか。

 セイタカアワダチソウに話を戻すと、この植物は周りの植物を枯らす毒素を根から発する。これをアレロパシーというらしい。

 

kotobank.jp

 

 上記「コトバンク」では、朝日新聞の「知恵蔵」でセイタカアワダチソウアレロパシーを持つ植物の代表例として挙げられているが、同じ「コトバンク」に載っている「化学辞典 第2版」から以下に引用する。

 

アレロパシー
allelopathy

他感作用あるいは遠隔作用ともいう.種々の生物が共存する自然界では,ある生物がほかの生物に対して影響を与えている場合がある.この生物間の影響が,生物により対外に排出される化学物質によって引き起こされる現象をアレロパシー(他感作用)といい,アレロパシーを引き起こす化学物質を他感作用物質という.一般には,植物がほかの植物に作用する現象をいい,クルミの木やマツの木の根本に雑草が生えにくい現象や,アスパラガスの連作障害などによる忌地(いやち)現象もアレロパシーによるものである.クルミの木のジュグロンや,セイタカアワダチソウのポリアセチレン化合物などが他感作用物質として知られている.

 

 しかし、セイタカアワダチソウが発するポリアセチレン化合物であるcis-DME(シス-デヒドロマトリカリエステル)の毒はセイタカアワダチソウ自身をも枯らしてしまう。

 その結果、一度はススキなど他の植物を駆逐したかに見えたセイタカアワダチソウが、ススキなどの反撃を受けるようになった。近年は、「セイタカアワダチソウ vs. ススキ」が宿命のライバルと化して各地で激しいせめぎ合いを演じているらしい。ネット検索するとその例がいくつもみつかる。ここでは下記に2例だけ挙げておく。

 

saitodev.co

 

plaza.rakuten.co.jp

 

 後者から少し引用する。

 

一時は日本全土を席巻したセイタカアワダチソウだったが
他の植物を殲滅した後、自分の出した毒で自分がやられているらしい。

さらに、ススキが生物的進化をはたして
セイタカアワダチソウの出す毒に耐性を持つようになったらしいのだ。

今、各地でススキが一斉に反旗を翻しているらしい。
場所によってはセイタカアワダチソウが完全に駆逐されたところもあるらしい。

 

出典:https://plaza.rakuten.co.jp/saisuke/diary/201612190000/

 

 しかし、さらに調べてみると、この「ススキがセイタカアワダチソウの毒に耐性を持つようになった」 という説は、少し怪しいようだ。

 

 以下引用する。

 

ススキ、セイタカアワダチソウの好む土壌環境

両者の適正とされる土壌環境は、農業環境研究所研究成果情報平成20年度の成果によると次のようなものです。

・pHが高いとセイタカアワダチソウが良く育つ。
・pHが低いとススキが良く育つ。
・リン濃度が高い場所ではセイタカアワダチソウが良く育つ。
・リン濃度が低い場所ではススキが良く育つ。
・pHが低い環境では、セイタカアワダチソウの成長速度が低下する。
・pHが低い環境では、ススキの成長速度は低下しない。

とのこと。つまり、痩せた日本本来の土壌ではpHが低くリンも乏く、そういう場所ではススキが特に強いということ。

ススキが盛り返した理由

次のような理由でススキが復活を遂げているようです。

セイタカアワダチソウ自身の毒で自分が成長できなくなる
セイタカアワダチソウが肥料のリンを消費しきってしまった
・土壌が日本本来の酸性に戻った

これらの条件がそろい、ススキが盛り返した考えられます。どうやらネットで拡散されているような耐性をつけて成長が早くなったとかそういうのではなさそうですが、もしススキが耐性を持ったって文献があったら教えてください。

 

出典:https://engryouri.net/other/125

 

 ここにも、ネットで流布している俗説を盲信してはならないという見本が一つあったということか。

 ネットで流布しているといえば、この「ススキとセイタカアワダチソウ」のバトルにもネトウヨ的解釈を施したトンデモブログ記事が2010年に発信されており、今も多く引用されているようだ。下記のブログ記事である。

 

nezu3344.com

 

 以下引用する。

 

(前略)

ここは日本です。
天はしっかりと見ている。

セイタカアワダチソウは、我が物顔に群生した。
そして自分たちだけの繁栄のために、地味の肥料成分までみんな吸い上げてた。
土地を枯らした。
そのために、彼ら自身が生きるための栄養分まで欠如させてしまったのです。

それだけじゃありません。
セイタカアワダチソウたちが、自らが分泌した毒素(アレロパシー)の影響で、彼ら自身まで被害を被るようになった。

おかげで、一時はあれほどの興勢を誇ったセイタカアワダチソウが、最近では自滅をはじめました。

その痩せた土壌で、それまでじっと耐えていた日本古来のススキが、野原でふたたび勢いを取り戻し始めたのです。

ススキは、セイタカアワダリソウが枯らした土地にふたたび栄養素を与え、毒素を消化し、土地にふたたび栄養素を与えます。
草影に、少しずつではあるけれど、おみなえしや、なでしこなどが戻ってきた。
モグラやミミズも帰ってきた。

一時は、自己中で排他的なセイタカアワダチソウに奪われたかに見えた空き地が、いまふたたびススキやなでしこなどの共生型の草花のものに戻ってきたのです。

ここまで来るのに、何年もかかった。
でも、着実にセイタカアワダチソウは、自滅をはじめ、日本古来の草花が、美し花を咲かせるようになってきた。


いまもまだ、排他的なセイタカアワダチソウの群生は、そこここでみられます。

けれども、彼らは、排他的であるがゆえに、一時的には興隆を誇っても、結局は自滅していく。

そしてもとからある日本の草花が、友を呼び、様々な美しい花を野原に咲かせてくれる。
日本の古来種が、いま、ふたたび野山にもどりつつあるのです。

なんだか、こうした植物たちの戦いは、日本という国そのものを見ているような気にさせられます。

いまこれをお読みのあなたが、もし、セイタカアワダチソウの群生する中に、ほんの少々のススキを見かけたら、遠くからでもいい、ぜひ「がんばれよ」と声をかけてあげてください。

ススキは、私たち日本人の仲間なのですから。

 

出典:http://nezu3344.com/blog-entry-1055.html

 

 バッカじゃなかろか、ルンバ♪

 絵に描いたような「日本スゴイ」系の醜悪な記事だが、「毒素」を出しているのは「ねずさん」と名乗るネトウヨのブログ主自身だろう。セイタカアワダチソウアメリカではアラバマ州の州花とされており、ススキは獰猛な外来種としてアメリカやカナダでは憎悪の的になっているらしいのだ。「ねずさん」はどうだか知らないが、最近のネトウヨは韓国(や中国)は激しく憎悪するものの、アメリカに対しては借りた来た猫みたいにおとなしくなるようだから、この事実を持ち出したら沈黙してしまう手合いが少なくないのではないか。

 ここらへんの話はWikipediaにも載っているから、最後に引用しておく。

 

ja.wikipedia.org

 

日本への侵入と拡散

日本国内への移入は、明治時代末期に園芸目的で持ち込まれ[8][9][10]、「昭和の初めには既に帰化が知られている」との記述が牧野日本植物図鑑にある[11]。その存在が目立つようになったのは第二次世界大戦後で、アメリカ軍の輸入物資に付いていた種子によるもの[8]等が拡大起因とされており、昭和40年代以降には全国、北海道では比較的少ないが関東以西から九州にて特に大繁殖するようになった[8]沖縄県へも侵入しているが、沖縄本島久米島などの一部地域で小規模な繁茂に留まっている[3][4]。かつては環境適用性が高いことから養蜂家に注目され、養蜂家の自家栽培などによって増殖や配布が行われた[6]

外来生物法により要注意外来生物に指定されているほか、日本生態学会によって日本の侵略的外来種ワースト100にも選ばれている[12]

昭和40年代に日本でセイタカアワダチソウが社会問題となった理由として、戦後の減反政策によって休耕田となった土地に今まで見たことのない外来種の大きい草が突然いっぱい生えてきたという他に、当時は気管支喘息花粉症の元凶だと誤解されていたことも一因であったが、セイタカアワダチソウ虫媒花風媒花ではないので、花粉の生成量は少ない上に比較的重く形状も風で飛ぶのには不適であるため[11][13]、無関係と考えられている[9][11]

盛衰

昭和40年代の繁殖状況は、アレロパシー後述)効果でススキ等その土地に繁殖していた植物を駆逐し、モグラネズミが長年生息している領域で肥料となる成分(主として糞尿や死体由来の成分)が多量蓄積していた地下約50センチメートルの深さまでを伸ばす生態であったので、そこにある養分を多量に取り込んだ結果背が高くなり[1]、平屋の民家が押しつぶされそうに見えるほどの勢いがあった。

しかし、平成に入る頃には、その領域に生息していたモグラやネズミが駆除されてきたことによって希少化し土壌に肥料成分が蓄えられなくなり、また蓄積されていた肥料成分を大方使ってしまったこと[1]、自らのアレロパシー効果により種子の発芽率が抑えられる等の理由により、派手な繁殖が少なくなりつつあり、それほど背の高くないものが多くなっている。また、天敵のグンバイやガ、ウドンコ病が時を同じくして北米から日本に侵入し、それらへの抵抗性が低下していた日本個体群は大打撃を受けてしまった(現在は抵抗性が再び上昇傾向)。

セイタカアワダチソウの勢いが衰えてきた土地にはススキなどの植物が再び勢力を取り戻しつつある[1]

日本各地で刈取りや抜き取りなどの駆除活動が展開されている[14]

ちなみに、北アメリカでは逆にススキが侵略的外来種として猛威を振るっており、セイタカアワダチソウなどのゴールデンロッド類の生息地が脅かされている[15]

アレロパシー

 

アレロパシーを有しており、根から周囲の植物の成長を抑制する化学物質を出す。これはcis-DME(シス-デヒドロマトリカリエステル[16][17]、methyl dec-2-en-4,6,8-triynoate)という名称で知られ、アルケン及びアルキンカルボン酸エステルである。

セイタカアワダチソウは、千葉大学教授の沼田眞によって日本初のアレロパシーの実験に使われ、日本の植物で初めてアレロパシーが認められたことで、日本のアレロパシーの代表的植物として名高く、cis-DMEの働きは1977年に沼田によって解明された[18]。沼田眞は、ドイツのハンス・モーリッシュが1937年に提唱したアレロパシーを千葉のセイタカアワダチソウで実証し、1977年の論文「植物群落と他感作用」において「アレロパシー」を「他感作用」の名称で日本に初めて紹介し、その概念を広めた、日本の植生生態学の父である。

沼田は、セイタカアワダチソウから発見された「cis-DME」(根の乾物中に約2.5%存在)が、セイタカアワダチソウが生えている千葉の土壌にも5ppm存在し、しかもすぐに土壌微生物に分解されることなく地中に留まり続ける、アレロパシー物質であることを解明。cis-DMEは、濃度が10ppmを超えるとイネ・ブタクサ・ススキの生育を地上部・地下部共に顕著に抑制する。ただし、これらの種子の発芽障害は起こさなかった。一方で、cis-DMEは濃度が10ppmを超えると、セイタカアワダチソウ自身の種子に対する強い発芽障害を起こす。このような背景から、それまでセイタカアワダチソウが存在しなかった(cis-DMEに汚染されていなかった)戦後の日本でセイタカアワダチソウが急激に広がったと沼田は論文中で結論付けた。

日本の休耕地に侵入したセイタカアワダチソウがススキによって抑えられる運命にあることは、沼田が一般向けに出版した書籍『図説 日本の植生』でも触れられている(沼田が調査した千葉市耕作放棄地では、耕作が放棄されてから3-4年で一面を覆ったセイタカアワダチソウが、3年でススキに劣勢となってしまった)。ただし、乾燥した場所ではセイタカアワダチソウがすぐにススキに抑えられるのに対し、湿った場所ではセイタカアワダチソウの優占が長く保たれる。これは浸出したcis-DMEの作用によるものと沼田は考えている[19]。いずれにしても、草原にセイタカアワダチソウやススキなどの多年生草本が優占する状態は長続きせず、遷移においては草原の最終段階であり、撹乱(火入れや草刈りなどの人為的撹乱)が起こらなかった場合は普通10年程度でアカマツやシラカンバなどが侵入して、草原から低木林に遷移する。

 

出典:セイタカアワダチソウ - Wikipedia

 

 セイタカアワダチソウもススキも、人間が何もしなければ(=人為的攪乱がなければ)、草原が滅亡して低木林に取って代わられる段階で一時的に覇権を握るに過ぎない植物なのだ。そんなものにネトウヨ的価値観を持ち込んで、ススキに「がんばれよ」と声をかけろ、ススキは、私たち日本人の仲間なのだから、などとはいったい何を考えているのか。

 ブログ主も愚劣なら、このブログ記事を無批判に引用した人たちも情けないとしか言いようがない。

「英語試験見直し 『萩生田氏守るため』官邸が主導」(毎日)

 毎日新聞のサイトに「英語試験見直し 『萩生田氏守るため』官邸が主導」と題した記事が載ったらしい。例によって有料記事だが、タイトルだけで中身の想像がつく。とはいえ記事の核心部分にはアクセスできないため、ここでは記事に対する反応を紹介する。

 まず「はてなブックマーク」より。

 

b.hatena.ne.jp

 

英語民間試験見直し 「萩生田氏守るため」官邸が主導 - 毎日新聞

「萩生田氏を守るために、試験見直しを野党に差し出した」ゲロ吐きそう

2019/11/02 01:07

b.hatena.ne.jp

 

英語民間試験見直し 「萩生田氏守るため」官邸が主導 - 毎日新聞

思いやりにあふれた決断だね

2019/11/02 05:57

b.hatena.ne.jp

 

 続いてTwitterより。

 

twitter.com

 

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 すさまじい腐臭だよな。このエントリも萩生田の画像で埋め尽くされた。半世紀前の神崎川阪急電車の三国・庄内間)を思い出させる悪臭が流れてきそうな勢いだ。

 みんな、よくこんな政権に我慢してられるな。

 なお、同じ極右政治家であっても、菅原一秀や河井克之は切られて萩生田光一は守られることは興味深い。

英語民間試験 来年4月からの実施を見送りへ(NHK)

 萩生田光一の「身の丈」発言が引き金となって、結局大学入試の英語民間試験は延期になった。以下NHKニュースより。

 

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191101/k10012159841000.html

 

英語民間試験 来年4月からの実施を見送りへ

萩生田大臣の「身の丈にあわせて」という発言が問題となった新たな大学入試に導入される英語の民間試験。文部科学省は、予定していた来年4月からの実施を見送る方針を固めたことが関係者への取材でわかりました。

文部科学省は、来年度から、今の大学入試センター試験に代わって、「大学入学共通テスト」を新たに実施します。英語の民間試験は、この共通テストの柱の1つとして導入が決まり、ベネッセや日本英語検定協会など6つの事業者による検定試験が実施される予定でした。

しかし、文部科学省などは、1日までに、来年4月からのこの民間試験の実施を見送る方針を固めたことが、関係者への取材でわかりました。

試験まですでに半年を切り、1日、受験に必要な共通IDの手続きが始まるのを前に、50万人に上る受験生への影響を考慮し、判断したものとみられます。

民間試験をめぐっては、利用する大学から、難易度の異なる試験を、合否判定に使うことは難しいという指摘が相次ぎ、結果的に、初年度利用する大学と短大は、全体の6割ほどにとどまる見通しとなりました。

また、高校や受験生からも、受験料などの費用負担が大きいといった問題に加えて、先日の萩生田大臣の「身の丈にあわせて」という発言や、事業者側から、試験会場などの詳細な情報が10月になっても、公表されなかったことなどに、不満が高まっていました。

萩生田文部科学相 実施延期を表明へ

萩生田文部科学大臣は、大学入学共通テストに導入される英語の民間試験について、受験生の不安を解消するのは難しいとして、予定していた来年4月からの実施を延期する方針を固め、このあと、表明することにしています。

大学入学共通テストに導入される英語の民間試験をめぐって、野党側は、「地方の所得の低い家庭の子どもが影響を受ける制度だ」などとして、導入を延期するよう求めていて、政府・与党内からも政策的に欠陥があるなどとして延期すべきだという意見が出ています。

こうした中、萩生田文部科学大臣は、英語の民間試験について、受験生の不安を解消するのは難しいとして、予定していた来年4月からの実施を延期する方針を固め、このあと、閣議のあとの記者会見で表明することにしています。

英語民間試験 導入の経緯

英語の民間試験は、今から2年前、毎年およそ50万人が受験する大学入試センター試験に代わり、再来年1月から行われる「大学入学共通テスト」に導入されることが決まりました。

これは、1990年に共通1次試験から、センター試験に切り替わって以来の、大きな入試制度改革でした。

民間試験の導入は、日本人が苦手とする英語のコミュニケーション力を向上させるためでした。

そのためには、話す力と書く力の育成が欠かせませんが、今のセンター試験で測定しているのは、読む力と聞く力の2種類だけです。

そこで、文部科学省は、すでに話す力と書く力を測定する検定試験を行っていた民間事業者を活用することを決めました。

2018年3月、国は公募によって選んだ、次の7つの事業者の名前を公表しました。

ケンブリッジ大学英語検定機構が実施する「ケンブリッジ英語検定」、
▼EducationalTestingServiceが実施する「TOEFL iBT」、
▼ブリティッシュ・カウンシル、
▼IELTSAustraliaが実施する「IELTS」、
ベネッセコーポレーションが実施する「GTEC」、
▼日本英語検定協会が実施する「英検」、「TEAP」、そして、「TEAP CBT」、
国際ビジネスコミュニケーション協会が実施する「TOEIC」です。

一方で、今の英語のセンター試験については、この民間試験と並行する形で初めての共通テストとなる来年度から4年間は、従来通り実施するとしました。

その仕組みは、受験生が来年4月から12月の間に、希望する民間試験を2回選んで受けるというもので、もし3回受けても、2回分のスコアしか採用はされません。

スコアは、大学入試センターを通じて、受験する大学に提供され、各大学の判断で、出願資格や合否判定に使われることになっていました。

戸惑う大学や短大 利用は6割にとどまる

この民間試験について、全国の国立大学で作る「国立大学協会」は、2年前、活用する方針を明らかにしましたが、各大学からは戸惑いの声が上がりました。

その理由の1つが、難易度の異なる民間試験のスコアをどうして1つの物差しで測れるのか、でした。これについて、国はセファールと呼ばれる国際的な基準により、可能だとしましたが、厳格さが求められる合否判定に活用することは難しいなどとして北海道大学東北大学など、見送る大学が出始めます。

さらに、東京大学などは、受験資格には活用はするものの、合否判定には使わないことを決めました。その結果、初年度に民間試験を利用する大学と短大は629校、全体の6割ほどにとどまりました。

事業者も混乱 高校や受験生から延期求める声

試験を行う事業者側も混乱が続きました。公正公平な試験を実施するため、受験料や採点の体制、さらに試験会場などについて、国からさまざまな注文が出されたためです。

これにより、事業者側も調整が難航し、高校や受験生に対して、試験の日程や場所などの基本的なスケジュールがことし夏になっても示されないままでした。

さらに、7つの民間事業者のうち、TOEICの事業者が、7月に撤退することを明らかにし混乱に拍車をかけます。

その結果、全国の高校の校長でつくる団体は試験の実施方法などの情報提供が不十分だとして、文部科学省に、初年度は民間試験を延期するよう異例の申し入れをしました。

さらに、受験生からも、試験会場が少ない地方は不利だという声や、検定料が高すぎるという声が相次ぎました。

萩生田大臣「身の丈」発言に野党などから批判

9月に就任した文部科学省の萩生田大臣は、「受験者が安心して活用することができるよう、万全の体制を整える」と述べて、試験は予定どおり実施する考えを重ねて強調していました。

しかし、先月、民放の番組で、この民間試験について、「身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」などと発言したことが、野党などから批判をあび、萩生田大臣は陳謝するとともに、受験生の不安の解消に取り組むとしていました。

そして、予定ではきょう11月1日から、民間試験の受験者が必要とする共通IDの申請が、全国一斉に始まることになっていました。
 
NHKニュースより)

 

 民間英語試験とは、新自由主義イデオロギーの中核を表す標語である「官から民へ」(これは正しくは「公から私へ」と表記されるべきだと思うが)を地で行く論外の施策であることは明らかだ。これを推進した安倍ネオリベ政権は、また失点を記録した。

 このところ同政権では、経産相菅原一秀と法相・河井克之が相次いで大臣辞職に追い込まれる事態を招いた。経産相と法相といえば、閣僚の中でも重量級の大臣であって、それが2人も辞職するとなれば、普通の政権だったら直ちに総理大臣の責任が厳しく追及されて内閣総辞職の危機を迎えるはずだが、マスメディアの報道を見ても、内閣官房長官菅義偉が打撃を受けたなどと呑気に報じられている程度で、安倍晋三の首相の座はびくともしていないようだ。次期総理大臣を狙っているとされる菅の野心を嫌った安倍が、菅につながる人脈の大臣辞職のハードルを下げた結果だ、と穿った見方をする人たちもいる。安倍に対する批判がいっこうに強まらないのはまさに「批判する言説が絶え果てた『崩壊の時代』」の言論状況というべきであって、寒心に堪えない。

 つまり、現状は菅義偉の権勢に「やや陰りが見える」程度であって、安倍晋三の牙城はびくともしていないのだ。

 「崩壊の時代」を自力で終わらせるのは難事業であることを肝に銘じる必要がある。過去に犯した大失敗に何の反省も総括もしていない鳩山由紀夫植草一秀をまたぞろブレーンに抱えるらしいノーテンキな某野党も、その某野党に引っ掻き回されている既成野党も、厳しい現状を直視した方が良い。

植草一秀は付き合うだけでアウトの「商売陰謀論者」。山本太郎は植草と絶縁すべし

kojitaken.hatenablog.com

 

 上記記事のコメント欄より。

 

れxx新選組の信者でない支持者

 

山本太郎は、頭の良い人で、他人の良いところから学び、悪い影響は排除する。植草一秀小沢一郎の政策でも、間違っていると思えば、躊躇なく捨て去る。

結果として、彼はほぼ正しい選択をしている。反緊縮の積極財政を主張し、困っている人たちの味方であり、反グローバリストであり続け、それが変わることは全く考えられない。この点に関しては非常に頑固で一貫している。

 

 いや、植草一秀との接点があるだけでアウトですよ。

 

 

 上記ツイートに「支持者のなかには、松尾匡氏がブレーンだと植草氏の関与を否定したがる人もいた」と書かれていますが、植草がそれくらいトンデモな陰謀論者であるという認識が、山本太郎支持者たちの間にも広く共有されているということです。彼らも松尾匡がブレーンなら希望は持てるけど、植草は勘弁してほしいと思っているわけです。

 植草は2000年代前半まではテレビにもよく出演していた売れっ子の「エコノミスト」であり、岩波書店からも著書を出し、石橋湛山賞の受賞歴などもありますが、2004年と2006年の二度にわたって痴漢で逮捕され、2009年には有罪が確定して収監されました。そこから再起する際に、植草は小沢一郎一派を熱烈に応援するとともに、陰謀論に手を染めたわけです。

 植草はもともと小泉構造カイカクには批判的ではありましたが、安倍晋三のシンパでした。それは、彼が二度の逮捕後自費出版した『知られざる真実 - 勾留地にて』を読めば、まともな読解力のある人間なら誰でも読み取れます。彼は元来、右翼民族主義系の人なのです。同系列の人として孫崎享がいます。孫崎の『戦後史の正体』(2012)は、日本国憲法をわずか7頁の「押しつけ憲法論」で退け、岸信介佐藤栄作を「敢然とアメリカに対峙した『自主独立派』の政治家」と称揚するトンデモ本です。私は、政権再交代前の2012年の段階では、孫崎は当時自民党内で不遇をかこっていた安倍晋三小沢一郎一派と共闘させたかったのではないかと推測しています。孫崎は本心から陰謀論を信じている可能性がかなり強いと思います。

 植草の場合は、孫崎とは違って、おそらく本心から陰謀論など信じていなかったと思いますが、ブログに陰謀論を書いたら簡単に「信者」が賛同してきたので、それに味をしめて、多数のブログ読者を獲得したのを足がかりとして、出版業界や、あわよくばアカデミズムの世界でも復権を果たしたかったのでしょう。実際、2007年に『知られざる真実 - 勾留地にて』を自費出版するまでに追い込まれていた植草は、民主党への政権交代に一定の貢献をしたと認められたのか、2013年には講談社から本を出すまでに復権しました。しかしその頃には既に安倍晋三が政権に返り咲いていて、民主党が長い低迷期に入ったことから、植草の復権は中途半端に終わり、彼の野望は成就しませんでした。

 私が植草を全く信用ならないと思うのは、おそらく当人も全く信じていないであろう陰謀論を、読者を騙すために平然と利用する彼のニヒリズムにあります。いかにも東大(経済学部)卒の人間にありがちな大衆蔑視だよな、と前々から苦々しく思っていました。本業はスリーネーションズリサーチ代表取締役という、投資コンサルタント会社の経営者である植草が、「本当に困っている人たちの味方」であろうはずはありませんし、こんな人士とつるんでいるだけでも政治家として信用されないのは当たり前です。

 実際、2009年の政権交代期から2012年までの民主党政権時代から既に、植草は鳩山一郎とは本当につるんでいたものの、小沢一郎とは単なる「おつきあい」の間柄に過ぎませんでした。リアルの権力闘争に命懸けだった小沢にとっても、植草はまともに相手にする存在ではなかったということです。

 今回の斎藤まさしのインタビューがどこまで真実を語っているかは明らかではありませんが、植草や鳩山由紀夫とつるんでいると見られるだけでも、山本太郎には大きなダメージとなります。本当に政界で生きていこうと思うのであれば、山本太郎は鳩山や植草とは絶縁しなければならないと思う次第です。

 

 同じ記事のコメント欄からもう一件。

 

id:suterakuso

 

私も某人のツイッター経由で「オールジャパン平和と共生」の「運営委員会」が「れいわ新選組の政策を作った」なる話を見たばかりでした(同じ流れのソースかもしれませんね。)。私が見たツイートには、この「運営委員会」へのリンクと簡単な一部人物解説がありました。そのリンクが次のものです。

https://www.alljapan25.com/2018/03/18/運営委員2018年%EF%BC%91月現在/

名前を見ると、

植草 一秀
長内 経男
黒川 敦彦
斎藤 まさし
佐久間 敬子
さゆふらっとまうんど
高橋 清隆
壺井 須美子
野田 靖志
安田 節子
山田 正彦

となっています。
さゆふらっとまうんどとは、N国党から千葉で立候補した平塚正幸とのことです。

こちらのブログで名前が登場したことがあるのは、植草、斎藤以外には、黒川敦彦と山田正彦でしょうか。黒川は天木直人の仲間として、山田は小沢一味としてですかね。

おえおえっですね。

 

 壺井須美子の名前もありますね。この日記で取り上げたことはなかったかもしれませんが、三宅雪子に「極オ(極端なオザシン)」と呼ばれたエキセントリックな「小沢信者」として、その悪名は存じ上げています(笑)

山本太郎と山本元号党の「終わりの始まり」を告げる斎藤まさしインタビューに呆れ返る

 参院選から3か月が経過し、党名に元号を冠した山本太郎の話題も下火になるとともに各種世論調査による同党の政党支持率も1%を切ることが多くなった。そんなタイミングに、以前から山本太郎のブレーンと目されていた斎藤まさしがインタビューに応じたが、私にはとんでもない「うしろ弾」にしか見えなかった。

 

www.newsweekjapan.jp

 

 インタビューは長い。以下抜粋して引用する。

 

――山本太郎さんとの出会いについて。

2012年の10月下旬ぐらいかと思う。野田(佳彦)くんが衆議院を解散するという、ほぼ確実な情報が入ってきた。僕は菅(直人)さんが消費税10%を容認し、TPP(環太平洋経済連携協定)を持ってきた時点で民主党支持はやめていた。

民主党の中にも「民主党じゃダメだ」と言う人はいたし、国民も既存の政党を信用していないから、永田町の外から新党を作ろうという話が出てきた。そこで当時の滋賀県知事で現・参院議員の嘉田由紀子さん、菅原文太さん(故人)や坂本龍一さんといった人たちに呼び掛けてもらい、そこに議員が合流する形で新党を作ろうということになった。その呼び掛け人の1人に上がったのが山本太郎だったんです。

彼が反原発のデモを始めた頃から、僕は注目していたので、ある人を介して、十数名の国会議員と一緒に彼に会った。そのときが初対面だったけど、「呼び掛け人になるだけじゃなくて、(あなたも)選挙に出るしかないだろう」と言っちゃったんですよ。本当に原発を止めたいなら、ほかに方法はあるか? 政権取るしかないんじゃない、と。

でも、そのときは反応がなかったし、連絡先の交換もしなかった。ただ、そのあとで衆院選が近づいたとき、友人を介して、太郎のほうから「会いたい」と連絡が来た。会ってみたら、「衆院選に出る」と。そのときは橋下徹が出るという噂もあって、「大阪で橋下が出たら自分がぶつかって出たい」と、太郎は言っていた。それが一番メディアの耳目を引くことになるから、それで原発を訴えたい、という話だった。

結局、橋本(原文ママ)は出なかったので、太郎も出るか出ないか直前まで迷っていた。選挙区の候補はいろいろあったが、東京の自民党で一番の強敵である石原伸晃がいる杉並(東京8区)にしたいと彼は言っていた。公示の前日の夕方に代々木の喫茶店で太郎を含めた4人で話をして、最終的にそこに決めた。僕は「杉並だと勝てない。東京1区はどうか。必ず勝たせる」と言ったんだけど、本人は勝てると思っていたんじゃないかな。知名度や、反原発をやっていることで、多少自信があったと思う。

今でも僕の中でいちばん印象に残っているのは、この代々木の喫茶店でのこと。もう1つは、この衆院選に負けた後のこと。一緒に飲んだり、朝まで歌ったり、喧嘩もしながら結構付き合った。(2013年7月の)参院選に出ると決めるまでの約半年間は、彼が非常に悩んだ時期なんですよ。参院選の2カ月くらい前に、彼から「東京選挙区で出たい」と言われ、やる以上は今度は勝とうぜ、って僕は言った。その頃のことが、2番目の思い出かな(*この参院選で初当選)。

 

出典:https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/10/-19804020092015-6-115-20121010tpp-1.php

 

 引用文中に出てくる「新党」とは、言わずとしれた「日本未来の党」で、鳴り物入り東京新聞日刊ゲンダイなどに宣伝されたものの、わずか9議席しか獲得できない歴史的惨敗に終わった。山本太郎未来の党からではなく、無所属で東京都杉並区の東京8区から立候補したものの落選した。

 山本太郎が2012年の衆院選橋下徹が出るなら、橋下と同じ選挙区に対立候補として立候補したい、その旨橋下に伝えたけれども彼は出馬しなかったという話は、2か月前に読んだ山本のPR本(ゴーストライター木村元彦)のちくま文庫版にも載っていた。この本は、2012年に集英社から出た本を文庫化したもの。

 

www.chikumashobo.co.jp

 

僕が見る限り、(山本太郎は)最初から一貫して、既存の政治システムに対して否定的で、それに依存しないで新しい政治を作ろうとしている。僕は6年間付き合ってきたけど、そこは一度もぶれていない。ただ、今も野党共闘を呼び掛けているように、既存の政党を全否定しているわけじゃない。

今の野党は、人々の生活にかかわる問題、主に経済政策でアベノミクスに対抗するものを提案できていない。だから、太郎はそれを何とかやろうとしている。実は(れいわの公約は)太郎が作った政策ではない。鳩山(由紀夫)さんや経済学者の植草(一秀)さんがやっている「オールジャパン平和と共生」というグループがあって、基本はそこの運営委員会で煮詰めた案なんです。

あの案は太郎にだけじゃなくて、立憲民主党や国民民主党の幹部にも、「政権を取るためには、これでまとまれ」と昨年から提案している。最低賃金1500円にしたって、奨学金チャラにしたって、どこの党にも提案している。れいわだけが、(公約として)ほぼ丸のみしてくれた。

連合も、消費税を10%に上げろと要望した。だから立民も国民も、消費税については連合とぶつかっている。連合はしょせん労働者の10%台しか組織していなくて、基本は正社員だけ。今は労働者の4割が非正規で、8割は連合に組織されていない人たち。そうした未組織の労働者、TPPやFTA自由貿易協定)でつぶされている一次産業の従事者、中小零細企業と個人事業者、あとは無年金の老齢者とか障害者などいわゆる社会的弱者と言われる層が、今の政治で一番苦しんでいる。人口の8割を占める彼らが「俺たちの政党だ」と思えるものができれば、政権交代なんて一発でできる。

 

出典:https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/10/-19804020092015-6-115-20121010tpp-1_2.php

 

 あーあ、と思ったのは太字にした部分、特に赤字で示した固有名詞だ。ダメだこりゃ。つい最近、鳩山由紀夫が「共和党」を立ち上げるとかいう話をブチ上げ、何考えてるんだこいつ、と思ったが、どうやら山本太郎と合流して政界に復帰しようとしているのではないか。

 植草一秀については、参院選の前だったか、ある週刊誌(確か週刊新潮だったと思う)に、山本太郎は一頃は松尾匡にずいぶん傾倒していたが、今では植草一秀を経済政策のブレーンにしているらしいと書かれた記事を立ち読みしたことがある。ありそうな話だとは思ったが、どうやら本当だったようだ。その記事を読んだ時にも、植草なんかと本当につるんでいるなら山本太郎も先行きは暗いなと思ったが、現にそうなりつつある。

 植草一秀は、確かリフレには全くの否定派で、むしろデフレを容認するようなエコノミストだったはず。しかも彼の本業は投資コンサルタントだ。どう考えても「本当に困っている人たち」の味方などではない。このあたり、山本太郎の支持者たちはどう考えているのだろうか。またリフレ派の人たちの意見もうかがいたいものだ。

 

――山本さんの欠点は何だと思うか。

欠点と魅力は、すべて裏表。太郎について、好き嫌いがはっきり分かれるってことは、その長所が強烈だってことの裏返しなんだよね。だから、欠点=長所なんだよ。あの胆力は、敵をたくさん作ってしまう。でも強い味方も作る。野党のリーダーは、そういう人でないと無理なんです。だって権力がないんだから。それでも支持者を引き付ける。だから、敵はいていいし、それ以上の味方がいればいい。叩かれないようなやつは、本当のリーダーにはなれない。

今は太郎にとって試練の時期だと、僕は思っている。これまでは小沢(一郎)さんと共同代表だったが、今は山本太郎の個人事務所と個人後援会、いってみれば個人商店です。公党になったから、組織として人の面倒も見ていかないといけない。角さん(田中角栄)を見れば分かるように、リーダーにとって大事なのは、最後は人を見る目。それがないと、人がついてこない。太郎がその目を持てるのか。角さんのように、官僚も含めて人たらしになれるのか。それが彼にとっての分かれ道だ。

 

出典:https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/10/-19804020092015-6-115-20121010tpp-1_4.php

 

 「人を見る目」というなら、鳩山や植草をブレーンに選んだ時点で「見る目がなかった」ことを山本太郎自らが示したも同然だろう。今では誰も知らないだろうが、2009年の政権交代前、ネットでは小沢一郎鳩山由紀夫植草一秀の3人を「政権交代の『三種の神器』」と呼んで崇拝していた熱狂的な「信者」たちがいた。しかし彼らの末路は実にあっけなかった。いわば自滅だったし、彼らが自滅したあとに悪夢のような「崩壊の時代」が第2次安倍内閣発足と同時に始まって今に至る。この事態を招いた「戦犯」たちをブレーンにした山本太郎の見る目のなさは、本当にどうしようもない。

 

――今後、山本さんがつまずく可能性は?

あらゆる事態が想定される。殺されるとかもあり得る。日本の富を独占しようとしている人たちにとっては、石井紘基よりも危険人物だから。

平成は消費税とともに始まり、この30年で経済が、日本が没落していった。今の上皇は、そういう状況にじくじたる思いを持っていると思う。(上皇は)太郎に対しては親近感を持っているかな、と僕は思っている。それを一番感じたのは、(園遊会での)太郎のお手紙事件があったとき。右翼からの批判がすごく、その先頭に立っていたのが昨年亡くなった鴻池(祥肇)さんだった。彼は天皇主義者で、太郎に(ナイフが入った封筒が届いたとき)「切腹用の刀が送られたそうだ」と発言した。そのとき上皇(当時の天皇)は宮内庁の記者会見で「天皇が心配している」と言わせた。太郎のところにカミソリや銃弾が送られてきたりとすごかったのが、この瞬間にぴたりとやんだ。鴻池さんはそれから死ぬまで、太郎の面倒を随分と見てくれた。それは鴻池さんが、上皇のそういう気持ちを感じ取ったからではないか、と俺は勝手に推測している。

参院選では、菅さん(官房長官)を中心にした官邸は、天皇の代替わりキャンペーンを最大の武器にしようとした。ものすごい金を突っ込んでたんだよ。でも太郎が「れいわ」を使った瞬間に、それを封じられたと思う。

 

出典:https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/10/-19804020092015-6-115-20121010tpp-1_5.php

 

 このあたりになると開いた口が塞がらなかった。何を言っているのかさっぱり意味不明だが、山本太郎のみならず、前天皇山本太郎に親近感を持っているだのと語り、天皇主義者だと認定した故鴻池祥肇に面倒を見てもらったことを感謝するあたり、山本太郎のみならず斎藤まさしもまた、相当な天皇主義者なのだなと呆れた。

 

 今回の斎藤まさしインタビューは、山本元号党の「終わりの始まり」を告げるものになるだろう。

格差容認の「身の丈」発言を発した萩生田光一とはいかなる人物か

 萩生田光一のクソ発言については、毎日新聞も多く取り上げているようだが、このところこの新聞のネット配信記事は「有料記事」の壁が高いなどの理由で引用する気にならないので、東京新聞から引用する。

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/education/edu_national/CK2019102602100031.html

 

英語民間試験 文科相「身の丈で」 「格差を容認」反発広がる

 萩生田光一文部科学相が大学入学共通テストの英語で導入される民間検定試験について、家計状況や居住地で不利が生じるとの指摘に「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」とテレビ番組で述べ、教育関係者や受験を控えた高校生の間で、「格差を容認するのか」といった反発が広がった。

 萩生田氏が発言したのは二十四日夜のBSフジの番組。受験生の間で不公平が生じる懸念について「『あいつ予備校に通ってずるい』というのと同じだと思う」との見方も示した。一方、民間試験の実施に当たり「(受験生に)できるだけ負担がないように知恵を出したい」とも話した。

 ツイッター上では「貧乏人は高望みするなということか」「財力で生じる教育格差の是正が文科省の仕事のはずだ」などの声も上がっている。

 民間試験を巡っては、経済格差や地域格差が解消される見通しが立たないなどとして、全国高等学校長協会が二〇二〇年四月からの開始を延期するよう求めている。

 

東京新聞より)

 

 萩生田光一は単なる極右にとどまらず、強硬な新自由主義者であることを明確に示した発言だといえる。ここでいう新自由主義とは、格差の拡大を放置し、階級を固定しようとする思想であって、エスタブリッシュメント層による反動ともとらえられる。

 そこで萩生田光一とはいかなる人物なのか、この人物が安倍晋三側近の極右であることはもちろん知っていたが、経歴その他は全然知らなかったのでちょっと調べてみたら、世襲で東大法学部出身でもあるのかとの予想に反して、東京都八王子市出身の非世襲明治大学商学部卒、八王子市議を3期10年務めたあと東京都議を経て2003年の衆院選で初当選。2009年の政権交代選挙では比例復活もならず落選したが、落選中は加計学園系の大学として悪名高い千葉科学大学危機管理学部客員教授として糊口を凌いでいたらしい。要するに若い頃から右翼思想に目覚めて活躍していたところに自民党の清和会系から目をつけられて衆院議員になり、安倍晋三の側近グループに加えてもらって衆院選で落ちた後の浪人時代にも安倍と加計学園に助けてもらった。こんな経緯もあって、萩生田光一は今や、格差拡大放置・階級固定を教義とする新自由主義の権力者と化しているわけだ。

 この萩生田光一ほどむかつく奴も少ないが、こんなのを側近に抱える安倍晋三自身もまた新自由主義の権化そのものであることは、もっと広く周知されて然るべき事実だ。