kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「れいわローテーション」は党を揺るがす時限爆弾になる恐れ(鮫島浩)

 名前に元号を冠した某組の「ローテーション」について、応援団長格の元朝日新聞(といっても朝日をとってた頃にこの人の署名記事を読んだ覚えは一度もないけど)・鮫島浩が「党を揺るがす時限爆弾になる恐れ」と言っている。

 

 

samejimahiroshi.com

 

 弊ブログが鮫島の記事を紹介することなどこれが初めてだと思うが、大島九州男氏について書かれた部分を以下に抜粋する。

 

水道橋博士が残した比例1議席を受け継ぐ「れいわローテーション」は今後の衆参選挙で継続してこそ本物である〜党を揺るがす時限爆弾になる恐れ、大島九州男氏の動向が焦点に

 

(前略)この「奇策」は、最初に繰り上げ当選する大島氏が1年後に自発的に参院議員を辞職することではじめて成り立つ(仮に大島氏が辞職に応じなければ、党は大島氏を除名することはできても参院議員を辞めさせることはできない)。そしてこの「奇策」が一定の合理性を保ち、世論の理解を得て成功するには、以下のふたつの条件が必要であると思う。

 

①残り任期を務め上げる立場にある大島氏や彼に投票した支持者たちが党の方針に共感し(少なくとも理解し)「自発的辞職」を円滑に受け入れること

②ローテーション制を今回限りの単発措置に終らせず、「多様で多彩なメンバーが国民の負託に応えていくことを目指す」(山本代表)という党の理念が今後の党運営・選挙戦略にも受け継がれていくこと

 

以上の点を踏まえて分析を進めよう。

 

(中略)れいわ新選組があらかじめ比例代表のローテーション制を掲げて参院選に臨んだのならば、有権者はそれを承知で政党を評価し、投票すればよい。それは政党の政治理念を具現化する選挙の戦い方を明示して有権者の判断を仰ぐという、民主主義のお手本のような試みとなったに違いない。

 

しかし今回の参院選時点ではローテーション制が採用されるとは誰も思っていなかった。当選者が議員辞職する事態が発生した場合は、得票数が多い者が繰り上げ当選して残り任期を務めるという前提で、各候補や支援者たちは一票でも多くの個人票獲得を目指して選挙運動を展開し、有権者もそれを前提に投票先を決めたと解するべきだろう。

 

今回のローテーション制採用は、水道橋博士の思わぬ議員辞職を受けた緊急対応であるにせよ、ゲーム終了後のルール変更という側面は否定できない。制度上は「それぞれの議員が1年交代で自発的に辞職してバトンタッチしていく」ことは可能であるが、それを実際に行う大前提として「大島氏に期待して投票した有権者の理解を得ること」が政治的には不可欠だ。大島氏に一票を投じた28,123人全員の納得を得ることは現実的ではないにしても、大勢の理解を得るための最大限の努力が尽くされなければならない。そのためには28,123人の期待を背負った大島氏本人の政治的了解が最低限必要である。

 

(中略)有権者たちがローテーション制への支持・不支持を決める拠り所とするのは、やはり大島氏本人の態度であろう。ローテーション制の発表時点で、大島氏をどこまで納得させられたのかどうかが、今回の「奇策」の成否を分ける重要な鍵であった。

 

私はその意味でローテーション制発表後の大島氏の振る舞いを注視していた。山本代表と大石共同代表、他のローテーション参加者と並んで記者会見に臨んだ際、大島氏が水道橋博士への敬意を深く示したものの、ローテーション制については多くを語らず、「私は与えられた役割と使命をしっかりと果たしていく」「国民の声をしっかり代弁するという視点で実行していく」と述べるにとどめたことは気になった。

 

大島氏が記者会見でローテーション制の意義を積極的に説き、自らの任期を1年に短縮してでも「れいわの多様性」を飛躍させることへの熱烈な思いを語ったならば、ローテーション制は輝かしい第一歩を踏み出したに違いない。どんなに与野党から批判が噴出しても、れいわ新選組の内部が一枚岩ならば、跳ね返せるはずだ。

 

党執行部は本来ならそこまで環境を整えたうえでローテーション制を打ち出すべきだったと私は思う(多くの政党を取材してきたが、このあたりの党内調整力はやはり自民党が抜きん出ている)。

 

しかし大島氏の表情は終始硬く、ローテーション制を必ずしも快く受け入れたわけではないという気配がにじんだ。この映像を見る限り、大島氏に投票した28,123人は不安を感じたに違いない。

 

大島氏に投票した有権者の多くがローテーション制を拍手喝采する舞台を整える段取りが政治技術(あるいは政治芸術)と呼ばれるものなのだろう。そのためにはローテーション制の「主役」である大島氏が国民(あるいは大島氏に投票した有権者たち)に向かって自らの言葉でローテーション制の意義について熱弁をふるう場面が、あの記者会見にはどうしても必要であった。それを欠いたのは、政治舞台の演出としては二流であったというほかない。

 

大島氏が口にした「国民の声をしっかり代弁する」という言葉は、党執行部よりも自らに投票した28,123人の声に耳を傾けるという決意のようにも私には聞こえた。大島氏の納得を完全に得るには至らないままの見切り発車だったというのが実態ではないか。

 

大島氏のツイートも昨年12月20日以降、しばらく更新されていなかった。久しぶりに投稿されたのは参院議員に復帰した1月18日の登院写真だ。この間、ローテーション制をめぐるやりとりが党執行部との間で重ねられたことがうかがえる。ツイッターでも記者会見と同様、ローテーション制そのものへの立場は表明されていない。

 

 

おそらく大島氏は今後の対応について明言を避け、当面は政界全体の状況を見守るだろう。与野党からはローテーション制への異論が相次ぎ、参院でも妥当性の議論が続くとみられる。れいわは与野党から一線を画す独自路線を強めており、その反動として与野党双方からの風当たりはますます強まるだろう。ローテーション制はこれから1年、与野党双方がれいわを攻撃する格好の材料でありつづける。

 

大島氏が議員辞職届を提出するのは来年1月の通常国会前というのが想定スケジュールだろうが、その時点で本当に「自発的辞職」に踏み切るのかーー与野党は早くも牽制球を投げ、れいわに揺さぶりをかけている。水面化で大島氏に接触し「離党して無所属の参院議員にとどまればよい」とささやく者も現れるに違いない。

 

大島氏から「自発的辞職」への協力を快く取り付けることができるのか、山本代表をはじめれいわ執行部は大きな時限爆弾を抱えた。大島氏が1年後に自発的辞任に応じず、離党するという事態を招けば党運営が大混乱に陥るのは必至だ。(後略)

 

(『Samejima Times』2023年1月22日)

 

出典:https://samejimahiroshi.com/politics-reiwa-20230122/

 

 やはりこれは山本太郎が行使した権力濫用劇だったとみるほかない。党内権力抗争の一方の側に山本が加担したわけだ。

立民三重県連の強権的な体質に驚き呆れる(森川幸子氏のツイートより)

 三重(四日市)の立民パワハラ疑惑の件の続き。

 

 県議選立候補をめぐってパワハラを受けたと訴える森川幸子氏のツイートより。森川氏の夫は立民の四日市市議とのこと。

 

 

 

 

 

 立憲民主党とはここまで強権的な体質の政党なのかと驚き呆れる。少なくとも岡田克也が顧問を務める三重県連(代表は中川正春)は実にひどいものだ。このままでは立民からの票の流出は止まらないだろう。

立民幹事長・岡田克也にもパワハラ加担の疑惑

 昨年秋、共産党小池晃の田村智子に対する行為がパワーハラスメントに当たることを認めて謝罪する一件があった。

 ×××新選組における大島九州男に対する山本太郎の行為もパワハラに当たるのではないかと私は考えている。主導者はN某や緑の党系の人間かもしれないが、それに山本が加担している疑惑が濃厚だ。

 そして、立憲民主党にも深刻なパワハラ疑惑があるようだ。

 立民の中でも勇気ある意見発信が多い衆院愛知10区総支部長・藤原規眞(のりまさ)氏が下記のツイートを発信した。

 

 

 

 上記ツイートからリンクされた伊勢新聞の記事を引用する。

 

www.isenp.co.jp

 

パワハラなかった」と判断 立憲民主党県連、県議選四日市選挙区の出馬巡り

2023-01-22 政治

 

立憲民主党三重県連は21日、常任幹事会終了後、記者会見を開き、県議選四日市選挙区の立候補を巡り立民県連の幹部や県議から暴言を受けたとして、同選挙区から出馬予定の森川幸子氏(44)から党に上申書が提出された問題について、県連ハラスメント対策委員会(松田直久委員長)で調査した結果を報告。中川正春県連代表は「確固たるパワーハラスメント行為は確認されなかったと判断した」と述べた。

 

対策委は県議を除く地方議員や弁護士らで構成。昨年12月に発足し、計5回開催。立候補を目指す森川氏に対し、暴言を吐いたとされる県議や関係者らに聞き取り調査を行った。

 

報告書では、パワハラは確認されなかったとしつつ、「立候補を志す申し立て人に対し、相談対応や説明が十分ではなかった」と指摘。これを受け、県連では国会や地方議会を目指す新人からの相談体制を充実させるため、窓口となる選挙対策委員会を設置することを決めた。

 

中川代表は「この件の関係者に対し、真摯(しんし)かつ丁寧な対話と心遣いを怠ることのないよう注意を促していく」と強調。その上で、「立候補を希望する人らに寄り添い、ともに活動できる体制を作っていきたい」と話した。

 

一方、県議選出馬にあたり、森川氏が立民に公認申請していた件については、この日の常任幹事会で公認しないことを決定。四日市を含む衆院三重3区の総支部長を務める岡田克也党幹事長は「現有2議席で3人推薦する中、4人目となると厳しい結果が想定される」と説明した。森川氏には「公認、推薦はないものの、友好関係は維持したいと申し上げている」と述べた。

 

常任幹事会ではほかに、4月の統一地方選への対応として、津市長選に出馬予定の現職前葉泰幸氏と、鈴鹿市長選に出馬予定の現職末松則子氏をそれぞれ推薦することを決めた。

 

伊勢新聞より)

 

出典:https://www.isenp.co.jp/2023/01/22/87527/

 

 藤原氏は上記の件に関して「森川氏に対するパワハラがあった」との心証を持ったようだ。

 引用文に赤字ボールドで示した通り、立民幹事長・岡田克也の選挙区で起きた一件である。

 下記は森川氏自身のツイート。

 

 

 下記は兵庫県在住の立民支持者・ぷろもはん氏のツイート。

 

 

 この件では岡田克也パワハラに加担した可能性がある。

 昨年秋以来、小池晃山本太郎岡田克也と、3野党の執行部の人間による(あるいは加担した)、不当ではないかと疑われる権力行使が目立つ。彼らが紛れもなく権力者であるという事実の重みを、三党の支持者たちはよく認識すべきだ。

 最近、「権力とは何か」を考える機会が増えた。

山本太郎、「大島(九州男)さんが『居座れば』5年できるところをみんなで回すことに賛成してくれた」と発言し、長年の協力者・村上さとこ北九州市議を怒らせる(呆)

 ×××新選組の話も書いておくか。

 

 山本太郎が例の「×××ローテーション」についてまた余計なことを言ったらしい。

 

 

 上記ツイートを受けて、最近この件で山本批判を強めている、長年にわたる山本の協力者であるらしい村上さとこ北九州市議(無所属)が下記のツイートを発信した。

 

 

 古くからの仲間にも批判される山本。もう政界を退いた方が良いのではないか。

成田悠輔の「高齢者は集団自決」発言からたかまつななが提唱した「余命投票制度」を思い出した。成田とたかまつに騙されるな

 経済学者様であられるらしい成田悠輔の「高齢者は集団自決」発言は醜悪きわまりなく論外だが、少し前に似たようなことを言っていた人間がいたことを思い出した。

 たかまつななである。

 昨年6月の弊ブログ記事を下記にリンクする。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 この件については引用等をして成田を批判したりたかまつの件を蒸し返したりするのも面倒なので、「成田とたかまつに騙されるな」とだけ書いて処理しておく。

松竹伸幸氏の新刊『シン・日本共産党宣言』を『しんぶん赤旗』が批判。松竹氏はこれに対して赤旗紙上での反論を要求

 松竹伸幸氏の本はまだ買っていないが*1、いずれ買って読もうと思っている。

 とりあえず、「はてなブログ」界の超大物にして2018年の福岡市長選に無所属(共産党推薦)で立候補したこともある紙屋高雪氏のツイートと「はてなブログ」記事をリンクしておく。

 

 

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

 上記記事で紙屋氏は

 数年くらい前までは「やらないほうがいい」派であったが、「やったほうがいい」「やらねばならない」「やってもいいのでは」派の人たちの話を聞いてみて、いろいろ考えるうちに「やったほうがいい」派になった。

と書いている。

 福岡市長選に立候補したこともある共産党職員がこのように書いた意味合いは非常に重い。いよいよ共産党も変わろうとしていると感じさせる。但し、それが党執行部のナンバー1やナンバー2の意向にどの程度沿っているかは別問題だ。

 こう書くのは、松竹氏の本に対して『しんぶん赤旗』にずいぶん手厳しい論評が載ったからである。

 本記事ではそれについて、社民党員・まことん氏の下記2件のツイートから引用しながら取り上げたい。

 

 

 

 1件目のツイートからリンクされた赤旗の論評記事は下記。

 

www.jcp.or.jp

 

 上記リンクの論評について、なんでの志位和夫委員長自身がコメントするのではなく、それをリンクする下記ツイートを発信してお茶を濁しているんだ、との批判も少なからず発信されている。

 

 

 しかしここでは、松竹氏自身が赤旗の論評にさっそく反応した下記ブログ記事を紹介するにとどめる。

 

ameblo.jp

 

 特に下記の文章が目を引いた。

 

 でも、このままでは、藤田さんは「赤旗」に長い論文を書いて私を批判しているのに、私は何も「赤旗」に書けない。これって、「循環型」の現行規約では許されないことだと思います。

 

出典:https://ameblo.jp/matutake-nobuyuki/entry-12785316856.html

 

 『しんぶん赤旗』がどう反応するか。野次馬根性で申し訳ないが興味津々である。なお弊ブログは共産党だろうが党首が右に向かって全力疾走する立憲民主党だろうが組長が恣(ほしいまま)に独裁権力をふるう×××新選組だろうが大いに議論すべきとの立場だ。これらの中から「本当に変われる政党」が出てくるだろうか。

 逆に、もっとも好ましくないと思うのは、共産党系とされるアカによる下記ツイートのような態度である。

 

 

 馬鹿野郎、いったい何を抜かしやがる。そんなこと言ってたら岸田文雄安倍晋三を野党支持者や無党派層は批判できないし、泉健太は立民支持者以外には批判できないし、山本太郎は×××新選組支持者にしか批判できないことになってしまうぞ。こんなツイートは論外だ。

 

 以下は長いおまけ。

 私は必ずしも社民党支持者ではないが考え方はほぼ社民的なので*2、前記まことん氏のツイートにかなり共感するのだが、ただ一点、まことん氏が松竹氏を「右」と論評した一点にだけは違和感がある。というのは私が必ずしも好まない松尾匡の分類によると「内か外かで内を選ぶのが『右』で、上か下かで下を選ぶのが『左』」とのことだから、旧社会党社民党流の「非武装中立」と、かつての共産党や現在の松竹氏が志向していると推測される「中立・自衛」の違いを「右」「左」の言葉で論評するのは適切ではないと思われるからだ。

 この点に関して興味深いのは2016年に松竹氏自身が旧ブログに公開した下記記事だ。

 

www.kamogawa.co.jp

 

 上記記事で松竹氏はかつての共産党が「国民の命を守る」ために「中立・自衛」政策をとるとともに、安全保障政策を立案する上で「立憲主義を守る」、つまり「憲法に合致した手段で戦う」ことを基礎としていたと書いている。

 これは、マルクス主義憲法学を批判する立場の学者、たとえば水島朝穂氏らが「マルクス主義憲法学には『立憲主義』の考え方がない」と批判していることへの反論でもあろうかと思う。

 弊ブログは2016年に下記記事を公開したことがあった。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 以下上記記事から引用する。

 

 なお、長谷川氏の憲法観について、水島朝穂氏が下記のように書いている。以前にもこの日記に取り上げたことがあると思うが再掲する。

直言(6.3) 『あたらしい憲法のはなし』からの卒業―立憲主義の定着に向けて(2)(2013年6月3日)より

 戦後、日本平和委員会の復刻版(『あたらしい憲法のはなし』=引用者註)が1972年11月3日に発刊された。それには、長谷川正安氏(名古屋大学名誉教授)の「解説」が付いている。きわめて政治的な解説で、日本国憲法とそれをめぐる状況の外在的な批判はあるものの、立憲主義についての理解を助ける叙述は皆無である。それもそのはずで、長谷川氏はマルクス主義憲法学の代表格で、立憲主義に対して当然批判的である。日本国憲法も階級支配の道具であり、その「民主的・平和的条項」は擁護の対象となるが、将来の「民主的権力」が自衛措置を行う際には、9条2項は改正の対象となるという理解である。いかなる権力も憲法に縛られるという発想をとらない以上、「解説」に立憲主義という言葉が出てこないのはある意味で当然だろう。

 この水島氏の文章中にある

将来の「民主的権力」が自衛措置を行う際には、9条2項は改正の対象となる

とは、岩波新書には表立っては書かれていない。しかし、下記の文章がそれを暗示する。

日本国憲法第9条=引用者註)第一項後段が、自衛戦争および自衛権を否定していないという解釈は、憲法制定当時の吉田内閣の解釈であり、私も当時からそれに賛成していた。

(長谷川正安『日本の憲法 第三版』(岩波新書,1994)85頁)

 (かつては?)共産党系の憲法学者立憲主義をとらず、将来的な9条2項の改定を視野に入れていたことを、「リベラル・左派」は歴史的事実として正しく認識しておいた方が良いと思う。おことわりしておくが、私はそれが「悪い」とは言うつもりは全くない。ただ、たとえ無知に基づくものであれ、歴史を捻じ曲げるようなことはやるなよ、と言いたいだけである。

 

出典:https://kojitaken.hatenablog.com/entry/20160528/1464399084

 

 こうした批判に対し、松竹氏はいや、共産党も昔から立憲主義の立場に立っていたと言っていると思われる。

 「右」「左」問題からは少し逸脱したかもしれない。

 昨今はロシアのウクライナ侵略戦争が大きな問題になっているが、弊ブログも自衛する権利は全く否定しないし、「戦争反対」よりも「侵略反対」を優先させるべきだとはずっとブログ記事に書き続けていることだ。

 しかしその一方で、弊ブログは軍事費の大幅な増額自体にも絶対反対である。その最大の理由は、急激な人口減少に見舞われて近未来の経済力に大きな懸念が持たれるこの国において、軍事費を聖域として財政支出の増加を行うことは国家の自殺行為でしかないと考えるからだ。日本の近くにはその悪い見本のような国もある。日本が何よりも優先して行うべきことは国の土台となる経済力の回復であって、その間にやるべきことは軍事費の激増や原発の新増設などといったリスクを拡大させる自民党的逆噴射政策などではなく、民力を高めるための政策立案と財政支出の増額であり、リスクを低減するための脱原発政策であり、戦争を起こさせないための外交努力であろうと考える次第。自民党や維新の政策はそのすべてに逆行するから全く支持できない。維新にすり寄る現在の立民代表・泉健太を全く支持できないのも同じ理由による。

*1:先週末はまた激務で疲れてしまった。プライベートでは12年半使ったiMacをついに買い換えて昨日自宅に届いたが、まだ開梱もしていない。次の次の週末が期限になっている仕事の準備に追われているからだ。多忙期は末期に入ってはいるが、もうしばらく辛抱が必要だ。辛坊は要らないが(笑)

*2:社民党自体が必ずしも社民主義に沿っているとはいえない(それどころか逸脱していると思うことすらある)から支持していないだけである。同党が本当の意味で社民主義政党になるのであれば文句なく支持する。

1977年2月16日の神戸の天気は晴、最高気温が1.2℃、最低気温が氷点下6.2℃だった

 「記録的寒波」の件だけど。

 

news.yahoo.co.jp

 

 日本海側は本当に大変なのかもしれないが、東京での「昼間でも5℃未満」なんて「六甲颪」に吹かれていた少年時代を思えばなんてことはない。

 下記は1977年2月の神戸の天気。

 

weather.goo.ne.jp

 

 1976年12月から1977年2月の冬季に、神戸は2回最低気温が12日連続氷点下を記録していた。最初が12月26日から1月6日まで、2回目が1月29日から2月9日まで。しかし最強寒波はそのあとにやってきた。2月16日の神戸の最低気温は氷点下6.2℃、最高気温は1.2℃だった。天気は晴。これが本当に寒い冬の神戸だった。70年代には冬は最高気温が5℃以下の日など普通にあったという記憶がある。

 それと比較すると、ヒートアイランド現象の甚だしい今の東京なんか冬とも思えない。今日はさっき外に出た時、今年に入って初めて本格的な寒波が来始めたなと体感したが、寒波の底とされる25日でも東京の最低気温の予想が氷点下2℃とは、地球温暖化ヒートアイランド現象の両方のせいだと思うが、その程度にしか気温が下がらないのかと正直言って思ってしまう。2000年代に住んだ岡山でも最低気温氷点下4℃の経験がある。