kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

安倍「極右」内閣の時代に思う

「きまぐれな日々」に、ブログ共闘に関する記事を書いた。
きまぐれな日々 ブログのリアルな政治運動へのかかわりについて

この記事を書く前、何人かの方と意見を交換したり、いろんなブログの記事を参考にしたりしたが、最終的に記事のような結論に落ち着いた。
ゲリラ戦の時代だと思う。安倍政権のような極右的性格を持つ政権に対抗するには、従来政治運動など行ってこなかったような人たち個人個人が、それぞれ勝手に反対の声をあげていって、ゆるやかに連帯するという形が一番良いのだと思う。
私自身、自らも声をあげるしかないと切実に思うようになったのは、昨年9月の総選挙以来だ。
AbEndキャンペーンの初めの頃に加わっていただいた方々も、大部分がごく普通の市民の方だと思う。最近ではさまざまな方に加わっていただいているが、それでもいわゆる「プロ市民」などほとんどおらず、普通の人々が日常感覚で声をあげていると思っている。
それにしても、時代の急速な右傾化には驚くばかりである。
私がよく思い出すのは、1977年の参院選の頃だ。当時私にはまだ選挙権もなかったが、既成政党に加えて、前年の総選挙で躍進した新自由クラブ自民党から分裂)や、新たに立ち上がった社会市民連合社会党から分裂)、新左翼系の革新自由連合、それに話題性だけはあった女性党など、新党が乱立していた。当時の私は社市連あたりにいちばん説得力を感じていたから、私より左に社会党共産党と革自連があったことになる。日本人全体から見たら、まん中よりやや左寄りといった程度だろう。しかし、この選挙で自民党過半数を確保したところから、日本の政治の右傾化が始まった。
私は、いつしか「左」から朝日新聞を批判する立場になってしまった。でもそれは、私が左傾したからではなく、日本の社会全体が大きく右傾したからだ。
立花隆さんを見ていればわかる。立花さんは安倍晋三に「宣戦布告」し、教育基本法の「改正」に反対する論陣を張っているが、70年代に立花さんを「左翼」と言ったら笑われたことだろう。立花さんは1974年、「田中角栄研究−その人脈と金脈」という記事を「文藝春秋」に発表し、田中角栄を退陣に追い込むのに大きく寄与したが、同じ「文藝春秋」に「日本共産党の研究」という記事を発表し、左翼から不興を買っていた。たしか朝日新聞のスター記者だった本多勝一が、立花さんの悪口を雑誌に書いていたと思う。しかし、立花さんは自らの立場を動かさなかった。だから今、教育基本法改悪反対、安倍晋三内閣批判の論陣の先頭を切れるのだ。立花さんが教育基本法改悪反対の声をあげる前、世論調査で同法の「改正」に反対する意見は、わずか6%くらいしかなかった。立場を変えなかった立花さんは、相対的に「左」の立場に移ってしまったのだ。
一方、本多勝一は、相変わらずの左翼ではあるが、リクルートの接待を受けたことを暴露されたのをきっかけに、「噂の真相」の岡留編集長と喧嘩するなど、晩節を汚している(その独裁指向は、どこかのブロガーを連想させるものがある)。
それにしても、日本人は周りに流されやす過ぎはしないか。周りを見渡して、そのまん中にくるような立場をとるという行き方の人もいるが、たとえば「大政翼賛会」の時代にそんな態度をとっていたら、平均的な立場は「翼賛的」な立場、戦争推進支持の立場ということになってしまう。そうではなくて、もっと社会の流れを歴史的に眺める見方が必要不可欠だろう。
今は、戦後最も極端に右に偏った政権の時代だ。それだけに、よけいに歴史的観点の必要性を痛感する。