kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

辺見庸の小泉純一郎・安倍晋三論(ちょっと古い毎日新聞の記事)

ちょっと辺見庸について調べていたところ、下記の記事を見つけた。リンクは消失していたが、キャッシュが残っていた。10月13日付毎日新聞に掲載された『特集ワイド「この国はどこへ行こうとしているのか」』である。
以下引用する。

この国はどこへ行こうとしているのか 辺見庸さん

 <戦後生まれの首相へ>

 ◆既にファシズムかも

 ◇史上まれなウルトラ右翼、核武装の考え「美しい国」で隠している

 「メディア批判の急先鋒(せんぽう)」「すべてに切りかかる論客」。作品の印象がそうさせるのか。難しい人、怖い人と思っていた。だが、辺見庸さん(62)は意外なほど気さくな人だった。ものを考える人の癖(へき)なのか、人に通じるかどうかを対話というキャッチボールで何度も反すうし、言葉を研ぎすませていく。

 埼玉県の西武新宿線本川越駅。駅ビルのイタリア料理店に、脚をひきずりながらやってきた。つえはない。「バランスはいい方なんだ。倒れないんだよ」。最新作「いまここに在ることの恥」(毎日新聞社)から感じる怒り、憎悪を自家中毒のように抱え込む人ではない。むしろ、修験者、雲水の静けさがある。

 04年3月、新潟で講演中に脳出血で倒れ、右半身に後遺症がある。「ネットの掲示板で『まだ生きてやがる』なんて書かれるけど、この国では死ぬのもばからしいね。言葉のもだえ苦しみを、これほどちゃらけた調子で語る国って、他にないだろ」

 辺見さんの関心は、政治家より、それを生み出すメディアなど社会の雰囲気に向く。最たるものとして挙げるのは03年12月9日、自衛隊イラク派遣が閣議決定された日の首相会見だ。

 「あの凡庸なファシスト小泉純一郎前首相)は、憲法前文の一部を都合よく切り取り、派兵の法的な根拠にした。それに対し、政治部の記者たちは『総理、間違ってます』と声を上げない。これは、ジャーナリズムじゃない。人間の恥の極みだ。でも、自分が4、5年目の政治記者でそこにいたら、何が言えたのか自問もする」

 辺見さんが小泉前首相を指すファシストとは、イタリアの哲学者、ウンベルト・エーコの「ファシズムには、いかなる精髄もなく、単独の本質さえない」という言葉を踏まえたものだ。「あのぺロリとした男を持ち上げながら醸成される全体主義」という意味合いがある。

 ファシズムは独裁者が生み出すものではない。ある日、ふと気づくかすかに変わっている空気。人々の仕草も行動も一見同じなのに、何かが変わり、もう後戻りできない−−。病から復帰した今年春、辺見さんにはそんな感覚があった。時間感覚も狂った。倒れたのは04年なのに、02年だと思い、周りが自分をだましていると思った。「脳の障害や病院に長くいたせいもあるが、それだけじゃない。最近考えるのは、詩も臓器も人の心も、何もかもが商品化されるということ。この国ほど、隅々にまで資本の影響を受けている国はない。それが時間感覚にも及んでいるのではないか」

 「まだ、大丈夫」「この国はファシズムに立ち返らない」。楽観していても、自由に語れない状況、どこから現れるとも知れない暴力がすでにのど元に迫っている……。辺見さんの時間感覚のずれには、そんな猶予のなさが伴っているようだ。

 この先、日本はどこへ向かおうとしているのか。「戦前から根の部分にある国民性が変わっていない分、ファシズムに走る時は早い。いや、既にファシズムかもしれない。しかし異議申し立ての行動は起きない。断定できないけど、今後も多分ないと思う」

   *

 「劇場型」「格差社会」「改革」……。小泉前首相時代に使われた言葉の数々だ。「かつての学生の言葉は時代をうがつことはなかったが、まだ生き物のように暴れ、手触り感があった。でもいまは、新鮮そうな言葉はメディアにかすめ取られ、言葉と格闘しようという意識さえ資本が奪う」。それでは、安倍晋三首相を、その発する言葉をどう見ているのか。

 「小泉前首相は何もない人間で、社会がイメージで押し上げた言わばフィクション(虚構)だが、安倍首相は『ナチュラル・ボーン(生まれながらの)国家主義者』。史上まれに見るウルトラ右翼。憲法教育基本法を本気で変えようとしている分、危うい。小泉前首相の方は凡庸な右派政治家で不見識な地金(じがね)をさらした。安倍首相は官房副長官の時、戦術核を持てると言っていたのに、いまは『美しい国』という言葉で隠している。小泉前首相に比べ狡猾(こうかつ)だが、オーラが小さい分、短命と思うね」

 安倍首相は著書「美しい国へ」で、父の死後、国会議員になったいきさつにほとんど触れていない。日本の政治を知らない人が読めば、閣僚の父を失った人物は自動的に議員になれるものと錯覚するだろう。この点でも、辺見さんの矛先はメディアに向かう。

 「親子3代にわたり国民の税金でまかなってもらっているのがいまの首相の一族。それを問題にもせず、持ち上げるメディア社会とは何なのか。皇室に男子が生まれたのをあれほど騒ぎ、それを社会現象として分析しない。天皇制の問題は大正時代や70年代の方がもっと気軽に語れたんじゃないか」

 そして、海外の例として、英国を挙げる。

 「英国社会には、ブッシュのポチと呼ばれたブレア首相をはじき出す感性があった。イラク行きの軍事物資を運ぶ列車の線路にデモ隊が座り込み、メディアが支援することもあった。それくらい差がある」

 その差はモラルにも表れる。最近、ドイツのノーベル賞作家、ギュンター・グラス氏(78)が、17歳のとき半年近くナチの親衛隊にいた事実を告白し、批判の矢面に立たされた。「この国には、こうした精神性やモラルがあきれるほどない。A級戦犯に問われた岸信介が首相になり、その孫が平然と現れる。47年の憲法施行式典で、吉田茂首相(当時)の音頭で集まった約1万人が『天皇陛下バンザイ』を叫んだ。その前まで約300万人が死に、一般の人が、天皇の退位を語っていたわけでしょ。これが、戦後日本の恥の起点だと思う。天皇制は戦争や憲法施行を経ても何も変わっていない。それを踏まえずタテマエを語るところに、メディアの問題の根があるんじゃないか」

 辺見さん自身も、日本人の抱える自己規制を感じている。「日本には英国ほど監視カメラはいらない。この国ではみな自分の中に監視カメラがある。髪の毛一本一本、神経細胞にまで入り込んでいる天皇制を自由に語れない状況がある限り、その監視カメラは消えないんじゃないか」

   *

 辺見さんは04年に倒れ、意識を回復した時、「1行でいい、言葉がほしい」と思った。親しい身内はない。病室を訪ねる編集者とは仕事の話だ。自分は何を求めているのか。そして左手の指一本で書き始めた。

 「いまは、最終的には沈黙にいたるため、書き、語っている気がする」。言葉が何かを変えられると、信じているのだろう。

 長い会話を終えると、外は暗かった。払いを済ませ店の外に声をかけたが返事はない。言葉の余韻を残し、作家は姿を消していた。【藤原章生

 ■人物略歴

 ◇へんみ・よう

 作家。1944年、宮城県生まれ。早大卒。70年、共同通信社入社。78年に中国報道で日本新聞協会賞。「自動起床装置」(91年)で芥川賞、「もの食う人びと」(94年)で講談社ノンフィクション賞を受賞。96年に退社し、現在は近刊「自分自身への審問」の続編と、病前から書き続けている小説を執筆中。

毎日新聞 2006年10月13日 東京夕刊