4月12日付の読売新聞一面のコラム「編集手帳」が、伝統的な日本語の表現が消えつつあることを嘆いている。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070411ig15.htm
以下引用する。
「生酔(なまよ)い」という言葉がある。手もとの辞書には、〈1〉「ぐでんぐでんに酔っていること」、〈2〉「少し酒に酔うこと」と出ている。両極端を表す不思議な言葉である◆江戸川柳「蟹(かに)の生酔い真直(まっすぐ)にようろよろ」は、千鳥足だから〈1〉だろう。本来はどちらか片方の意味であったのが、誤解する人が増えて両者正解に落ち着いたのかも知れない◆「酔い」はともかく「宵」には、両極端の〈1〉と〈2〉の併記される時代が来ないように、と願う。日暮れ間もないころを指す言葉を最近は、もっと遅い、夜更けの時間帯と勘違いする人も増えているらしい◆情報が正確に伝わるよう気象庁は、予報用語の「宵のうち」(午後6〜9時ごろ)を「夜のはじめごろ」に改めることにしたという。響きの美しい、情緒ある日本語が天気予報から消えるのはさみしい◆作家の北村薫さんは「詩歌の待ち伏せ 下巻」(文芸春秋)で、言語文化を陸上競技の高跳びに例えて、言葉を何でもやさしく言い換える風潮を戒めている。「バーを次から次へと下げていくようなやり方が、競技の水準を上げるか下げるか」は明らかだ、と◆意味を取り違えて雨に降られ、父祖伝来の言葉をひとつ、身をもって学ぶ。一夜のずぶぬれも授業料としては、さほど高価でもないでしょうにね…。春の宵、生酔い(〈2〉)の頭で思う。
(2007年4月12日付読売新聞 「編集手帳」)
このコラムで一箇所、強い違和感を感じる箇所があった。「響きの美しい、情緒ある日本語が天気予報から消えるのはさみしい」という文章における「さみしい」という言葉だ。
私はずっと、「さみしい」というのは「さびしい」の誤用だと思っていた。だから、伝統的な表現がなくなることを嘆く記事の中で「さみしい」という表現が出てきたことに驚いた。
そこで、NHKのサイトで調べてみた。
http://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/kotoba_qa_01040101.html
サビシイ? サミシイ?
質問 「さびしい」と「さみしい」とは、放送ではどう使い分けたらよいのでしょうか。
答え たいていの場合、どちらを使ってもかまいません。ただし、「ひっそりしている」という意味の場合には「さびしい」が使われることが多いようです。【解説】
まずどちらが伝統的なことばかというと、「さびしい」です。鎌倉時代までの文献には、現在の「さびしい」のもとになる「さぶし」「さびし」などは出てきますが、「さみしい」に相当することばは見つかりません。「さみしい」は、江戸時代以降になって現れたことばです。「さびしい」には、大きく分けて2つの意味があります。
(1) いるはずの人・あるはずの物がなくて満たされない気持である。
(=情緒的)「さびしい毎日」「懐がさびしい」
(2) 人の気配がなくひっそりしている。
(=客観的)「さびしい山道」「さびしい村」
「さびしい」はこの両方の場合に使えるのに対して、「さみしい」は情緒的な(1)の場合には使えても、客観的な(2)ではやや使いにくいようです。このことばの使い分けに迷ったときには、たいていはどちらを使ってもかまわないけれども、「山道・村」のように「ひっそりした」と形容することも可能な場合には、「さみしい」を使わずに「さびしい」を使っておいた方が無難だ、ということになるでしょう。
また、内閣告示されている「常用漢字表」では、「寂しい」の読み方は「さびしい」となっており、「さみしい」は認められていません。「さみしい」と読んでもらいたいときには、漢字を使わずにひらがなで「さみしい」と書くようにしましょう。
「さみしい」は、使う人が増えて、もはや「誤用」とはいえなくなっているようだが、少なくとも伝統的な日本語ではなさそうだ(笑)。