kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

本島等・元長崎市長の「加憲論」

少々古いが、東京新聞の5月14日付記事より。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/consti/news/200705/CK2007051402015909.html

【試される憲法
長崎市長本島等さん 環境、人権取り入れ加憲
 戦争が終わった時、僕は軍隊にいた。すべての若い連中はぼうぜん自失の状態だった。そんな中で今の憲法ができた。何もないところに、「おまえたちはこれで行けよ」という一つの教訓として憲法を受け取ったわけさ。

 軍隊生活は若者の「考える能力」を完全にぶち壊した。だから、ぼうぜん自失で憲法を受け取ったんだけど、スーッと入ってきて次第にありがたくなってきた。「これで長生きできる」って。

 戦争というのは、支配者にとっては勝ちたい、勝てばまた勝ちたいっていうもの。国民にとって戦争に負けることは、自由を得ることになるわけさ。今の九条改正の動きを見ていると、絶望に近い状態だね。もういっぺん戦争ばしないと、どうにもならんのじゃないの。

 「九条を守れ」と言う人たちも非常にまじめで理論的だけど、その話を聞いて立ち上がり、選挙運動のように「九条を守ろう」と言うて回る人はいやしない。話が面白くないから。それに「現憲法を死守する」と言うが、環境や人権の問題への取り組みは憲法に書かんちゅうことか。

 それでは「孫たちの生活も考えずに、憲法死守ってやってるのか」と言われるよ。だから、僕はそういう取り組みを憲法に入れて、九条を今のまま残すという、いわゆる「加憲」の立場。

 僕はキリスト教の信者だから、暴力というのはどんな条件や理由があろうとね、ダメだということ。暴力とは反平和っちゅうことですよ。平和を訴えてきた長崎で、長崎市長への銃撃事件が二件も起きたのは恥ずかしいですわな。

 平和にも、絶対的な平和主義と相対的な平和主義があると思う。

 「核兵器に殺されるよりも、核兵器に反対して殺される方を選ぶ」との言葉を残した故宇都宮徳馬さん(元参院議員)や、「たといひきょう者とさげすまれ、裏切り者とたたかれても、『戦争絶対反対』の叫びを守っておくれ」とわが子に訴えた故永井隆さん(被爆医学者)の主張が絶対的な平和主義。

 今は相対的な平和主義ですよ。自衛隊イラクに行って、ダーンって撃たれたら、ダーンって撃ち返すふうになってるでしょ。この相対平和は、戦争と絶対平和の間にある。絶対平和を守らないと、戦争の状態になるということですよ。今の日本は見事にその道を歩いてるように感じるよね。

 憲法は米国の手でつくられたっていう議論があるけど、世界の変遷というのは、考えも及ばない事件が起きたりして続いていく。その時代の人が受け入れて、誰もが「なるほどな」と思えばいいんであって、出発の段階をあれこれ論じて「だから本来の日本じゃない」っていうのは違う。

 もとしま・ひとし 1922年長崎生まれ。京都大卒。79年から95年まで長崎市長。88年に市議会で「天皇の戦争責任はある」と発言、90年に右翼団体「正気塾」の男に短銃で撃たれ、重傷を負った。85歳。

東京新聞 2007年5月14日)