kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

結局野茂英雄に「並ぶ」ことさえできなかった松坂大輔

日本時間の今日行われたボストン・レッドソックスタンパベイ・デビルレイズの試合で、松坂大輔は勝利投手になることができず、結局松坂は次回の今季最後の登板で仮に勝ったとしても15勝止まりということになり、1996年、2002年、2003年の三度野茂英雄がマークした16勝の日本人投手シーズン最多勝を超えることはできなかった。

韓国人投手では、ドジャース(当時)の朴が何年か前に18勝を挙げたと思うが、日本人投手にとって、相も変わらず野茂は大きな壁になっている。私は実は近鉄バファローズ時代からの「ノモマニア」なので、「そうそう簡単に超えられてたまるか」というのがホンネなのだが、一方で松坂なら簡単に超えられるだろうと思っていた。だが、そうはならなかった。

思えば95年からのドジャース時代、マイナーから這い上がった99年のブリュワーズ時代、熱狂的なファンの声援を受けながら頼りないブルペンに何度も勝ち星を消された01年のレッドソックス時代、そして、乏しい打線の援護ながら、ひとたびリードして降板したら決して勝ち星が消えることがなかった02年からの二度目のドジャース時代、日米通算200勝を目前に苦しんだ04年を経て、デビルレイズでついに200勝を挙げた05年まで、野茂の11年のメジャー生活は波乱万丈だった。05年途中にマイナー落ちして以来、メジャーには上がれずにいるが、まだ来年もアメリカでプレーするつもりらしい。その引き際の悪さは、桑田真澄にも影響を与えているかもしれない。

そんな野茂の投球に一喜一憂するのが、私の何よりの楽しみだった。日本のプロ野球への関心は、金のあるチームしか勝てなくなった2000年以降、急速にしぼんでいったが、一昨年まではMLB中継はしょっちゅう見ていた。主に野茂の試合だったが、イチローマリナーズや、松井秀喜ヤンキースの試合も見ていた。しかし私はマリナーズヤンキースもあまり好きではなく(イチローと松井はそれなりに応援していたのだが)、特にヤンキースの試合は常に負けを願っていた。2001年のワールドシリーズでは、ヤンキースが本拠地で2試合連続サヨナラ勝ちを演じ、その後者の試合(第5戦)の9回裏二死から、ダイヤモンドバックスの抑えの切り札・金が2試合連続で同点ホームランを浴びた時には鳥肌が立ったものだ。その時は、チームの好き嫌いを超えて野球の恐ろしさにぞっとする思いだった。しかし、この01年のワールドシリーズ第5戦が、ヤンキースがもっとも「ワールドチャンピオン」に近づいた試合だった。ヤンキースは、02年はプレーオフでエンジェルスに敗れ、03年にはリーグ制覇したものの、ワールドシリーズで何十年ぶりかというヤンキースタジアムでの相手チーム(マーリンズ)の胴上げを拝まされ、04年にはリーグチャンピオンシップで、メジャーリーグ史上初という3連勝後の4連敗をレッドソックスに喫した。「バンビーノ(ベーブ・ルース)の呪い」が解けたというこのシリーズで、私がレッドソックスを熱狂的に応援していたことはいうまでもない。ボストンは野茂英雄が在籍したことがあったし、野茂がピンチをしのいだ時のフェンウェイ・パークのスタンディング・オベーションは素晴らしかった。このシリーズは、ボストンで行われた第4戦、第5戦がいずれも延長戦でのサヨナラ勝ちという、01年のワールドシリーズの裏返しみたいな試合だったが、違ったのはボストンが勢いそのままに、ヤンキースタジアムで行われた第6戦、第7戦にも連勝したことだった。

だが、このシリーズの結果を喜びながら私の脳裏をかすめたのは、1989年の巨人−近鉄日本シリーズだった。3連勝した近鉄が、「巨人はロッテより弱い」と言った加藤哲の言葉が仇になって、第4戦から4連敗してしまったシリーズだ。そのシーズンオフ、野茂英雄近鉄に入団した。阿波野秀幸と野茂の両エースがいたら、西武ライオンズなんて目じゃないと当時は思っていたが、翌年から阿波野は急速に衰え、野茂はチームを優勝に導くことができなかった。名将・仰木彬は、西鉄ライオンズ時代に巨人に3連敗後4連勝した時の選手のはずだが、コーチと監督を務めた近鉄では、三度のシリーズはいずれも先に2連勝、三度目にいたっては3連勝しながら負けてしまったのだ。

仰木はその後、オリックスでも95年にも老獪な野村ヤクルトに完敗したが、96年にあのいまいましい「メーク・ドラマ」をやってのけた巨人を4勝1敗で倒し、ようやく溜飲を下げた。だが、94年に鈴木一朗を「イチロー」として売り出した仰木彬は、もうこの世にはいない。ドラマというなら、88年と89年の二年がかりの近鉄と西武の死闘ほど「ドラマ」の名に値するものはなかった。あの頃のようにプロ野球に熱中することは、もう二度とないだろう。少なくとも私にとっては、あの当時から、プロ野球とは巨人戦を見ることなど意味しなかった。デーゲームで中継されるヤクルト、大洋やパ・リーグの試合が私には楽しみだった。ヤクルトは神宮ではナイターだけだが、週末に多く地方球場で主催試合を行い、フジテレビがよくデーゲーム中継をしていたものだ。

日本のプロ野球を破壊したのは、93年に制度改革を断行したナベツネだった。その毒はじわじわ回ってきて、いくら野茂英雄イチローが素晴らしいプレーをしても、騒がれたのは最初だけで、そのうち誰も近鉄オリックスの試合になど見向きもしなくなった。だから優秀な選手は皆アメリカに行ったのだ。日本の球界は、巨人と阪神さえ強くすればプロ野球は盛り上がると考え、巨人・阪神、それに同じく資金力のある中日などにばかり有利な制度改革を行った。テレビも、巨人や阪神ばかりをひいきする中継を流した。巨人はすべての在京キー局がひいきしたし、阪神は何も関西の局ばかりではなく、NHK-BSなどがひいきした。当時、FAの資格を得た選手が、「巨人へ、巨人へ」となびいたさまは、今、自民党総裁選で自民党の議員が昨年は「安倍へ、安倍へ」、今年は「福田へ、福田へ」となびくさまとそっくりだった。

そして、近鉄オリックスは合併を余儀なくされ、親会社が経営難になったダイエーソフトバンクに球団を売却し、西武はその売却さえできないありさまだったが、ナント、「勝ち組」のはずの巨人もそれらのチームと同様に没落して行ったのだった。これも、負け組が苦しむだけではなく、勝ち組も同時に没落していく新自由主義社会の将来図を暗示していると私は考えている。今は、セの阪神・中日、パのロッテ・日本ハムソフトバンクプロ野球を支えていて、楽天も野村監督の手腕で年々勝率を上げている。これらは、ロッテを除いていずれも首都圏外のチームであることは注目に値する。日本経済も、地方が元気になれば、それなりに活力を取り戻すはずだ。

ともあれ、日本のプロ野球がつまらなくなり、素晴らしいパフォーマンスを見せる選手は次々とMLBに流出していった結果、MLBばかりが注目を集めることになった。私はそのMLBさえ滅多に見なくなってしまったのだが、それは野茂英雄がマイナー落ちしてしまったこともあるが、2005年の「郵政総選挙」のショッキングな結果によって、日本が見るも無惨なネオリベネオコンに蹂躙される国に転落してしまいそうになったからだ。特に、安倍晋三だけは何が何でも倒さなければならないと思った。それが私が「AbEnd」にのめりこんで行った理由だ。

何も日米のプロ野球だけではなく、私の部屋には読もうとして読めずにいる本や、聴こうとして聴けずにいるCDが積み上がっているし、運動にも時間を割かなくなってしまったので、ずいぶん体重も増え、不健康な状態になった。ようやく安倍晋三が政治の表舞台から去ろうとしている今、少しずつ自分を取り戻して行かなければならないと感じている。