kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

悔しくない巨人の優勝

大のアンチ巨人ファンだった私が、巨人優勝の知らせを知って悔しい思いを全く感じなかった。
地上波での中継もなかった東京ドームの巨人−ヤクルト戦で巨人が優勝を決めた。5対4の逆転サヨナラ勝ちでの優勝決定だったが、このスコアは、7年前に中日を相手に巨人が優勝を決めたときのスコアと同じだ。
この日、シドニー五輪で女子マラソン高橋尚子選手が優勝した。しかし、関東地区のスポーツ紙一面を飾ったのは巨人の優勝だった。一般紙の一面はすべて高橋の優勝だったにもかかわらずである。これは、当時読売に頭が上がらなかったスポーツ紙の屈辱の日だった。
ちなみに私は、午前中に高橋が優勝していたため、夕方発行されたスポーツ紙の号外を大阪で買い求め、「巨人優勝」の出ていない高橋優勝を報じる新聞をゲットしたことで悦に入っていた(紙面には、前日に巨人が敗れた試合のスコアが掲載されていた)。
巨人の負けを心から喜べたのは、その翌年にヤクルトが優勝した時が最後だったかもしれない。この年、勝利数トップを首位と表記するという妙なルールのおかげで、試合消化の早い巨人はずっと首位を走っていたが、勝率や勝敗差では2位ヤクルトに大差をつけられていて、ヤクルトが勝ち数で巨人を上回って首位に立つと同時に優勝が決まるという珍事が起きた。形の上だけずっと首位をキープしていた巨人はピエロもいいところで、大いに笑えたものだ。当時の監督は長嶋茂雄だった。私は、カリスマだかなんだか知らないが、有力選手を次々と引っ張ってきては大した働きをさせない長嶋の野球が大嫌いだった。
その後、2002年の原巨人の優勝には腹が立ったが、03年以降、巨人は優勝争いにほとんど絡まなかった。04年の巨人はずっと中日に次ぐ2位だったが(消化試合でヤクルトに抜かれて3位に落ちた)、この年はなんといっても球界再編成とプロ野球労組のストが話題になった年で、優勝争いよりそちらの興味の方が大きかった。この時の球界再編成で、渡邉恒雄はそれまで仲の悪かったオリックスの宮内(および西武の堤)と手を結んで、1リーグ制への意向をたくらんだが、敗れた。これを機に巨人の人気は急激に凋落することになった。セ・リーグは05年も06年も阪神と中日の激しい競り合いとなり、05年は阪神が中日の猛追をかわし、06年には逆に中日が阪神の猛追をかわした。今年も、当然阪神と中日の競り合いが予想され、リーグ優勝はこのどちらかかと思われたが、首位攻防の阪神−中日戦で阪神の抑えの切り札・藤川が打たれてまず阪神がおかしくなり、中日は今年全然活躍できなかったベテラン投手の山本昌を何度も巨人戦にぶつけては敗れるという謎の落合采配が災いして、結局阪神・中日両球団が自滅する形で巨人が優勝した。昔の私だったら怒り心頭の展開なのだが、全然腹が立たないのは、プレーオフ(クライマックス・シリーズ)で巨人を負かすチャンスがあるせいかもしれないが、心がプロ野球から離れているのが最大の理由だろう。今はまだこうして呪詛の言葉を記事にしているが、来年か再来年には全くの無関心になってしまうのではないかと思う。
もはや「おめでとう」という気も起きず、巨人・中日・阪神の3球団には、せいぜい「クライマックス・シリーズ」とやらで頑張ってくれ、というしかない。個人的な興味からいえば、ナゴヤドームで行われる第1ステージに阪神が勝った場合、そのあとに東京ドームで行われる巨人−阪神の5戦マッチを、どの程度マスコミが取り上げ、かつどの程度の反応をファンが示すかが知りたい。これが冷たくあしらわれる日が、プロ野球新自由主義的「カイカク」が完全な失敗に終わったことを証明する日になると思うからである。