kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

政治部記者と社会部記者

伝え聞くところによると、新聞社では政治部の記者は社会部の記者より偉いと思っているらしい。しかし、私見では、良い新聞というのは社会面が充実した新聞のことだと思う。

読売新聞は朝日新聞毎日新聞より社会部の強い新聞だった。だから読売は伸びたのだと思う。そして、大阪読売は、東京の読売とは別の新聞社が作っているのではないかと思えるくらい、個性的な紙面づくりをしていた。

読売の社会部は、渡邉恒雄ナベツネ)の政治部長就任を阻み、ナベツネアメリカに飛ばすくらいの力を持っていた。しかし、ナベツネの巻き返しにあって読売社会部は政治部に制圧された。「黒田軍団」と呼ばれた大阪社会部もナベツネによって解体された。大阪読売は、東京読売と変わらない、つまらない新聞になってしまった。ナベツネはやがて読売の社長にのし上がり、政界にも多大な影響を与えて、わが世の春を謳歌したが、その時にはすでにナベツネの転落は始まっていた。いつしか、読売社内で育まれた極右勢力は、ナベツネにも制御が不可能になっていた。

突然ブログに話が飛ぶのだが、社会ネタを扱うブログより政治ブログが高級だなんてことは絶対にない。私は、コイズミや安倍晋三みたいなやつさえいなかったら、政治ブログなんか運営しようとは思わなかっただろう。私の場合、仮に新聞社だったら政治部より学芸部指向の強い人間だと思うが、学芸部などというのも新聞社の本流ではなかろう。新聞記事なんかを書くより、大学などで研究する方が良いに決まっている。

つまるところ、新聞社の花形は社会部なのだ。せっかく社会部記者に適したブロガーがいるのに、そのブロガーが本分ではない政治部記者にあこがれて、出来の悪い政治記事ばかり書いたって仕方ないだろう。読者が読みたいのは、彼が書く紋切り型の政治記事ではなく、彼の感性が反映された三面記事なのだ。

三面記事が政治記事より劣るなどと考えるのは、大馬鹿者である。たとえば社会部をどんどん弱めていっている朝日新聞は、そのうちに夕日新聞と化すだろう。