kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

元テレビ朝日政治部長・末延吉正と岸−安倍一族とのつながり

月刊「現代」11月号に、元テレビ朝日政治部長末延吉正が "わが友・安倍晋三の「苦悩の350日」" なるトンデモ記事を書いている。
内容は、改革者・安倍を「抵抗勢力」が潰した、福田康夫擁立で時計の針は「逆回転」を始めた、とするもので、コイズミをも「抵抗勢力」と称している。つまり、末延はきわめて安倍と近いマスコミ人だということだ。

「現代」の記事に、末延は次のように書いている。

 私の亡くなった父は山口で家業の建設業を営む傍ら、青年団運動に携わっていた。A級戦犯容疑者として巣鴨拘置所に収監されていた安部の祖父である岸信介が出所したのは、そんな青年団運動を熱心にやっていた折りだった。「自主憲法制定」を掲げて日本再建連盟を設立した岸は、地元・山口に帰るたびに啓蒙運動を展開し、家が近所だった私の父も、その教えを受けた一人だ。
 だから私も子供の頃から、岸と面識があった。夏休みに東京から山口にやってくる晋三兄弟の存在も知っていた。
 上京して、高校・大学を出ると、私はテレビ朝日に勤めた。それまでも同郷で、かつ父親が知己である関係で岸信介安倍晋太郎とも会っていたが、放送記者の仕事が始まると接する機会は増えた。同い年の安倍を知ってはいたし、安倍が父・晋太郎の秘書になって、さらに会う機会は増えたが、その頃はそれほど親しくなることはなかった。むしろ、互いに「生意気な若造」くらいに思っていたのだと思う。
 安倍が政治家として化けたと感じたのは、小泉政権官房副長官として北朝鮮を訪問した02年9月のことだ。私もテレビ朝日の取材デスクとして、急遽、同行取材することになった。訪朝前後、私は安倍にインタビューした。私の目の前にいる男に、少し早口で短気そうなお坊ちゃんの面影はなかった。
 それを機に付き合いは深まった。思い出深いのは、04年の参院選敗北の責任を取らされ、幹事長から幹事長代理に降格させられた日のことだ。いつも人の批判をしない男が、私の前では不快感を露(あらわ)にした。私には素の姿を見せた。同郷で同じ年齢。そんな気安さがあったのかもしれない。そのことがまた、関係を密にした。

(月刊「現代」 2007年11月号掲載 末延吉正 "わが友・安倍晋三の「苦悩の350日」" より)

いやはや、とんでもない男がテレビ朝日政治部長を務めていたものだ。この件に関して、「Munchener Brucke」の管理人・kechackさんから「きまぐれな日々」にコメントをいただいた。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-465.html#comment2131

kechackさんによると、末延は岸一族とのパイプを利用し、テレ朝が自民党と対立し窮地に陥った時に自民党とのパイプになりテレ朝を救ってきて、その功績によって出世したのだそうだ。

しかも末延は郵政選挙の頃まで、彼は報道ステーションのアドバイザーを勤めていたとのことで、そういえば05年8月の報ステにおける古舘伊知郎小泉純一郎一辺倒の仕切りぶりや、朝日新聞編集委員加藤千洋のやけに小泉びいきのコメントは異常の一語に尽きた。あれこそ放送法違反だろう。当時のことを私は忘れていないから、今いくら古舘や加藤が政府・自民党を批判しても彼らを信用する気にはなれない。

最後に、総理大臣就任直後に安倍が末延に語ったという言葉が笑えるので、紹介しておく。

「若い頃、恋愛や勉強ではいろいろ悩むことが多かったけれど、政治家として決断する時は頭が冴えて判断を迷うことがないんだよ。もちろん、決断を下すときにおそれを感じることはあるけど、政治家の仕事が向いてるんじゃないかと思うんだ

(月刊「現代」 2007年11月号掲載 末延吉正 "わが友・安倍晋三の「苦悩の350日」" より)

なんとも呆れ果てた勘違い男である(笑)。