kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「古い自民党」はコイズミや安倍よりマシ

週刊金曜日」(10月5日号)を立ち読みしていたら、大藤理子氏の政治時評「古い自民に逆戻りというけど 自民党政治なんてそんなもの でもウケ狙い政治よりマシだ」というのが目にとまった。
http://www.kinyobi.co.jp/KTools/mokuji_pt?v=vol673

雑誌は買わなかったので、詳細は紹介できないが、このタイトルの通りの内容だった。「ウケ狙い政治」とは、いうまでもなくコイズミのパフォーマンス政治を指す(安倍晋三はコイズミと同じことをしようとしたが大失敗した)。記事には、福田は地味でワイドショー受けしないだろうが、その方が良い、政治なんてつまらなくて良いのだ、というようなことが書かれていた。同感である。

「花・髪切と思考の浮游空間日記」経由で知った東京新聞の社説は、「観客民主主義」からの脱出を訴えていた。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2007100702054538.html

一昨年の「9・11」が「祭り選挙」だったという指摘はその通りだと思う。では、今年の「7・29」の参院選はその迷いからさめたものといえるのか。社説子は、それに対して懐疑的である。

「AbEnd」という反安倍のブログキャンペーンをやった私の感覚では、安倍晋三というのはコイズミと同じパフォーマンス政治をやろうとしたものの、民衆の心をつかめなかったために滑稽な姿をさらして、国民の笑いものになった人だ。マスメディアもブログもそれを面白おかしくからかった。だから、「7・29」の参院選は、やはり「祭り選挙」だったと思う。反政権側にも、毒をもって毒を制す、みたいなところがあり、それは危険な極右政権を倒すためには仕方なかったと私は思うのだが、政治をめぐる言論の状況としては、やはり正常ではなかった。

今後、地味といわれる福田政権は、野党の政策にすり寄り、「コイズミカイカク」にはいやでも修正がかかり、個別の案件について与党と野党の提示する政策の優劣が議論されることになると思う。これは、確かにワイドショー受けしないだろうし、「政治ブログ」(笑)のアクセス数も下がるだろう。だが、このほうが本来望ましいあり方だ。

東京新聞社説子のいう「キャラの立つ」麻生太郎だったら、またまたパフォーマンス政治が続いたかもしれない。新自由主義経済政策では、福田の方が麻生より「右」だが、その危険性より、空疎な「パフォーマンス政治」が続いたであろう麻生政権の危険性のほうが大きかったのではなかろうか。それに麻生だって自民党の政治家である以上、「修正構造改革」路線の経済政策しかとりようがないのだ。私は、自民党はまあまあマシな選択をしたのではないかと思う。

東京新聞の社説は、以下のように書く。

 本当に観客民主主義を脱するか、次の衆院選が正念場です。政治を眺めたり楽しんだりではなく、自分の目で監視し、自分の頭で決断しなければなりません。

 そのために、マスメディアは政治家に乗じられ利用されないよう、主体性を持って報道しなければなりません。私たちも正念場と自戒しています。

東京新聞 2007年10月7日付社説)

これは、ブログについてもいえることだろう。