kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

山崎行太郎氏の関岡英之批判

山崎行太郎氏のブログには、賛意を感じたり、どうしても賛成できなかったりと感想はさまざまなのだが、面白いことは確かだ。氏は右派、私はリベラル(のつもり)なので、賛成できないことが多いのは仕方がないが、11月3日のブログは刺激的だった。

http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071103

「守屋・宮崎逮捕は秒読みか?」というタイトルのエントリだが、特に賛意を感じたり刺激を受けた点などをあげてみる。

ところで、小泉政権時代に政治謀略と国策捜査の対象になり、鈴木宗男と共に逮捕された佐藤優氏は、この守屋スキャンダルをめぐるマスコミの守屋バッシング報道を、鈴木宗男佐藤優事件と類似していると指摘した上で、その政治的背景や検察のリーク情報を警戒せよ、と言っているようだが、僕はそうは思わない。守屋事件は、鈴木宗男事件とはそのスキャンダルの性質ややバッシングの意味がまるで違う。政界への波及は必至だが、守屋事件の暴発と背景には、おそらく政治的なものはない。事件の発端は、山田洋行という新興の防衛関連商社の内紛である。

そうそう、「守屋武昌氏を守れ」だったか「守屋武昌氏の国策逮捕がうんたらかんたら」だったか忘れたが、ことさらにこの件に陰謀論的な解釈を加えようとする一部の人たちの意見に対し、私は強い違和感を持っていた。

僕は、小泉構造改革批判の時もそうだったが、米国からの対日謀略という図式ばかりに固執すると問題の本質を読み違えると思う。小泉構造改革を推進した竹中平蔵一派(「諸君!」に登場している高橋洋一内閣参事官…)は、米国政府のエージェントなのではなく、ただ単に、米国留学時代に「新自由主義」的な「新古典派経済学」に洗脳されただけの「チンピラ学者」にすぎない。問題は、米国留学帰りのチンピラ学者やチンピラ官僚を理論的に批判し、論破し、政権中枢から追放できなかった日本国内の政治家や経済学者、マスコミ、一般大衆にある。つまりわれわれ国民の思想的な劣化が、竹中一派の悪政と暴走を許したのである。関岡某のように、竹中らの背後に、「米国政府の意図や謀略」を読むのは深読みであり被害妄想的な陰謀論の一種に過ぎない。「奪われる日本」の被害者も加害者も日本国民である。米国や中国、あるいは北朝鮮を「悪役」に仕立てて、日本国民は悪くない…、日本国民に責任は無い…、悪いのは「●●」だ…というような国際謀略論が、保守論壇ネット右翼の間で、あたかも正論のごとく持て囃されている昨今だが、それこそ最近の日本国民の思想的劣化を象徴し、知的退廃を物語るものだろう。関岡某の「米国の対日要望書」犯人説に洗脳され、踊らされている保守論壇ネット右翼こそ思想的劣化の象徴そのものであり、まことに哀れというしかない。ちなみに関岡某の正体は反米左翼である。保守論壇も堕ちたものである。

この部分など拍手喝采ものである。私は、山崎氏よりは関岡英之を買っていて、関岡の著書「拒否できない日本」は興味深い仮説を提出したという意味では評価しているが、関岡の仮説を金科玉条にした言論が特にブログでは目立ち、そのドグマティックな主張にはつねづね辟易している。

竹中平蔵「米国留学時代に「新自由主義」的な「新古典派経済学」に洗脳されただけの「チンピラ学者」にすぎない」というのは、本当にその通りだと思う。あんなやつに好き勝手にのさばらせてしまう方が悪い。

「国際謀略論が、保守論壇ネット右翼の間で、あたかも正論のごとく持て囃されている昨今だが、それこそ最近の日本国民の思想的劣化を象徴し、知的退廃を物語るものだろう」という部分に至っては痛快この上なく、座布団十枚ものだ。関岡を神様のように崇め奉る人間が、ネオコン城内実平沼赳夫を称揚するのである。そのくせそんな人に限ってご自身はリベラルのつもりでいたりするから始末に負えない。

なお、私は関岡英之は「反米左翼」ではなく「反米右翼」だと考えている。