kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「ポピュリスト」という言葉に逆切れするコイズミ信者(?)のブログ

「ポピュリズム」「新自由主義」言葉が呪文としての効力を持つ時 ファシズム全体主義への道: 地声人語日記

ポピュリストと言う言葉は、良い意味にも、悪い意味にも、使われると言ったが、米紙から、ポピュリストと評されている、代表的な政治家は、ベネズエラとイランの大統領である。

日本では田中角栄だ。

本当に、米紙が田中角栄を「ポピュリスト」と評していたのだろうか?

日本で、「大衆迎合」を批判されて「ポピュリスト」と言われた政治家は、一に小泉純一郎、二に石原慎太郎である。

当該ブログは、このことを無視している。「新自由主義」というレッテル張りには過敏に反応しているが、そもそも小泉純一郎が「ポピュリスト」と批判されていることを、おそらくは意識的に無視しているし、レッテル張りの罪といえば、コイズミによる「抵抗勢力」批判ほど露骨なものはなかったのに、それを不問に付している。不誠実極まりないデマゴギーだと断ぜざるを得ない。

中曽根康弘は、確かに日本における新自由主義創始者だが、中曽根内閣の頃は「構造改革」というと、マルクス主義陣営の内部批判から生まれた、日本でいうと江田三郎らの主義主張を指した。それを、新自由主義用語に換骨奪胎した(というより名称だけ勝手に借用した)のは、ほかならぬ小泉純一郎である。

それと、いうまでもないが、橋下徹は、典型的な「ポピュリスト」(大衆迎合主義者または大衆煽動家)である。