kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

印象批評をやってみる

「たんぽぽのなみだ〜運営日誌」の更新頻度が減っていたと思ったら、アウェーで議論をやっていたためらしい。

私が実に不思議に思うのは、「書かれていないことを勝手に読み取らない」はずの人たちが、平気で書かれてもいないことを読み取っていることだ。また、客観的根拠を大事にするはずの人たちが、ある辞書に書いてあることを鵜呑みにする。別の辞書には異なった記述があるにもかかわらず。それで、「そんなことを書くんじゃ、印象批評といわれても仕方がない」と書いたら、「僕は印象でものを言っている」と返してくる。そんなもん、モヒカンでも何でもないじゃん。

向こうがそんなていたらくだったら、こっちも印象批評をやってみようか。

私は、1990年からネットニュースを愛読していたので、今でいう「モヒカン」な人たちがいかに情緒過剰だったかということをよく知っている。過去ログをたどって、1989年の「差別用語論争」を知った時の驚愕は、ビックル一気飲みなんてもんじゃなかった。

「書かれてもいないことを勝手に読み取らない」。このフレーズから思い出したのは、mohta(太田昌孝)氏が愛用していた、

「想像でものを言うな」

というセリフだった。「書かれてもいないことを勝手に読み取らない」というのは、mohtaのイチャモンにも動じず、議論を発散させないための技法だったのではないか。

当時のネットニュースには、mohtaのほかにも、void(日下部陽一)とかlala(松岡)といったつわものたちがいた。彼らはよくスレッドを炎上させていたものだ。臆病な私はROMしていただけだったが、当時から議論に参加していた人たちは、ネットにおける議論のスキルを磨いていったのだろう。もちろん、それ自体は評価すべきことだ。だが、mohta, void, lalaの三馬鹿(すぐに人を「バカ」と罵倒する人たち)は例外的存在で、インターネットが普及した現在は、彼らのような存在はごくまれだ。リベラル・左派の「政治ブログ」では「STOP THE KOIZUMI」をめぐる罵倒合戦が有名だ(というより悪名高い)が、それでも20年近く前のネットニュースにおけるバトルに比べればごくかわいいものだった。

そのインターネット草創期のバトルで磨かれた技法も、新参者の加入によって形骸化していったのではないかと私は想像する。「公論」を「私闘」より上に見る思想も形骸化の影響だろう。

そもそも、一体誰がある人の言説を「公論」、別のある人の言説を「私論」とみなすのだろうか。「私闘」だと自称していた人の文章よりも、「公論」を「私闘」より上に見ていた人の文章のほうがよほど独りよがりなものだった実例を、今回私は目撃した。後者の論者は、「公論」を述べようとしながら、「私論」しか発することができなかったのだ。

こんな状態だから、遅れてきた「水伝」騒動に、アカデミズムやそれに近い人たちが加わっても、全然新たな成果は得られないのだ。「水伝」からポピュリズム陰謀論を論じる行き方もあるのだが、擬似科学批判を離れてそっち方面に戦線を移動したほうがまだマシではないかと思う今日この頃だ。

[追記]
もっとも、今回の「遅れてきた水伝騒動」は、擬似科学をめぐる論争といえるものではなかった。これは、「差別用語論争」が1年後に蒸し返された時、すさまじい罵倒合戦となって、対立論者に「差別用語派」というレッテルを張った論争(レッテルを張った側を「罵倒用語派」と呼ぶ人もいた)になったことを思い出させるものだ。自分で相手方(アカデミズムではないほう)を指して「共感派」と書きながら、それを思い出すこと多々だった。