kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

野茂英雄動画特集その3(「悔いはあります」と引退表明)

先日、プロ通算199勝を挙げて200勝に王手をかけた中日ドラゴンズ山本昌投手が、野茂英雄の引退表明に触れて、「この間も野茂君が引退してね。自分もそう先はないだろうし、『悔いはあります』と言う言葉に共感したよ」と言ったそうだ。
http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20080728&a=20080728-00000064-sph-base

山本昌は、1988年にドジャース傘下のマイナーリーグスクリューボールをマスターし、帰国直後にプロ入り初勝利を挙げるや、終盤だけで5勝をマークして中日のリーグ優勝に貢献した。その山本昌の恩師・アイク生原氏は、同じ1988年に東京で開催された「日米ベースボール・サミット」で、野茂英雄の指導も行った。

しかし、その野茂がドジャースに入団した時には生原の姿はなかった。病に倒れた生原は、野茂のドジャース入団の3年前に世を去っていたのだ。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/mlb/column/200801/at00016050.html

先発投手の球数と登板間隔が定められた現代のプロ野球で、200勝を挙げるのは至難の業だ。1992年に北別府学(広島)が200勝を記録したあとは、2004年に工藤公康(西武−ダイエー−巨人−横浜)が記録しただけだが、4年ぶりに山本昌が記録しようとしている。しかし、工藤も山本も40歳を過ぎてからの大記録達成だ(山本は未達成だが、今年中の記録達成は間違いないだろう)。

それを思うと、2005年、36歳の時に日米通算200勝を達成した野茂は、やはりずば抜けた存在だ。その野茂でさえ、「悔いはあります」という。そして、解雇直前から渡米をきっかけに大化けし、大記録達成を目前にした山本昌も、その言葉に「共感した」という。好きな道に全力投球した男の「悔いはあります」には、万感の思いがこもっているのだ。