kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

自民党総裁選に冷ややかな地方の声

小池も石原も推薦人を集め切れない。こいつらといい、与謝野馨といい、東京選挙区の連中だ。地方は彼らに呆れている。一方、麻生とて大企業の御曹司だ。

以下、地方紙から。
新生面 | コラム | 熊本日日新聞社

福田康夫首相が政権を投げ出した。その原因分析もそこそこに、世間の関心は「次」に集まっている。自戒を込めて言えば、マスコミも国民も政党発信の情報に踊らされてはならない▼小泉純一郎元首相は言っている。「にぎやかな総裁選を」。劇場型政治の主役らしい発言だが、政治混乱への反省がない。「にぎやかに」やればマスコミも国民もついてくるとの確信が感じられ、不快だ▼現実に、首相としての力量に疑問を感じる政治家の名前が自民党から発信され、本人は何も言わないのに、候補者のように扱われている。噺家でなくとも世情のあらに事欠かない状況であるが、煮ても焼いても食えない魚は見分けたい。

熊本日日新聞 2008年9月4日)

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/115391.html?_nva=1

▼根なし草の別名があるのが浮草だ。風に吹かれるまま明日の姿さえわからない。〈つくづくと見て萍にけぢめなし〉(有沢榠りん)。こうした点でも、二代続けて突然の辞任を表明した日本の首相を思わせるものがある▼二人の首相が根なし草だったのは、選挙で信任を得るという「根拠」を得なかったことが大きい。郵政民営化の一点を問うて小泉元首相が多数を得た。その威を借りて、政権運営を進めようとする。自ら審判を求められない状況では、いずれ行き詰まるのは当然にみえた▼自民党の麻生幹事長が、後継総裁になることについて「資格があると思う」と意欲を示した。党の最高幹部が次を狙うのはもっともだ。だがそれは、国の指導者となる「資格」とは次元が異なる▼誰が次の首相になるにせよ、総選挙を経なければ、漂う根なし草の状態は変わらない。国民に根ざす内閣をつくるためには、まず解散して信を問うことが不可欠である。

北海道新聞 2008年9月3日)