kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「小さな政府」を支持する「リベラル」の存在が信じられない

なぜリベラルが未だに「小さな政府」を支持するのか? - Munchener Brucke
でも論じられているが、コイズミ退任から2年が経過したというのに、今なお「リベラル・左派」の間に「小さな政府」を求める声が大きいのは、昔から社民主義寄りの私にとっては不思議でならない。

この記事で挙げられている東京新聞中日新聞)の社説
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2008080302000113.html
は、発表当時、タイトルを見ただけで読む気が起きなかったのだが、今日初めて読んだ。予想通りの内容で、よく朝日新聞毎日新聞でもお目にかかる論調だ(特に最近の朝日はひどい)。

 ただ、「公共事業や役所の無駄遣いを削減する」という主張をしている人がすべて新自由主義者ではない。この辺で神経質になり過ぎて、ちょっとでも新自由主義的な政策に噛み付くのは過剰バックラッシュであろう。

という指摘に、当ブログ管理人も当てはまるのかもしれないが、

「小さな政府/大きな政府」という二者択一が盛んに使われるようになる以前は予算を公共事業に使うのか社会保障に使うのが政治の重要テーマで、前者が保守、後者が革新というのが日本独特の政治構造であった。今でも左派リベラルの人はこの図式で物事を考えている。

については、的外れではないかもしれないけれども、1976年に緊縮財政論者の福田赳夫が総理大臣に就任して以来(結局景気を悪化させてしまい、福田赳夫は経済問題では名を残せなかった)、その二代前の田中角栄内閣(1972〜74年)がやろうとしていた福祉国家の道を日本は歩まず、財政規模はアメリカを除く欧米諸国並みには大きくならなかったのではないか。つまり、日本はずっと「小さな政府」だったのではないか。

本格的に新自由主義を打ち出した中曽根内閣(1982〜87年)以前の大平内閣(1978〜80年)の頃から、「小さな政府」を日本政府が掲げるようになったと私は認識している(大平内閣当時にイギリスで成立したのがマーガレット・サッチャー内閣だった)。

そんな低福祉国家・日本でコイズミが「カイカク」をやろうとしたから、日本は自殺大国になってしまったのではないか。

そう思っているから、ついつい「小さな政府」という言葉にネガティブな反応をしてしまうのである。