kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

沖縄切手バブルの思い出

投機は最後には必ず失敗に終わる。これは私のモットーだ。アメリカの「カジノ資本主義」も、これから終焉へと向かっていくだろう。
留意すべきは、アメリカ経済を軟着陸させることであって、急激にではなく、ゆっくりと投機集団を整理していかなければならない。だから日本も、軟着陸には協力すべきだろうが、ハゲタカを甦らせる馬鹿な努力に手を貸してはならない。

このところ、1998〜99年によく読んだような、アメリカの金融資本主義を批判する本を読んでいて、デジャヴュ(既視感)の毎日だ。9年前、「これは新しい米帝だ」と叫んで反米の傾向を強め、民主党支持を公言していた私は(当時の民主党は実は新自由主義色が今よりずっと強かったのだが、眠っていた政治経済への関心が甦ったばかりの私はそれを理解していなかった)、会社の同僚に変な目で見られたものである。当時と違うのは、当時は、アジアやロシアで猛威を振るった金融資本の暴風雨が、たまたまアメリカのヘッジファンドを直撃しただけだったのに対し、今回はアメリカ自体の住宅バブルの崩壊が金融機関を直撃したことだ。今回は、アメリカの金融帝国主義に致命傷を与える可能性がきわめて高い。

だが、今日はふと1972〜73年の沖縄切手バブルのことを思い出した。これも、沖縄返還に絡んでいるから、アメリカと関係があるといえなくもない。

大阪万国博(1970年)の好景気に浮かれる日本に、切手収集ブームが起きた。すると、発行枚数の少なかった「月と雁」や「見返り美人」といった記念切手の売買価格が高騰し、これに目をつけた投機集団が現れた。郵政省は、記念切手が投機の対象にされてはたまらないと、記念切手の発行枚数を増やしたため、記念切手を利用した投機が困難になったブローカーは、本土復帰を目前に控えた沖縄切手に目をつけ、その売買価格を吊り上げたのである。

当時、日本切手の世界には、2種類のカタログが存在した。日本郵便切手商協同組合が発行する「日本切手カタログ」と、日本郵趣協会が発行する「原色日本切手図鑑」(現「さくら日本切手カタログ」)である。少年時代の私が不思議に思っていたのは、急騰しているはずの沖縄切手の価格が、この2種のカタログでは低く評価されていることだった。

ところが、ここに「標準切手カタログ」なる第3のカタログが現れた。これは、デイリースポーツ社という、現在では阪神タイガースを応援する紙面で知られるスポーツ新聞社(神戸新聞の関連会社)が発行し、「日本切手商協会」が編集に協力した切手カタログだが、「日本郵便切手商協同組合」とあまりにも紛らわしい名称を持つ「日本切手商協会」こそ、投機集団の組織だった。そして、関西のマスコミとつるんで、高い沖縄切手の評価額を載せた切手カタログを発行したのである。正当なカタログでは冷静に低い値がつけられている沖縄切手を利用したバブルは過熱した。沖縄切手バブルの象徴となったのが、1958年に発行された「守礼門復元」記念切手だった。

リンク先の記事に、こう記載されている。

この切手は1970年代に一時期、切手投機業者による人為的な価格操作がなされ、その結果、市場価格が暴騰した。しかし僅か1年程度で元の相場に暴落、曰く付きの切手である。

その通り、沖縄切手バブルは、沖縄の本土復帰1年後の1973年5月頃にはじけ、投機で金儲けをたくらんでいた切手商の破綻が続出した。私はことの真相を、翌1974年発行の日本郵趣協会の「原色日本切手図鑑」に掲載された長文の記事を通じて知った。その記事は、沖縄切手を利用した投機集団を厳しく糾弾していた。投機集団「切手投資センター」を率いていたのは、伊藤淳也なる人物であり、この男は、日本切手商協会の責任者も兼ねていた。切手評論家(?)として知られていた平岩道夫なる人物も、沖縄切手バブルに協力していた。私の家には平岩の著書があり、私はそれを愛読していたので、その著者が怪しげな投機に協力していたと知って、ショックを受けたものである。

今、ネットで調べてみたら、切手による投資のブームは、大阪万国博の頃ではなく、それよりもっと以前の東京五輪(1964年)頃に始まっていたらしい。
http://fukuhen.lammfromm.jp/2007/06/post_77.html

さすがにこれは知らなかった。

沖縄切手バブル崩壊後にどうなったかというと、切手で儲けることなど不可能であることを人々が理解しはじめるや、切手収集ブーム自体が去っていった。かくいう私も、切手収集は1976年頃に止めてしまったのだった。

バブルはいずれ弾ける。金融資本主義は、それこそ規模が「グローバル」であっただけの話だ。「カジノ資本主義」の時代は、必ずや「ギャンブルの胴元に世界が支配された時代」として、後世の人々から笑いものにされることだろう。

参考記事:
郵便学者・内藤陽介のブログ 沖縄返還と切手投機