kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

福岡ソフトバンクホークスの王貞治監督が退任

福岡ソフトバンクホークス王貞治監督が、今季限りでの辞任を表明した。
本当なら、胃がんの手術をした一昨年のシーズン限りで引退して、ゆっくり療養していただきたかったのだが、チーム事情がそれを許さなかったのだろう。
巨人一筋だった王が、1995年にダイエーの監督に就任すると聞いたとき、大洋(現横浜)やヤクルト監督就任が噂されながらいっこうに動かず、結局巨人監督に復帰して、FAだの逆指名だので球界の秩序をぶっ壊した長嶋のことを思い浮かべ、本当に王がダイエー監督として長続きするのだろうかと訝ったものだ。
95年の西武ライオンズ球場での開幕戦は、華々しいものだった。始球式では西武監督の東尾修と対決した。試合は1回表早々に大量点を奪いながら、先発の工藤公康が打たれて西武に逆転されたが、9回に追いついて延長戦の末に勝った。しかし、華々しいスタートとは裏腹に、その後成績は急落し、翌96年には最下位に転落してファンに生卵をぶつけられた。
ダイエーが上位に顔を出すようになったのは、98年の終盤でAクラスに浮上し、一時は優勝を争う勢いを見せた頃からである。結局この年は同率3位に終わったが、この年の終盤戦の好成績が翌年生きた。南海ホークス時代から通算して26年ぶりの優勝。そして、日本シリーズでは星野仙一率いる中日を4勝1敗で圧倒した。
翌2000年にもリーグ優勝を果たしたダイエーは、01年、02年こそ優勝を逃したものの、03年に3年ぶり優勝。そして、再び星野仙一の率いる、今度は阪神タイガースと対戦して、4勝3敗で二度目の日本一に輝いたが、この年の井口、松中、城島、ズレータと並ぶ打線は、すさまじい破壊力を誇った。これと比肩し得るのは真弓、バース、掛布、岡田を擁した1985年の阪神タイガースだけだろう。
豊富な資金を誇った頃のダイエーの恩恵に浴したともいえる。王自身も短期決戦に強いとはいえなかったが、王以上に短期決戦に弱い星野仙一と二度も日本シリーズで対戦したのも幸運だったし、それよりも何よりも、2006年のワールドカップクラシックで、誰もが予選敗退だと諦めたその時、アメリカがメキシコに敗れ、九死に一生を得て決勝トーナメントに進出し、第1回の大会で優勝する栄光に浴した。
まことに「運も実力のうち」と評するしかない監督生活だった。完璧な打者だった選手時代とはまた一味違った、ある意味ハチャメチャな監督時代であり、これは現役時代にわがまま放題の選手だった川上哲治が、監督になって冷酷非情な管理野球でV9を達成したのと好対照をなす。
だが、気づいてみたら14年もの長きにわたってパ・リーグの球団の監督を福岡で務め上げていた。この間、中央のマスコミから優遇されたとはいえない。99年の中日との日本シリーズでは、名古屋や東京から取材にくる記者らがダイエーの選手について全然知らないまま、平気で「中日有利」の下馬評の記事を書いたの対し、「知らないのなら知らないと書け」と怒った。巨人しか知らない長嶋茂雄には、王貞治の苦労はわからない。
記憶にも記録にも残る人だった。退任のインタビューにも、この人らしい誠実さが感じられた。月並みだが、お疲れさまと言いたい。