kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

筑紫哲也の死を悼む

訃報は、「はてブニュース」経由、TBSのサイトで知った。

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3988844.html

筑紫哲也が死んだ。肺がんでニュース番組を降板していたが、まさかこんなに早く亡くなるとは思わなかった。73歳、早すぎる死だ。

訃報記事を見ると、「NEWS23」のことは必ず書いてあるが、朝日新聞外報部時代の1978年〜82年にテレビ朝日の「こちらデスク」という番組に出ていたことはあまり書いていない。asahi.comにはさすがに出ていた。
http://www.asahi.com/obituaries/update/1107/TKY200811070335.html

外報部次長時代の78年、「こちらデスク」(テレビ朝日系)のキャスターになり、テレビでも知られるように。

毎週日曜日夕方6時にやっていたこの番組は、朝日新聞の映像メディア戦略の早い段階における試みだったと思うが、ライバルTBSが土曜日にやっていた「JNN報道特集」の水準には全くかなわなかったと認識している。そういえば、「報道特集」をやっていた料治直矢は早くに亡くなり、番組も今年春に終了した。今調べてみたら料治の没年は1997年、筑紫と同い年で61歳の早世だった。私は両方の番組を見る習慣があり、「こちらデスク」はアシスタントに若い中里雅子を起用していて、それがこの番組を見る楽しみの一つだった。

筑紫哲也は、朝日新聞朝日ジャーナル週刊金曜日などに記事を書いていたが、不思議とあまり印象に残っておらず、やはり1989年10月に始まったTBSテレビの「NEWS23」のキャスターとしての印象がもっとも強い。テレビ朝日の「ニュースステーション」に対抗して「報道のTBS」が始めた番組だったが、同年11月にはベルリンの壁が破壊され、東欧社会主義国家がドミノ倒しになっていく激動の時期だった。12月末には、直前まで熱烈な個人崇拝の対象となっていたルーマニアチャウシェスク大統領が革命で倒され、裁判にかけられて即日処刑されるショッキングなできごとがあり、イリエスクを国家元首とする暫定政府が成立したが、「イリエスクなる人物の政権も短命に終わるのではないかと言われています」と筑紫が伝えたのが印象に残っている。実際にはイオン・イリエスクは1996年まで大統領を務め、一度退任した後2000年から2004年まで再度大統領を務める長期政権になった。

ネット右翼は、筑紫の死について、「反日野郎がどうこう」などと書いていると思うが、私はそういうのは一切見ないことにしている。ただ、筑紫はコイズミのオペラ友達であったことには触れておかなければならないだろう。

コイズミ政権時代初期に、ハンセン氏病訴訟で国が敗訴した時、控訴を断念するという首相在任中唯一の善政を行ったことがあった。あの時、私はコイズミが人気取りの目的で必ず控訴を断念するだろうと予想しており、それが当たったのだが、そのあとにくるものについてイヤな予感を抱いたのを今でも思い出す。この件で、筑紫はコイズミに控訴断念のアドバイスをしたと推測するのは福岡政行である。
http://www.wendy-net.com/nw/person/hiroshima-u0201p03.html

2002年に広島大学で行われた公開市民講座で福岡は、

あの5月23日のニュース23を見ていたら、筑紫哲也が冒頭で「長いジャーナリスト、キャスター人生の中で、今日は自分を褒めてあげたいと思う」と言って、うっすら涙流した。私はピンときた。小泉さんに筑紫哲也アドバイスをしたな。

と言った。私は、コイズミは筑紫に助言されなくとも、政治的打算から控訴を断念しただろうと思っているが、筑紫の真摯さは本物だったに違いない。

筑紫がコイズミカイカクに対してどういうスタンスをとったかは、実はよく覚えていない。コイズミ時代には、あまり「NEWS23」を見なくなっていたからだ。例外は「郵政解散・総選挙」の頃で、田原総一朗岸井成格古舘伊知郎みのもんたらが一斉にコイズミの応援団と化し、古舘が共産党議員の主張を遮ってコイズミ支持の茶々を入れていた時、唯一節度を保った態度をとったキャスターが筑紫だった。

ネット右翼売国とか反日とか言う筑紫だが、アメリカ特派員の経験が長い筑紫は、私には親米に見えた。バラク・オバマの大統領選当選や、今後アメリカ、そして世界が経験する激変を筑紫に伝えてほしかったと思う。

来年4月からはTBSの夜のニュースはみのもんたがやるという不穏な情報がある。テレビ東京系や日本テレビ系の報道番組は、まだカイカクが足りないなどとほざいている。日本のマスコミは、世界の流れとは逆行しているように見える。

まだまだ日本のテレビ界には筑紫哲也のような人が必要だった。心からご冥福をお祈りしたい。

[追記] (2008.11.8 07:18)

id:buhikunさんより、

「親米」と言うと、合衆国政権与党(今はまだ共和党)の有力者とコネがあって活用できるという含意があると思っていますが、筑紫氏は、その意味での「親米」ではなく、むしろ、「知米」の有識者と解しています。

とのコメントをいただいた。確かに、「親米」というとちょっと違和感があり、「知米」の方がしっくりくる。コメントに謝意を表します。

なお、テレビ朝日報道ステーション」でも、冒頭で長い時間を割いて筑紫哲也の死が報じられた。テレビ朝日朝日新聞と関係の深い人物とはいえ、TBSのキャスターとしてもっとも有名だった人の死の扱いとしては、異例だったと思う。

(文中敬称略)