kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

2003年の民由合併前にサッチャリズム信奉から転向していた小沢一郎

今日見つけた資料の中で一番面白かったのは下記だ。あの忌まわしい「郵政総選挙」の直後の日付がついている。
archives of bewaad institute@kasumigaseki(2005-09-13)

◆ vodka (2005-09-19 13:05)

サッチャリズムですが、私は日本ではあまりにも過大評価されているのではないかと思います。
今まで何人もの英国人とともに職場をともにしてきましたが、サッチャー夫人をボロクソに言う英国人にあったことはありますが、その逆はありません。
私がともに働いているのは主に20代後半の若者たちなので、70年代の構造不況を知りませんので、物心ついたときにはサッチャリズムでボロボロにされた地域社会を見て育ったためではないかと思います。
一応、階級別に採用しているわけではないので、労働者階級から貴族までいろんな出自の英国人がいますが、いずれもサッチャリズムについては「国家国民を分裂させ、英国を【衰退】させた」と口を揃えています。
統計的な事実と、彼らの評価が一致するかどうか知りませんが、英国人一般の評価として、特に若者の評価としてサッチャリズムは敬遠されるべきものだと理解されているものだと思われます。
サッチャリズムの信奉者には以外に思われるかもしれませんが、彼らはサッチャー夫人の名を口にするたびに「穢れる」と言って唾を吐き、サッチャー夫人が倒れたときは全国の英国人に呼びかけてパーティーを開いて喜んでおりました。
サッチャー家の奴らは悪人だ」とまで罵る彼らを見て、私はただ驚いていましたが、子息のマーク・サッチャー氏が逮捕されてその所業が明るみにでると、なるほど彼らの憎悪も理由のないことではないのかと多少納得したしだいです。
以上。私の知っている範囲のことです。

◆ vodka (2005-09-19 13:09)

また、英国保守党においてもサッチャリズムを「過去のもの」として大会決議で放棄が宣言されていますね。
小沢一郎がその大会の数ヶ月後に英国を訪問して状況を聞き取りしてきています。帰国後小沢一郎自由党を解散して民主党に合流。連合推薦の労組政治家に転向しました。
今回の選挙でも県内の日教組が小沢支持で集票していたのを不思議な思いで眺めておりました。

◆ vodka (2005-09-19 15:52)

すみません。間違えました。
サッチャリズムを否定した保守党大会の後に小沢氏は自由党を解散して民主党に合流したのでした。
英国視察は、さらにその選挙の後でした。鳩山さんを連れていったことを思い出して間違いに気付きました。
小沢氏はロンドンの中央政党ばかりでなく、スコットランドウェールズの地方政党の動向にも関心を持ったようで、帰国後「小さな政府研究会」は弟子の達増拓也に任せて、自分は東北出身者議員だけを集めて「東北議員連盟」と言う地域別の政策集団・派閥をつくりました。
かつてサッチャリズムの信奉者と思われていた小沢氏ですが、既に別の道を模索しています。でも、あんまり知られていない。
自分の選挙区なのに勘違いしていました。すみません。

(注:一部の誤変換は筆者が訂正しました)

つまり、小沢一郎の転向は、2003年の民由合併の前だったということだ。それなのに、民主党内でさえ翌年になってもまだ小沢一郎は典型的な新自由主義者と見なされていた。なんと不思議な政治家だろうか。一方、小沢の転向に十分気づいていた田中康夫は、小沢に急接近した。

同じ頃、平沼赳夫を団長とする視察団がサッチャーの教育カイカクを学ぶためにイギリスを訪れ、「諸君!」だか「正論」だったかの右翼論壇誌に、その成果を発表していたはずだ。その座談会には安倍晋三も出席していた。つまり、平沼は安倍にきわめて立場の近い新保守主義者かつ新自由主義者だったのである。どこが「真正CHANGE」なものか。

なお、私の知っているイギリス人も、確かにサッチャーのことをボロカスに批判していた。でも、彼の言うことを聞くと、長年サッチャーが首相を務めていたにもかかわらず、今なおイギリスは日本なんかよりずっとずっと進んだ福祉国家なのだな、と痛感したものだ。

もともと「サービスの小さな政府」の国だった日本に、コイズミがサッチャリズムもどきを導入したものだから、日本の社会はめちゃくちゃに破壊されてしまった。郵政総選挙の時、民主党自民党と「カイカクを競う」方向性をとって惨敗したのだが、その時には既に小沢一郎はとっくに「脱サッチャリズム」に転向済みだったわけだ。だから、翌年4月に民主党代表になると同時に、党の方向を大転換させたのだろう。

でも、もともとが保守本流かつ新自由主義の信奉者だったから、その後の小沢一郎にはしばしば自己矛盾が現れ、民主党を迷走させた。とはいえ、2007年7月の参院選で、新保守主義新自由主義の権化だった安倍晋三率いる自民党を完膚なきまでに叩きのめしたことは、高く評価されてよい。そして、その功績をもって代表の座を退いてもらっても良いのではないかと私は思うのである。