kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

江夏豊の動画に見入ってしまった

ひょんなきっかけから、プロ野球阪神、広島などで活躍した江夏豊の、YouTubeの動画に見入ってしまった。
中でも、1973年に延長戦でのノーヒット・ノーランを自らのサヨナラ本塁打で決めた動画(神戸のサンテレビ製作と思われる)は、画質が悪いものの圧巻だ。

9回ツーアウトから打者に粘られたものの打ち取った時の達成感に満ちた表情と仕草。

http://www.youtube.com/watch?v=YaP1lFTsy1M

しかし、その裏代打田淵から始まる打順も、打線の援護なく延長戦へ。

10回ツーアウトから井上に大飛球を打たれた場面では、ホームランになるはずがないとわかっているにもかかわらずヒヤリとしてしまった。
http://www.youtube.com/watch?v=T_-39ZQAwFc

10回、11回と回が進むにつれ、江夏は明らかに疲れた仕草を見せるようになった。それもそのはず、江夏はこの試合の2日前にリリーフで65球を投げていたのだ。この試合は中1日での先発だった。しかし、味方打線の援護はない。10回裏一死一塁でネクストバッターズサークルに江夏がいる場面では、11回裏何が起きたかを知っているので打者が併殺打を打つしかないとわかったが、なんとも情けない投ゴロ併殺打だった。11回表の中日の攻撃は、疲れた仕草を見せる江夏を打てず、内野フライや浅い外野フライを打ち上げていた。打球がフライになるということは、疲れていてもなお江夏の球に伸びがあったということだ。

そして11回裏。打順が投手の江夏だったので、サンテレビのアナウンサーは他球場の経過を報告しており、巨人が勝って阪神に並んだと言っていた。それをアナウンサーがしゃべっている最中に、江夏が中日先発・松本幸行の投じた球を強振し、打球はライトのラッキーゾーンに飛び込んだ。サヨナラ本塁打を打って、両手をあげてダイヤモンドを一周する江夏は泣いていた。

http://www.youtube.com/watch?v=Oy6jATULiXI

この日の甲子園球場はいつもの浜風ではなく、レフトからライト方向へと風が吹いていたようだ。だから、10回表に井上がレフトに打った打球はアナウンサーの絶叫にもかかわらずホームランにならず、アナウンサーが最初「ライトフライ」と言った江夏の打球はホームランになった。延長戦でノーヒットノーラン、しかも自らサヨナラ本塁打という大記録には、運も味方した。

江夏には、この試合以前に、やはり中日戦で序盤に1安打を打たれたあと、後続の打者を一人の走者も出さずに打ち取り続けたが、延長戦でホームランを打たれて敗戦投手になったことがあるそうだ。あやうく、同じ悲劇を2度繰り返すところだったが、2度目には幸運に恵まれたわけだから、やはり神様は公平なのかもしれない。

この試合のほかにも、オールスター戦で9連続三振を奪った試合でも自ら3ラン本塁打を打ち、広島時代の日本シリーズでは1点リードの最終戦で9回裏無死満塁のピンチを「江夏の21球」で抑えると、翌年のオールスター戦でも無死満塁斬りをするなど、なぜこんな投手が存在し得たのだろうと思うほどだ。

でも、延長戦でノーヒット・ノーランを演じた試合で、甲子園球場の外野スタンドにはほとんど観客がいなかった。当時の甲子園は、巨人戦でしか満員にならなかった。

その巨人と阪神がシーズン大詰めの10月に後楽園球場で対戦した2連戦の動画も見た。この年、江夏以上に阪神投手陣を引っ張っていたのが上田二朗で、なぜ中日キラーだった上田をマジック「1」で迎えた中日球場の試合で使わなかったのかと当時話題になった。江夏は中日戦でノーヒット・ノーランを記録したとはいえ、敵地・中日球場とは相性が悪く、確か何シーズンも前からずっと勝っていなかった。

しかし、動画を見ていて、この年の上田は確かに中日戦8勝1敗だったが、巨人戦にも最終戦で先発する前まで6勝3敗と好成績を収めていたことを知った。江夏は、なぜかこの年の巨人戦の登板が少なく、成績は2勝2敗だった。だから、江夏で中日に負けても、この年巨人戦の成績がもっとも良かった上田がいたことになるわけだから、言うほどおかしな投手起用ではなかったのかもしれない。もちろん、最終戦で上田が巨人打線にメッタ打ちされたことや、その後の江夏、上田両投手の成績を知っている現在の目から見れば、上田を中日戦、江夏を巨人戦で起用した方が良かったに決まっているが、それはあとづけの理屈ではないか。あの時点では「阪神フロントの八百長」だったとはいえないのではないかという気がする。

阪神が優勝を逃したあと、ずっと前の巨人戦で打球を追って転倒して勝利を逃した池田純一が責められたものだが、この池田にしても、江夏がノーヒットノーランを記録する数日前の広島戦でサヨナラ2ランを放って、ヒーローになっていたことを上記の動画で知った(巨人戦で転倒したよりあとの試合である)。最終戦で巨人に優勝を決められる展開にさえならなければ、池田の転倒が蒸し返されることもなかった。当時の阪神の選手は、巨人戦以外でどんなにすばらしい活躍をしても、一度巨人戦でエラーをして負けただけで、取り返しのつかない罪を犯したかのように責められたわけだから、やっている方としてはたまったものではなかっただろう。

それにしてもすさまじかったのは巨人、阪神両軍の投手起用で、10月10日の試合では巨人先発の高橋一三は中2日で先発して中盤でスタミナ切れして降板し(リリーフの倉田が打たれて巨人は逆転された)、阪神先発の上田は翌日にもリリーフして打たれ、10日の試合で好リリーフを見せて勝利投手になった江夏は、翌11日の試合に連投で先発して打たれた。いくら彼らが好投手でも、こんな使い方をされたら打たれるに決まっている。この年江夏は24勝、上田は22勝、高橋一は23勝だったそうで、投手の酷使は当たり前の時代だった(もちろん、それよりさらに以前の稲尾、杉浦の時代はもっとひどい酷使だったのだが)。

そして、特に印象に残ったのは、10月10日の試合で、5対1とリードしながら田淵に逆転満塁本塁打を浴びたあと江夏に抑えられて敗れた巨人の長嶋茂雄が、「日本シリーズのような試合だった、いい試合ができてうれしく思う」とコメントしていたことだ。全力を尽くして敗れた試合のあと、勝った相手をさわやかにたたえる長嶋茂雄は、選手としてはやはり傑出した男だったのだろう。今の選手だったら、悔しさをあらわにするだけではないか。

こんな選手たちがプレーしていたのだから、そりゃ昔のプロ野球は面白かったはずだ。だが、どんなに長嶋茂雄王貞治江夏豊村山実を称えようが、最後には巨人が勝ってしまう時代であり、そういうプロ野球の構造だった。それがこの世界の予定調和だったし、江夏や村山もそれを受け入れていたあたりに哀しさを感じる。上記巨人−阪神の2連戦を解説していたのは村山だったが、阪神のリリーフ・古沢憲司が、長嶋さんと対戦することに幸せを感じていると言っていた。漫画の『巨人の星』の星飛雄馬花形満を思わせるようなライバル関係が本当に存在したことを当時の動画で見ると、巨人、阪神ともに単なる金権球団に堕してしまった現在との落差に目がくらむ思いだ。ちなみに、『巨人の星』のライバル関係とは正反対に、巨人は長嶋、王の打者のチーム、阪神は村山、江夏の投手のチームだった。あの頃の「巨人−阪神戦」、「阪神−巨人戦」は「伝統の一戦」の名に値した、仮にそれが読売の商売であったとしても。でも、最後には巨人が勝ってしまう構造は、やはり受け入れてはならないのではなかろうか。また、現在人気の高い阪神がかつての巨人に取って代わる図式も、同様に受け入れてはならないものだろう。

そして、いまさらプロ野球があの時代に戻ることはできないし、戻ってはならないと思うのである。