kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

財政の教科書に反する民主党政権の政策

世に倦む日日 基準と意味のスリカエ - 事業仕分けは官僚の無駄の根絶とは違う は、すっきり納得できる内容だ。

現在市ヶ谷の国立印刷局財務省)体育館で行われている事業仕分けでは、仕分けの対象にされている理由は、(1)赤字で採算性が悪い、(2)費用対効果が十分でない、(3)民間に任せられる、等々である。厚労省の「若者自立塾」や文科省の「子ども読書推進活動」の事業は、この基準と論理が適用されて廃止が宣告され、毛利衛の「科学未来館」や田中耕一の「先端計測分析技術・機器開発」の事業も予算の削減が判決された。テレビで何度も映像紹介された毛利衛の反論は、この事業仕分けにおける「無駄」の基準の欺瞞の本質を見事に暴露している。要するに、財務省と仕分け人が喧しく言っているのは、国の事業というのは儲からなくてはならず、黒字を出して利益を上げろという主張に他ならない。逆ではないか。採算に合う事業ではないから国がやっているのである。今回の事業仕分けを支配しているクライテリアは、受益者に負担させ、国の持ち出しを減らし、社会保障や文教予算を縮減して身軽になろうとする「小さな政府」の論理と志向である。官僚の無駄を削るはずの仕分けが、国民の生活や国家の未来を削る仕分けに転化している。

正論そのものである。というより、民主党政権が財政の教科書に反する滅茶苦茶なことをやっているだけなのだが。そして、これはブログ主がこのあとの部分で書いているように、小泉政権と全く同じ」である。

現在の民主党やかつての小泉の政策がいかにめちゃくちゃだったかということを示すために、またまた神野直彦著『財政のしくみがわかる本』(岩波ジュニア新書、2007年)の記述を紹介する。

財政のしくみがわかる本 (岩波ジュニア新書)

財政のしくみがわかる本 (岩波ジュニア新書)

  • 市場社会では、金儲けをしてもいい領域と、金もうけをしてはいけない領域(財政)を分ける必要があるのです。(17頁)
  • 日本で今起こっている問題は、中国と同じように、金もうけをしてもいい領域と金もうけをしてはいけない領域との区分がわからなくなっていることです。すべてを市場原理でやらせるようになって、そしてこの切り分けができていないために、社会的な混乱が起きているのです。(17頁)
  • 財政は金もうけをしてはいけない領域で、だからこそサービスをただで配っているのです。ただで配っているということは、何を意味しているのでしょうか。必要に応じて配っているということなのです。(19頁)
  • 社会のなかに市場原理で動かない、家族のようなしくみがあるから生きていけるのです。そういう家族や共同体の機能が小さくなってきたときには、家族のなかで赤ちゃんの育児や、あるいは高齢者の養老や、病気になった人の治療を市場の荒波のなかにまかせてもいいのかというと、それは無理だろうということで私たちは政府をつくったといってもいいのです。政府はみんなでお金を出しあって支えることによって、必要に応じて財とサービスを配るためにつくったのが財政というしくみなのです。つまり、購買力に応じて配られる市場と必要に応じてくばられる財政というように、経済は二つに分かれているのです。(116頁)
  • 私たちはまず、自分たちの社会のなかで、自分たちの生活を考えて、これはニーズ(基本的必要)なのか、それともウォンツ(欲望)なのかを決めることが必要です。それがニーズだったら財政で満たされなければならないし、ニーズとウォンツの中間形態だと思えば、公的な企業をつくって料金収入でまかなうのが原則です。もちろん、ウォンツだったら市場にまかせてしまいます。こうしたことを国民が決めた政府こそが「ほどよい政府」といえます。私たちはそのようなほどよい政府をめざすべきだと、私は考えています。(122-123頁)
  • いまの日本の政府のように、福祉でも医療でも教育でも聖域なく斬りこんで、小さくするのがいいのだと決めるのは、民主主義の原則からは大きく逸脱しているといわざるをえません。何を財政でやり、何を市場にまかせるのか、決めるのは私たちなのです。(123頁)

神野直彦 『財政のしくみがわかる本』(岩波ジュニア新書、2007年)より)

神野教授の著書が出版されたのは2007年6月であり、「今の日本の政府」とは安倍晋三政権を指す。「福祉でも医療でも教育でも聖域なく斬りこんで」というのは、安倍の前任である小泉政権の方針を、安倍がそのまま踏襲していたものだ。小泉−安倍時代の過激な新自由主義政策は、一昨年9月からの福田康夫政権、昨年9月からの麻生太郎政権で多少緩和されたが、鳩山政権は、こともあろうに財務大臣に元大蔵官僚・藤井裕久を起用し、時計の針を逆回転させて、小泉時代の「痛みを伴う改革」路線に回帰しようとしているかのようだ。だから、皮肉にも「いまの政府のように」という、安倍政権を指して書かれた神野教授の記述が、鳩山政権にもそっくり当てはまる。

8年前の今頃の2001年11月に、国会質疑において、当時の民主党代表・鳩山由紀夫は、自民党内の「抵抗勢力」と戦う小泉首相(当時)を支持する可能性を示唆したことがあった。これを見て、なんたる醜態と呆れたものだが、今月初め頃だったか、NHK特集で当時の映像が流されて、忌まわしい思い出がよみがえった。鳩山由紀夫はあの頃と何も変わっていないのかと思わせる昨今の事態である。