kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

石原慎太郎が35年前に用いていた「君、国売りたまうことなかれ」

記事の見出しを見ただけで、鼻で笑ってしまった。

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091216/stt0912161300007-n1.htm

「君、国売りたまうことなかれ」 安倍元首相が小沢氏批判
2009.12.16 12:59

 君、国売りたまうことなかれ−。自民党安倍晋三元首相は16日付の自身のメールマガジンで、歌人与謝野晶子の句をもじり、天皇陛下に関する民主党小沢一郎幹事長の言動を激しく批判した。

 安倍氏は、陛下と中国の習近平副主席との特例会見を内閣の助言と承認に基づく「国事行為」だとして正当化した小沢氏の14日の記者会見について、「天皇の政治利用は、好きにやらしてもらうとの宣言といえる」と指摘。小沢氏が先の韓国訪問時に永住外国人への地方参政権付与を約束し、来年の陛下の訪韓にも言及した問題に対し、「君、国売りたまうことなかれ」と訴えた。

 さらに、小沢氏が特例会見のごり押し実現を批判した宮内庁羽毛田信吾長官の辞任を求めていることを念頭に、「辞めるべきはあなたであり、鳩山由紀夫首相だ」と書いた。

「お前が言うな」の一言で済む話といえばそれまでだが、そもそも「君、国売りたまうことなかれ」という表現が、これまで何度も目にしたことがあって、平凡陳腐極まりないように思えた。それで、ネット検索してみたところ、下記の記事が引っかかった。

http://uraaozora.jpn.org/isikimi.html

君 国売り給うことなかれ−金権の虚妄を排す− (冒頭部分)
石原慎太郎/初出「文芸春秋」(昭和49・9)

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 過去の政治天才・田中首相の悲劇と喜劇

  首相の反省は本物か

 予想外ともいえる四十九年度参院選の結果は、自民党の今日的体質への批判もさることながら、実はその批判の裏に、国民の冷静な文明批判がこめられているということを感知しなくては、自民党にとってもなんの反省の素材たり得まい。
 それは言いかえれば、党総裁、内閣総理大臣である田中角栄氏の正当な歴史意識の欠如に対する国民の糾弾とも言えるに違いない。
 選挙の結果が明らかになった後の、田中総理のテレビインタビューを見たある人が、総理も今度はだいぶこたえて、反省の色が濃いようだ、と言っていたが、それは早計というものだろう。
 率直にいって、あの気違いじみた、史上最大の金力投下作戦のもとに行なわれた参院選が完敗に終わったあと、田中総理の心中にあるものは、ただ単にいまいましさ、不本意さ以外のなにものでもないに違いない。彼がいまの時点で、金権選挙という発想と方法に疑念や反省を抱いているとするなら、実は田中角栄田中角栄たるゆえんはないわけで、彼がある種の天才たるゆえんは、人間としても政治家としても、田中氏には金権以外の方法も発想もあり得ないというところにあるはずである。

(続きは書店または図書館にて...)

なんと、35年前に石原慎太郎田中角栄を批判するのに持ち出していた表現だった。

しかし、石原や安倍が引き合いに出している『君死にたまふことなかれ』は反戦詩である。石原や安倍だったら「非国民」呼ばわりしかねない。そう思って調べてみたら、与謝野晶子はのちに転向して、晩年の1942年には「強きかな 天を恐れず 地に恥ぢぬ 戦をすなる ますらたけをは」だとか、「水軍の 大尉となりて わが四郎 み軍にゆく たけく戦へ」などという戦争を翼賛する詩を作っていたことを知った。

なるほど、だからこそ与謝野馨自民党にいるわけだし、石原慎太郎安倍晋三与謝野晶子の詩を好んでもじるのかと、妙な納得をしてしまったが、それでも、『君死にたまふことなかれ』が反戦詩であることには変わりはない。

それにしても、政敵を皮肉る表現一つとっても35年前と何も変わらない極右政治家の陳腐さというか発想の貧困ぶりには呆れるばかりだ。