kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

伊勢崎賢治『アフガン戦争を憲法9条と非武装自衛隊で終わらせる』を読む

伊勢崎賢治さんの新刊『アフガン戦争を憲法9条と非武装自衛隊で終わらせる』かもがわ出版、2010年)が出版された。

この本の製作には、ブログ『お玉おばさんでもわかる 政治のお話』を運営しているお玉さんが関わった。そのお玉さんから当ブログ管理人(古寺多見)に書評の依頼があったのは昨年秋のことだ。

当時、ある件に関してブログでお玉さんを批判したばかりだった私は、この依頼に驚いた。しかも伊勢崎賢治さんの著書とのことで、重いテーマの、しかも容易に答えを出せない問題を扱った本であることは想像がついた。そんな本の書評を、一部の人たちから「9・11テロを肯定する男」とのレッテルを貼られている私*1に依頼するとは、お玉さんの発想と行動力、それに胆力は並ではない。私は即答こそしなかったけれども、依頼を受けた時に引き受けることは決めていた。

著者の伊勢崎賢治さんは、現在東京外語大学教授として、平和構築学を教えている。TBSテレビの『サンデーモーニング』(日曜朝8時)のコメンテーターとしてご存知の方も多いだろう。国際NGOで活動後、国連PKO職員や日本政府代表として、東チモールシエラレオネ、それにアフガニスタン武装解除を指揮した。これに関しては、伊勢崎さんの著書『武装解除』講談社現代新書, 2004年)に詳しいが、武装勢力の武器を取り上げ、平和を構築していくというたいへんな仕事に従事されていた。資金集め、ロビー活動、武装勢力との交渉、武装解除、除隊、元兵士たちの社会復帰の支援、平和の維持と、要求される事項が多岐にわたる重責を担っていた。

伊勢崎さんが『武装解除』を上梓したのが2004年。その4年後、伊勢崎さんは再びアフガンにかかわり始めた。周知のように、近年アフガン情勢は混迷しており、オバマ米大統領は二度にわたってアフガンに増派しながら、同時に撤退計画を明示した。オバマは、英雄気取りでアフガン戦争を開戦したブッシュの尻ぬぐいをさせられている。ブッシュには、開戦の責任のほかに、2004年のアフガニスタン大統領選挙をブッシュが再選を決めた大統領選のために政治利用し*2、戦局の泥沼化を招いた重い責任がある。著者は、成果をあげたと高く評価されている著者らの武装解除も、「力の空白」を作ってタリバンの復活を招き、対テロ戦の戦況の悪化に関与してしまったとしている*3

この本の主張の核心は、タイトルにもある「アフガン戦争を憲法9条と非武装自衛隊で終わらせる」ことにある。タリバンと和解してアフガン戦争を集結させることは、アメリカに支援されたアフガン政府の公式見解になっている*4のだが、いまやアフガン戦争の勝機はタリバンにある。現地の一般市民のタリバンに対する感情も、必ずしも悪いとはいえないけれども、その一方で、タリバンの女性抑圧に対しては、強い反発がある*5。ブッシュ(や小泉純一郎)が振りかざしていたような単純な善悪二元論が全く通用しないことは当然だが、一方的にタリバンに肩入れすることも、必ずしも現地に生きる人民の実感に即した態度とはいえない。現実とは常に、複雑にこみ入ったものである。

問題のタリバンとの和解だが、もはやアメリカの手には負えないし、NATO諸国もこれまでアフガン戦争にかかわり、大勢のアフガン人民を殺戮してきた。著者は、アフガニスタンにおいては国連より中立と見なされ、信頼されている日本が、仲介の役割を果たすべきだと主張する。自公政権時代に始められ、先月海上自衛隊に対して撤退命令が出た給油活動*6は、年間80億円くらいの出費で済むし、自衛官の死亡のリスクもほとんどないけれども、れっきとした戦闘行為である。しかし、寄与が小さいためか、国際的にはほとんど知られていない(著者はこれを「美しい誤解」と表現している)。2007年の参院選に惨敗した安倍晋三元首相が「職を賭してでも」給油を継続すると言明しながら、その直後に辞意を表明するというドタバタ劇を演じたにもかかわらず、給油活動の知名度は上がらなかったそうだ。著者は、自らの仕事を通じて、日本の信頼は、憲法9条のもとで他国の人々に銃を向けてこなかった「中立性」に由来していると考えている*7

本書の後半には、最近の後半の著者の活動が記されている。2008年末から、著者は民主党犬塚直史参院議員とコンビを組んで、「一野党(当時)議員と一研究者による、『議員外交』と『民間外交』」*8を始めた。2人は、西側代表団との接触を断っていたカルザイ大統領とも面会し、アフガニスタンパキスタンの国境地域に、国境をまたいで、「支え合う安全保障ゾーン」(Shared Security Zone, 略称SSゾーン)と名づけた、小さな平和(抗争停止)ゾーンを設けるという構想*9を同大統領に提示し、快諾を得た*10。これを受けて、昨年11月23日から3日間、メディアをシャットアウトした「アフガニスタンの和解と平和に関する円卓会議」(「11・23東京会議」)が、世界宗教者平和会議日本委員会の主催で開催された。参加者はアフガニスタンパキスタンサウジアラビア、イランの各政府担当者のほか、NATOの閣僚・司令官クラスの実務者*11。この円卓会議のコミュニケが巻末に収録されている*12が、その骨子には、「治安の権限を、アメリカとNATOから優良なアフガン国軍・警察に完全に委譲すること」と「国境上に駐留するアフガン国軍とパキスタン軍との間で信頼醸成を行うため、国連主導の非武装軍事監視団を創設すること」が含まれる。

最後の第六章「なぜ非武装自衛隊を派遣するのか」で、著者の主張が明確に示される。著者は、上記の軍事監視団に、日本の自衛官を非武装で参加させることを提案している。不幸なことに、アフガンにおいては国連の評価は低く、人民に信頼されていない。しかし、アフガン戦争を終わらせるためには、国連への信頼を回復させるしかない。その役割を、憲法9条を持つ日本が果たすべきだ、非武装自衛隊の派遣は憲法9条の具体化だと著者は主張する。武器を持たずに紛争地帯に入っていくのだから、これは殉職者が出る可能性もある高度な任務だが、自衛隊は既にネパールで軍事監視の経験をしていると著者は指摘する。

著者は、下記の文章で本書を締めくくっている。

 僕には、何というか、これだけアフガニスタンをめちゃくちゃにしたアメリカを、そして日本を、僕をあんな形で巻き込み利用したアメリカを、そして日本を、僕をあんな形で巻き込み利用したアメリカを、見返してやろうという気持ちがないわけでもない。でも、やるなら、建設的に。

 それは僕なりの愛国心かもしれない。

伊勢崎賢治『アフガン戦争を憲法9条と非武装自衛隊で終わらせる』(かもがわ出版, 2010年) 139頁)


以上の文章は、極力評者の主観を排して書いたつもりだ。私は、ブッシュが起こしたアフガン戦争には、開戦当時から反対していたが、当時読んだ最上敏樹『人道的介入』岩波新書、2001年)*13が提示した、「平和のためにどこまで他人を強制できるか、特に、どこまで暴力や武力を行使できるか」及び「人は平和のためにどこまで危険を引き受けることができるか、引き受けなければならないか」*14という重い問いに答えを出せなかった。その程度の人間である私にできることは、一人でも多く、伊勢崎さんの著書に興味を持って、本を読みたいと思ってもらえるような要約を書くことくらいしかないと思ったのである。いうまでもなく、伊勢崎さんは命を賭けて仕事をやってきた人である。

とはいえ、政治的な文脈に全く触れないわけにもいかない。自公政権時代の給油活動は論外としても、自衛隊の本格的な海外展開を経た改憲への道筋はリベラル・左派が開くという批判が左側からなされていることも承知している。一昨年来の伊勢崎さんの行動は、犬塚直史民主党参院議員とコラボしたものだし、犬塚氏の各国訪問に当たって、民主党鳩山由紀夫幹事長(現首相)の英断があったと本書に記載されている*15。また、この本を出版した「かもがわ出版」は「超左翼マガジン」と銘打った雑誌『ロスジェネ』の版元でもある。逃げを打つような表現で申し訳ないが(繰り返すが、私には答えを出せていないのである)、議論は、主に「左」側で活発になされるものと思われる。

伊勢崎さんは、日本国憲法の前文を引いて、現行憲法は、9条を使って前文の理念を実行せよといっているのだ、前文抜きで9条の維持だけを目的化することこそ「違憲行為」だと主張する。「非武装自衛隊の派遣で実績ができたら、ゆくゆくは武装した自衛官派遣につながるのではないか」という疑念に対しては、武装兵を出さないためにも非武装の軍事監視員が必要だ、地上部隊を出してしまえば、アフガニスタンにおける対タリバンの文脈の中で中立性を喪失して、自衛隊による軍事監視業務そのものが成り立たなくなると反論する*16

いかなる立場に立つにせよ、是非この本をご一読の上で、本書の提起する問題についてよく考えてほしい、と読者にお願いする次第である。

なお、本書の書評は、『喜八ログ』にも出ている。「敵味方思考」を超えて(笑)、当記事との併読をおすすめする。

*1:これは曲解であるが、私は彼らに勝手にレッテルを貼らせておくことにしている。

*2:本書17-18頁、同49-50頁

*3:本書47-52頁

*4:東大作『平和構築』(岩波新書、2009年)132頁

*5:本書75-76頁

*6:http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2010011602000077.html

*7:本書43-46頁

*8:本書78頁

*9:本書55頁

*10:本書81-83頁

*11:本書第五章

*12:本書141-146頁

*13:これは、「9・11テロ」の直前に書かれた本で、同テロやアフガン戦争について記述したものではなく、本の校正中に「9・11」の同時多発テロが起きたが、「あとがき」に、「そういう暴発(注:同時多発テロ)は法によって裁かれねばならないし、その再発を防ぎ根絶する平和的手段も実施されなければならない。しかし、懲罰や報復は、怨念を増幅しこそすれ、除去することはないだろう。怨念を増幅する結果になる措置を、『人道』の名のもとに安易に認めるのは、いささか賢慮に欠けることであるように思われる」と書かれている。

*14:最上敏樹『人道的介入』(岩波新書、2001年)vii-viii頁

*15:本書80頁

*16:本書132-133頁