kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

江川卓と小林繁、江川卓と西本聖を宿敵同士にした「江川事件」

ブログで1978年のことを書いていたら、この年の年末を騒がせたプロ野球の「江川事件」を思い出してしまった。最近のプロ野球人の訃報では、グラウンドで倒れた木村拓也の死ももちろんショッキングだったけれども、それ以上に小林繁の死に衝撃を受けた。

そんなことを考えながら、YouTubeで、小林の訃報を伝える日本テレビが、それまで未公開だった小林と江川の対談の一部を流したものをアップした動画を見た。また、やはりYouTubeで、同じチームにいながら口もきかない仲だったという江川卓西本聖を、1979年に巨人が秋季キャンプを張ったという静岡県の伊東で再会させ、対談させるという、昨年放送されたTBSの番組の動画も見た。

小林と江川の対談を見ていて思い出したのだが、後楽園球場でこの2人が初めて対決した試合を、私は後楽園球場のスタンドで見たのだった。1980年8月16日のことであり、それどころか私はその7年前、1973年8月16日に行われた全国高校野球大会の銚子商業作新学院の試合も、甲子園球場のスタンドで見ていた。こちらについては、以前このブログに書いたと思う。試合途中から雨が降ってきて、それが激しさを増し、傘を持っていたかどうかは忘れたが、最後には試合は気になるけれどもあまりに雨がひどいし、0対0の投手戦がいつまで続くか見当もつかなかったので、球場を後にした。阪神甲子園駅で電車を待っていたら、スタンドから大歓声が聞こえてきたから、その時に江川がサヨナラの押し出し四球を与えたのだろう。私は特に江川のファンではなかったが、嫌っていたわけでもなく、ただ超高校級といわれた江川の投球は生で見たかった。甲子園の高校野球で江川を見たのはこの試合だけだ。

その7年後、上京した私は江川など応援していなかった。「江川事件」では、巨人、阪神の両チームやセ・リーグ、それにプロ野球機構の悪辣さに腹を立てるとともに江川本人も大嫌いになっていたから、江川と小林の初対決では小林を応援した。なぜ初対決の試合をスタンドで見たかというと、この日は雨が降っていたが、本降りにはならないだろうとの天気予報で、これは試合が行われるけれども当日券は売れ残っているだろうと予想したからだ。その読みが当たった。晴れてたら絶対行かなかった。それに、試合日の8月16日が、江川が押し出し四球を与えた甲子園の試合があった日だということを覚えていたので、「雨に散った江川投手」の再来を見てやろうと思ったのだ。

だが、雨に散ったのは小林の方だった。この後楽園の試合も、私は最後まで見なかったが、それは試合が一方的な巨人のペースで、江川が勝利投手になる瞬間を見たくなかったからだった。9回表に江川は2点を失い、終わってみれば5対3だったが、9回に江川が打たれたシーンは見ていない。それに、甲子園の試合は、押し出しの場面を見ていないにもかかわらず忘れられないものだったが、後楽園の江川対小林の初対決は、YouTubeの動画で江川が試合当日雨が降っていたことに言及しなければ、スタンドで観戦していたことも思い出せなかったほどだった。

小林と江川を不倶戴天の仇敵同士にしたのも「江川事件」だったが、同じ事件をきっかけにして江川に激しい対抗心を剥き出しにしたのが西本聖だった。江川が入ってくるとローテーション投手の枠が1つ減るから、というのが西本の言い分だが、これはおかしい。なぜなら江川が入るとともに小林が抜けるから、枠は変わらないはずだからだ。要するに4歳年上で西本同様甲子園出場経験もなかった小林より、すぐ上の学年で甲子園のスーパースターだった江川に敵愾心を燃やしたということだろう。江川が先発した試合には、西本は江川が打たれて負けることを念じていたのはあまりにも有名だ。同様の関係は阪神の往年の名投手、小山正明村山実にもあり、村山は小山が打たれろと思っていたことを正直に告白している。村山と江夏にはこのような関係はなく、やはり年齢差が関係しているのだろう(小山は村山の2学年上)。

江川と再会するというだけで、伊東に向かう車中で感極まってハンカチで目頭を押さえていた西本の映像が印象的で、ナンバーワンの座を競ってそういうライバル関係が持てる男たちをうらやましくも思ったが、それに加えて、江川と西本の心理的な距離は、江川と小林のそれと比較してずっと近かったんだなとも思った。いかに、互いに相手の負けを念じ、口もきかなかったライバル同士といえど、すぐ近くに相手がいればこそだったのかもしれない。江川と西本の対談に感じられた気安さ*1は、江川と小林との対談には感じられなかった。「江川事件」の直接の当事者同士と、それから派生したライバル同士では、同じライバル関係でも違いがあるのだろう。もちろん、巨人と阪神というライバル球団に所属していたこととも関係しているかもしれない。しかし、江川と掛布はライバル球団に属するライバル同士だったにもかかわらず仲が良い。

江川は、小林の訃報を聞いて目に涙を浮かべていたが、一度対談したとはいえ、それですべてを水に流せるものではないことを江川自身が一番よく知っていたに違いない。もっともっと語り合いたいこともあっただろう。そして、これらの動画を見ていて、かつてあれほど嫌っていた江川卓という人間に持っていた反感がすっかり消えている自分に気がついた。

別に江川が引退した選手だからというわけではない。堀内恒夫のように引退した今でも大嫌いな男もいる(自民党から立候補すると聞いてますます嫌いになった)。

江川事件」、あれは読売(巨人だけではなく親会社も含めて)と阪神プロ野球機構、それに政治家が悪かったんだよなあと、今にして思う。

*1:http://momoya.hamazo.tv/e1939477.htmlのコメント欄を見ると、江川と西本は実は仲が良かったと書かれている。実際、動画で見た対談の話しぶりからは気安さが感じられ、西本は年上の江川を「すぐるちゃん」と呼んでいた。