kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

天真爛漫な天才アスリートには「国民の生活が第一」の政治はムリ

プロ野球がダメになったのは、大選手でなければ監督になれない風潮が出てきてからではないかと思う。私の少年時代には、阪急ブレーブス監督の西本幸雄(のち近鉄バファローズ監督)だとか上田利治(のち日本ハムファイターズ監督)ら、選手時代の実績に乏しい指導者が名監督として君臨していた。その流れが変わったのは、1975年に長嶋茂雄が巨人の監督に就任して以来ではないかと思う。それでも、1993〜95年には、プロ野球経験の全くない有本義明福岡ダイエーホークスの二軍監督を務めたこともあったが、現在はそのような試みも全くなされなくなった。

そのアナロジーだが、政治がダメになったのは、世襲政治家でなければ総理大臣になれない風潮が出てきてからではないかと思う。私の少年時代には、田中角栄三木武夫福田赳夫大平正芳といった非世襲の総理大臣が君臨していた。流れが変わったのは、プロ野球よりはだいぶ遅く、ニューリーダーの代で徐々に変わり始め、1996年の橋本龍太郎首相以降、世襲政治家全盛となった。2006年の安倍晋三以降は、4代にもわたって、元総理の子や孫が入れ替わり立ち替わり総理大臣に就任している。

国民の生活が第一」というなら、世襲政治家にいつまでも総理大臣を任せておくべきではないし、民主党の闇将軍もまた世襲政治家である。そして、スポーツ選手を政界に担ぎ出すにしても、天分に恵まれて、ほとんど負けを知らないために天真爛漫で、「私なら(政治も)できると思った」と語り、「ロンドン五輪も政治も」などと欲張る選手なんかに白羽の矢を立てるべきではなかった。そんな恵まれた人に、国民生活のことなどわかるはずもない。

同じ天分に恵まれた選手でも、指導者に見出されるのが遅かった人は、醒めた目を持っているから、「政治の勉強をした人が国民の代表になるべきです」と発言するのだろう。この言葉は、天真爛漫な選手への皮肉ととれなくもないため、議論を巻き起こしているが、少なくとも私は、競技と政治の二足のわらじを履くような人間に政治をやってもらいたくない。スポーツ選手が政治家を志すななどとは言わないが、普通の人びとの生活感など全く持ち合わせていない人間が、安易な気持ちで政治家になろうとすることは我慢ならない。スポーツ選手が政治家になろうとするなら、その人間には「命がけの跳躍」(笑)を求めたい。当然、競技生活の継続などもってのほかである。ひたすら政治に没入できる人間でなければならない。

かつて五輪はアマチュアの祭典といわれた。現在ではすっかりプロ化していると思うが、プロは結果がすべてであり、政治の世界はその最たるものだ。政治の世界で結果が出せないと最初からわかっている谷亮子は、そもそも政界に進出すべきではないし、私は谷の落選を強く願うものだが、どうせ谷は当選するのだろうから、そうなる前から徹底的に谷を叩きたいと思う今日この頃である。