kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

巨人あっての『日刊ゲンダイ』、自民党あっての『日刊ゲンダイ』

日刊ゲンダイ』にはネット版もあるらしく、それに言及する人たちもいるが、私は『日刊ゲンダイ』というだけで眉に唾をつける人間であり、当ブログでも『きまぐれな日々』でも、これまで言及したことはほとんどないと思う。極言すれば、『日刊ゲンダイ』に言及すること自体、沽券に関わるというべきか、本気で『ゲンダイ』の記事を(肯定的に)言及する言論など全く信用ならない、というのが本音である。

話は、関西出身の私が初めて上京した頃に遡る。その頃、関西には『夕刊フジ』はあったけれども、『日刊ゲンダイ』はなかった*1国電で『日刊ゲンダイ』を読みふけるサラリーマンの姿は、当時の関西では決して目にすることはできなかった。その後ほどなくして『日刊ゲンダイ』は大阪に進出したが、最初東京で見た印象が強かったので、『日刊ゲンダイ』というと、かつて大阪で乱立していた夕刊紙とは毛色の違う、硬派の「東京の夕刊紙」というイメージが私の中ではできあがった。

日刊ゲンダイ』は当時から自民党政府に批判的だったが、それ以上に目立ったのは、最終面でプロ野球の巨人をこき下ろす記事だった。当時東京のスポーツ紙はどこも巨人マンセーだった*2ので、当時の東京にも少なくなかったアンチ巨人ファンたちは、『ゲンダイ』を読んで溜飲を下げていたようだ。

今でも覚えているのは、巨人と日本ハムが戦った1981年の日本シリーズ第4戦を、当時の日本ハム・大沢監督が「相手先発が江川だから」と捨てゲームにしてしまって惨敗した*3翌日、「日本ハム八百長の疑い強まる」と書いたことだ。30年前当時から陰謀論を好む夕刊紙だった。

『ゲンダイ』は、巨人だけではなく阪神にも批判的で、当時早々とペナントレースから脱落しながら、消化試合で勝って帳尻を合わせ、Aクラス入りを狙うのが常だった阪神が、秋口に白星を重ねるのを、「一年に一度の『猛虎の季節』がやってきた」と皮肉っていたこともあった(1983年)。巨人にせよ阪神にせよ、人気チームをからかって「反骨」を気取るのが好きだったと言える。

しかし、本当に巨人が危なくなると、巨人の尻を叩いて叱咤激励するのも、この『日刊ゲンダイ』の特色だった。つまり、アンチ巨人アンチ阪神の姿勢はあくまでポーズであって、本音は「売らんかな」だった。だから、本当に巨人が弱ってしまったのでは商売あがったりなのだった。こんな『ゲンダイ』の本音を見てからというもの、私はこの夕刊紙にまともに取り合う気が起きなくなった。

『ゲンダイ』は、政治問題でも同様の姿勢を見せる。この夕刊紙にとって、「自民党」とはプロ野球の「巨人」以上のものではない。『ゲンダイ』にとっては、叩く対象としての「自民党」が絶対に必要なのだ。巨人あっての『日刊ゲンダイ』、自民党あっての『日刊ゲンダイ』なのである。この夕刊紙が小泉内閣発足時にコイズミをマンセーしていたことも忘れてはならないだろう。

だから私は、gendai.netにこんなことが書いてあるよ、などとうれしそうに書く気など毛頭起きないのである。

*1:現在では地方でも売られている。

*2:神戸新聞系のデイリースポーツでさえ、東京では巨人中心の編集をしていた。東京のデイリーが編集を阪神中心に切り替えたのは1982年。

*3:当時評論家だった広岡達郎は、相手投手が江川だから日本ハムは第4戦は捨てゲームにせよと主張して、大沢はその通りの選手起用をしたが、おかげで巨人打線が勢いづき、巨人は第4戦から3連勝してシリーズを制した。