kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

2002年と2010年の辻元清美の涙

辻元清美といえば印象に残っているのは、田原総一朗に気に入られた社民党議員ということで、特に2002年に議員辞職に追い込まれる以前は、サンプロや朝生の常連だった。立候補の記者会見で、「もともと私は旧態依然の社会党なんか大嫌いだった」と発言した破天荒な政治家だったが、確か筑紫哲也衆院選出馬を勧められたのではなかったか。

電波芸者・田原のお気に入りだったせいもあって、田原嫌いの私は辻元清美に対してもあまり好感は持っていなかったが、鈴木宗男を追い落とした直後に、自らも議員辞職に追い込まれ、サンプロの「お別れ出演」で涙ぐんでいた光景を見た時には、辻元清美に同情してしまった。2002年のことだった。

その後、2004年の参院選落選を経て、衆院議員に復帰したのは2005年の「郵政総選挙」においてだった。

その辻元清美は、自民党民主党の議員とのつながりもある人で、加藤紘一枝野幸男とよく議論していると聞いたのは2007年のことだった。

昨年の衆院選では、もともと民主党との合流論者だといわれていた阿部知子でも民主党候補を相手に選挙戦を戦い、民主党批判もしていたのに対し、辻元清美民主党の支援を受けていることを連呼する選挙戦を戦っていると報じられたのを知って、あれあれと思ったものだ。

政権交代後は前原誠司国交大臣の下で副大臣に就任。なんと前原と息の合ったところを見せた。

そして、社民党の連立離脱を誰よりも嫌がるのが辻元清美だろうなと想像していたら、やはりそうだった。前原誠司との別れを惜しみ、涙ぐむ光景は古舘伊知郎に好印象を与えたようで、古舘は「辻元さんはよく頑張った」などと言っていた。辻元清美には電波芸者に気に入られる独特の才能があるようだ。

だが、こうした辻元清美の言動が、みんなの党公明党など他の野党から反発を招いているらしく、渡辺喜美は「社民党の連立離脱には偽装離脱の匂いがする」などと言ったらしい(朝日新聞より)。

みんなの党公明党こそ、民主党と連立を組もうと狙っていることはミエミエで、「お前が言うな」と私は思ったが、気になるのは福島瑞穂辻元清美の感情のもつれだ。

既に福島瑞穂阿部知子犬猿の仲であるのは、週刊誌などでも報じられているが(実際、二人の間に意思疎通はほとんどないらしい)、今回の連立離脱劇で、辻元清美ははっきり阿部知子側についたと見て良いだろう。

本当は、社民党をコケにした鳩山由紀夫や無能な平野博文にこそ怒りの矢を向けるべきだと思うのだが、辻元清美の怒りや恨みつらみが主に福島瑞穂に向けられることは避けられないのではないか。

2002年の辻元清美の涙には同情した私だが、2010年の辻元清美の涙には同情できなかった。それよりも、社民党の行く末が気になる。