kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「30年遅れ」から「10年遅れ」へ

新内閣発足の翌日だから、本来なら『きまぐれな日々』に力み返った記事を書くはずの日だが、暇があまりないので、菅直人内閣発足の論評としてもっともしっくりきた下記ブログ記事を紹介する。

枝野幹事長「今日から企業献金受け取らぬ」 : 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)


リンク先の文章には、書き手の主張が過不足なくまとめられていると思うので、以下に全文引用する。

「やればできる」のです。

やるか、やらないか。極論すれば、それだけ。

枝野さんは元々は、菅さん、鳩山さんとは旧民主党結党(1996)以来の同志。

都市近郊リベラル中間層を基盤としている方です。

民主党もその後、98年に旧民社党(大手企業労組)や保守系議員(当時反小沢)が合流。

さらに03年に自由党と合併しました。

民社党の組織や、小沢さんの手腕は、たしかに民主党が政権を取るのには大きく役立った。

ただ、じゃあ、旧民社党ないし大手企業労組幹部(平野官房長官ら)の意向を過剰に受け入れると、これは、民主党に期待した人を裏切る。小沢さんの場合は、昔自民党幹事長だったイメージがついて回る。
(もちろん、検察審査会で「起訴相当」とされた被疑事実は、これは、乱暴な認定を審査会はしたと思います。購入と登記が数ヶ月ずれることなんて、良くある話です。農地を転用した場合なら、なおさらです。それを「起訴相当」とは感情論過ぎる。)

枝野さんも菅さんも、厳しくいえば、世界の時流からみれば、本当はやや時代遅れだったかもしれない。
菅さんの「第三の道」は、イギリスの13年前のブレア政権の政策がモデルです。

ただ、日本の場合自民党という、冷戦と高度成長を存在意義としていた「三十年前」の遺物が、居座っていました。ですから、小沢さんらの力で、自民党を倒すのは必要でした。

さらに、民主党を引き継ぐ菅さん的なものも、歴史のプロセスとしては必要になる。

繰り返しますが、日本は中曽根以降、新自由主義かつ官僚主義という怪物に変質した自民党が居座ってしまった。

このために、歴史は、三十年遅れになってしまった。だから、遅れを取り戻すのに大変です。

小沢さんの手腕で、参院選衆院選に勝ったのは大きい。

しかし、企業団体献金は、十年前に禁止されるはずだったのに、政党支部長なら受けられるという抜け道を当時の自自(小沢党首)公政権は作った。

それを今、枝野幹事長自ら「企業団体献金は受け取らない」とし、歴史の針を「三十年遅れ」から「十年遅れ」に進めた点は評価します。

その上で、旧民主党メンバーを軸とする現執行部の課題は、以下でしょう。

彼らが一世を風靡した時代より、小渕さんや小泉純一郎さんらのせいもあって、貧困が拡大しています。地方の疲弊も進んだ。こうしたことへの対応でしょう。

ご自身らの基盤である大都市中間層だけでなく、幅広く低所得者や地方の声にも耳を済ませていただきたい。13年たてば、社会環境は大きく変わります。今にマッチした生活第一での手腕が問われます。

その点は、きちんと、わたしたちも「生存ユニオン広島」による政策提言などの形で、対応させていただきたいと思います。


確かに、菅直人枝野幸男は「都市近郊リベラル層」を支持基盤とする政治家だ。菅直人の選挙区である武蔵野市を含むJR中央線沿線、関西なら阪神間に住むサラリーマンがすぐ思い浮かぶ。新聞では、朝日新聞の購読者が目立って多い地域。

「親小沢」が善で、「反小沢」が悪などという「赤勝て白勝て」式の発想にとらわれた人間は、「枝野幸男新自由主義者」だと決めつけているが、それはおかしい。枝野幸男新自由主義的な要素が全くないとはいわないが、それをいうなら小沢一郎にだって新自由主義的な要素は今なおあるし、それ以上に小沢には旧自民の残滓もある。

前掲記事は「企業団体献金は、十年前に禁止されるはずだったのに、政党支部長なら受けられるという抜け道を当時の自自(小沢党首)公政権は作った」と指摘しているが、小沢一郎にせよ菅直人にせよ枝野幸男にせよ是々非々で評価すべきだ。いまだに「親小沢」だの「反小沢」だのと言っているブログの記事は、もうすっかり読み飽きたので、見に行く気が失せてしまった。

地方在住中間層として生活した後に再び東京に出てきた人間の目から見ると、

その上で、旧民主党メンバーを軸とする現執行部の課題は、以下でしょう。

彼らが一世を風靡した時代より、小渕さんや小泉純一郎さんらのせいもあって、貧困が拡大しています。地方の疲弊も進んだ。こうしたことへの対応でしょう。

という指摘が正鵠を射ていると思う。実際私は、雨宮処凛さんが著書で書いているような悲惨なワーキングプアの人が犯した過ちなどもこの目で見てきた。そうした人たちを「自己責任論」で切り捨てることの理不尽さはよく知っている。

「今にマッチした生活第一」の政治ができなければ、「都市近郊リベラル中間層」主導の内閣も、これまで4代続いた「元総理の子や孫」の内閣と同じ運命をたどる。心してかかってほしい。