kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「消費税」をめぐる大平正芳と菅直人の因縁

「消費税選挙」の衝撃というと、今でも忘れられないのが1979年の衆議院選挙だ。あの時、朝日新聞には二度「情勢調査」が掲載されたと思う。「自民、安定多数の勢い」とかなんとかいう見出しがついていて、二度とも自民党勝利の予想だった。だが、蓋を開けてみたら自民党の惨敗。政局は「40日抗争」へと突入し、そこから「ハプニング解散」が生まれて、初の衆参同日選挙になって、大平正芳首相が急死して、自民党が圧勝した。

忘れてはならないのは、当時自民党が上昇基調にあったことだ。1979年の「一般消費税選挙」はその自民党の勢いの頭を押さえつけたが、それから解放され、大平首相死去の同情票まで集めた自民党は、歴史的な大勝を収めた。あの衆参同日選挙が、その後の日本を悪くしてしまったと私は今でも悔やんでいる。

正直言って、参院選後の政局は、民主党政権版「40日抗争」が始まると私は予想していて気が重いのだが(菅直人小沢一郎も私は信用していないが、どちらかというとより問題の大きいのは小沢一郎だと考えている)、大平首相がなぜあの時「一般消費税」にこだわったのかということが、最近よく脳裏をよぎる。

一般消費税にこだわった大平正芳は、保守本流の政治家ではあったが、1973年のチリのクーデターに伴うピノチェト政権下での新自由主義政策実験開始、1979年のサッチャー政権成立など、当時の保守政治の流れに敏感だったせいか、「小さな政府」を打ち出した。翌年の急死を思うとき、それが大平正芳の生命を縮めたと悔やまれるのだが、自ら選んだ道だから大平も本望かもしれない。

「小さな政府」を目指した大平が、「消費税増税」を打ち出したのは、「直間比率の適正化」なる、税制に関する当時のイデオロギーがあったからだ。当時は、資本主義か社会主義かという「冷戦」の時代。だが、私が高校で教わった政治経済の教師は、社会民主主義者だと自らを規定していた。社会民主主義といえば北欧、北欧諸国は高福祉高負担の政策をとっていることを知ったのはその頃のことだ。

教師は、1979年に成立したイギリスのサッチャー政権を批判し、サッチャー政権は英国民の批判を受けてすぐにも潰れるような楽観的な見通しを口にしていたが、そうはならなかった。当時アメリカはカーター政権下であり、ロナルド・リーガン(当時の呼称)は右翼的で知性の低い政治家と見られて馬鹿にされていたが、日本でも、中曽根康弘は「三角大福」より一段劣る「風見鶏」として、やはり馬鹿にされていた。

まさか、サッチャー政権が10年以上も続き、リーガン改めレーガンが2期8年も大統領を務め、中曽根が5年も総理大臣を務めて「大勲位」までもらおうとは、その頃には想像もしなかった。だが、英米はどうだかわからないが、中曽根康弘政権のレールを敷いたのは、実は大平正芳ではなかったかと私は最近よく思うのだ。もちろん、大平の盟友、田中角栄中曽根康弘を助けたことは歴史的事実だ。

私は、「大平正芳がなぜ一般消費税創設を口にしたのか」ということを、「菅直人がなぜ消費税増税を唐突に口にしたのか」ということと結びつけたくなる。大平は、当時流行し始めた「小さな政府」の思想に惹かれて、直接税を間接税に置き換えようとした。「消費税といえど税金だから、消費税増税論者を新自由主義に結びつけるのはおかしい」という意見があるが、それは誤りだ。消費税は所得税と比較すると累進性が弱いどころか逆進性があることは、1979年当時から指摘されていた。新自由主義を「格差拡大のプロジェクト」と定義した場合、所得税法人税を消費税で置き換えることは、紛れもない新自由主義政策なのだ。それを、こともあろうに「保守本流」の大平正芳がやろうとした。とんでもない誤りだったと思う。日本の直接税が重過ぎたなら、消費税を導入する意味があったかもしれないが、今も昔も日本が「大きな政府」であったことは一度もない。1973年に田中角栄が「福祉国家」を目指そうとしたが、石油危機によってその構想は頓挫した。

そんな日本なのに、現在衰退し始めた「小さな政府」の思想にいまだに惹かれている(ようにしか見えない)菅直人は、消費税増税にこだわって墓穴を掘ろうとしている。新自由主義の勃興期に、「保守本流」の政治家がその罠にはまり、新自由主義の落日期に、「社会民主連合」出身の政治家が再びその罠にはまったことは、なんと皮肉なめぐり合わせかと思う。

そういえば、1979年の「一般消費税選挙」で三度目の国政選挙落選の苦杯を味わった菅直人を助けたのは、1980年の衆参同日選挙だった。この選挙で、菅直人衆議院東京7区(当時)で初当選を果たしたのだった。