kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

やはりワカらん。なぜ経済学では互いに相容れない主張が乱立するのか?

昨日、恥を忍んで書いた「きまぐれな日々 消費税増税対インフレターゲット。「資産課税」ではダメなのか」だが、ブクマコメントを含む反応を見ても、やはりわからない。なにしろ私は菅直人首相(や鳩山由紀夫前首相)と同様、理系学部出身の「経済オンチ」なのである。

リフレ派の方に言わせるとこういうことらしい(はてなブックマーク*1より)。

API リフレ, 経済 リフレ派というのはニューケインジアン(ニューマネタリスト)のことなんだけどhttp://d.hatena.ne.jp/koiti_yano/20090831/p1ここに書いてることがまあほぼ全てかな(コメント欄含む)極端な話財政税制政策なんてほぼ意味なし。 2010/07/31


そういえば、小野善康氏は学界では少数派となったオールドケインジアンだと聞いたことはある。神野直彦氏は、宇沢弘文氏の流れを汲む「ケインジアン」だと自らを位置づけていたが、同時に自らの学説は異端だとも書いていた。やはりいわゆるオールドケインジアンなのだろう。菅首相のいう「第三の道」とは「オールドケインジアンの道」といえるのかもしれない。もっとも、消費税増税を先行させようとする菅首相の行き方は、オールドケインジアンの道からかなり外れているようにも見えるが。


前記「きまぐれな日々」の記事には、トホホさんから下記のコメントをいただいている*2

菅さんは「経済音痴」ではないと思います。金融政策にはブレーキ効果はあっても、アクセル効果が無いことを、小野さんか金子(勝)さんか神野さんか他の人かに教わって直ぐ理解されたのですから。水野和夫さんを登用してリフレ派の狂騒を覚まそうというのも結構なことです。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51461721.html


菅さんの弱みは政局と地方での選挙ではないかと心配しています。それで仙谷さんと前原さんを重用し、かれらの意をくんで小沢さんから遠ざかったのでしょうが、この分野での力量には雲泥の差があります。
向き不向き、適材適所です。政策通の政治家は、小沢さんといたずらに対立するのではなく、小沢さんに政策を持ちこんで協力をお願いすればよいのです。連合も、社民党も、国民新党も、民団も、かっての創価学会も、小沢さんと上手に協力しました。菅さんも、仙谷さん前原さんも、できると思いますよ。

ちなみに、海江田さんが相続税強化を提案しておられます。説明の分かりやすさ、マイルドな外見、東京1区。菅さんお疲れの今、次は海江田さんでどうかな?

http://kaiedabanri.jp/opinion20100721.html

2010.07.30 11:43 トホホ


上記に示したAPIさんのはてブコメントとトホホさんのコメントで、赤字ボールドにした部分は、お二人の主張が真っ向から食い違う点だ。デフレ下でインフレターゲットが効くかどうかという話は、はるか昔の第一次か第二次の小泉内閣の頃、掲示板などで活発に議論されていたのを記憶しているが、その時も門外漢の私は、互いに相容れない主張が正面からぶつかり合っているのに面食らったものだ。

トホホさんのコメント中にある、最初のリンク先はノビー(池田信夫)による書評記事である。ノビーは「小泉・竹中構造改革派」で、ニューケインジアンにもオールドケインジアンにも反対の経済学者なのだろうが、「ハイエク派」あるいは「フリードマン派」とでもいうのだろうか? ノビーが徹底的にリフレを忌み嫌っていることは知っているが、ノビーはそれ以前にオールドケインジアンは論外だと言っていたようにも記憶する。

また、「良い小さな政府」を目指すと言っておきながら、金融政策を軽視して財政出動しか言わないらしい植草一秀は、いったい「何派」なのだろうか。植草自身の出発点はマネタリストだそうだが、尊敬する人物は「ケインズ」とのことで、「ニューケインジアンでもオールドケインジアンでもない何か」なのだろうか。ニューリベラリズムという既存の言葉が存在していたために、新自由主義を指す言葉として「ネオリベラリズム」が使われるようになったのと同様、植草一秀を指す言葉としては、「ネオケインジアン」というのが適当なのかもしれない(笑)。

結局のところ、皆さんあまりにも自信満々なもので、やはり私にはさっぱりワカらんのである。

唯一私が評価の基準にしているのは、結果を出したか出せなかったかということであり、その点ではノビーがそれに属しているであろう「小泉・竹中構造改革支持派」が間違っていることだけは確かだろうと考えている。「経済が沈滞するのはカイカクが足りないせいだ」というのは、負け惜しみもいいところであり、いつまでも負けを認めない人間は恥を知れ、と言いたい。