「武田邦彦」を検索語にしてGoogle検索をかけると、下記「きまぐれな日々」の記事が1ページ目に引っかかる。
きまぐれな日々 地球温暖化懐疑論者「武田邦彦」教授の呆れたトンデモぶり
だが、その栄光も長くは続かないかもしれない。武田センセが新たなる「トンデモ」爆弾を投下遊ばされたためだ。
http://takedanet.com/2010/08/post_8bc6.html
今後武田センセについての議論が活発化することが予想される。武田センセの文章があまりにひどいので、以下全文を引用する。
幼児の死と日本の家族文化
時に幼児の死が報じられる.その多くが親の虐待やそれに類するものだ。このようなことが昔から同じような確率で起こっていたような気もするし、最近、多くなったような感じもする.
かつて、幼児を身売りして家族の生活の足しにするということも行われていたのだから、親が自分の子を大切にする程度は、「美しい話」だけではないことは確かだ。
でも、昔との比較はともかく、悲惨な幼児の死を少しでも少なくすることは大切なことだろう.
私は、いくつかの改善を試みたら良いのではないかと思う.
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まず、第一に「子育て資金」を止めなければならない。
子育て資金が「幼児虐待」につながる理由は簡単だ.
1) 「子供を育てる責任は社会にある」という閣僚の発言は「親は子供を育てる責任はない」というのと同じ意味だから、多くの親の中には「ああ、そうか。子供を育てるのは煩わしいから、すこしいじめれば国が保護してくれるだろう.そうしたら、この辛さから逃れて遊べるかも知れない」と思っても不思議ではない.
2) 「子育て資金」を子供の前で母親が現金を数えている映像がテレビで放映されていた。もともと何も働いていないのに現金をもらうというのは、「もっとも下賤な行為」とされている.母親が子供の目の前で「施しを受けた現金」を数える映像は異常だった.母親と子供が「苦労しても一緒に頑張ろう」という気持ちがなければ母子の関係は正常にはならない。
また社会的な変化に伴う、母子の支援も大切だろう.
まず、第一に託児所を減らすことだ.そして子供が健やかに母親のもとで幸福に育つような社会の環境を作ること、また、小家族化になって狭いアパートの一室で毎日、子育てだけに追われる母親の精神的な苦痛にたいして有効な手段を打つことも必要である.
幼児を虐待する家庭を、周りの人が役人に連絡し、たいした仕事をしない役人に幼児の保護を任せて、その幼児が死んだら、役人の怠慢だといっても役人というのは本来、そういうものだから、結局は「みんなの責任逃れが幼児を死に至らしめる」ということになる。
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かつての教育勅語には、「父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、」とあったが、戦後の「個人重視」の中でこれらはすべて削除された。
しかし、孝行も、兄弟仲良くも、夫婦協力もともに日本の大切な文化であり、もしこれに付け足すならこの家庭の文章の最後に「子供を慈しみ育て」を入れたら良かったが、逆に全部、削除してしまった.
憲法には「全ての国民は健康で文化的な生活を営む権利がある」とされ、この条文は多くの日本人に指示されている.
そして、日本の「幼児」もまた「国民」であり、家族の中で生活し、母親に守られ、健康で文化的な生活を営む権利があるのだ。
それなのに「個人重視」とか「外国人参政権」などと言い、日本の宝である幼児を「国民」の中から外している。いったい、どこに目を向けているのだろうか?
今回の幼児虐待の事件を契機に、「保護する役人を増やす」といった、マイナスをマイナスで補いのを止めて、日本の子供たちがすくすくと育つ環境を作るように多くの人が根本から議論を進めていくことを期待する。
ここに書いた「家族重視」の考えはその一つに過ぎないが、いずれにしても日本の風土を活かした世界に誇るべき環境を作りたいものである。
(平成22年8月3日 執筆)
この文章を読んで、私が安倍晋三、平沼赳夫、城内実の3人を思い出したことはいうまでもない。「美しい話」は安倍の「美しい国」をもじったものだろうし、教育勅語を持ち出すあたりは平沼赳夫や城内実を彷彿させる。
しかし、いくら安倍や平沼だって、こんなひどい文章は書かないだろう。文章の下品さで武田邦彦と渡り合えるのは、城内実だけである。
http://www.m-kiuchi.com/2008/11/11/bakawashinanakyanaoranai/
久々に城内実の問題記事にリンクを張ったが、人の書く文章を読んでこんなに腹が立ったのは、上記城内実の文章を読んだ時以来と言っても過言ではない。
当然ながら、武田の文章についた「はてなブックマーク」も、武田への非難一色である。
はてなブックマーク - 武田邦彦 (中部大学): 幼児の死と日本の家族文化
この中で、武田の本質を突いたブコメを発見した。
type-100 トンデモ トンデモは間違った思想ではなく間違った思考体系だという実例がまた一つできた。(後略)
トンデモは間違った思想ではなく間違った思考体系。言い得て妙である。
こんな人間が声高に主張する「地球温暖化懐疑論」が信ずるに値するものかどうかは、火を見るより明らかだ。最初にリンクを掲げた「きまぐれな日々」に最近、「研究者でもない人間が、なんでトンデモだなどとえらそうに書くのか」というコメントをもらったが、承認せずに削除した。武田の専門は資源材料工学で、研究テーマは機能材料構造であり、気象学の専門家ではない。その男が、「中部大学教授」*1の看板を利用して、専門外の分野にトンデモを書き散らしているだけである。
ところで、この武田センセ、まだ政権交代が起きる前に、当時の「政権交代ブロガー」、今で言う「小沢信者」たちから大人気だった。鳩山由紀夫は環境・エネルギー政策に熱心で、「温室効果ガス25%削減」を打ち出したのだが、小沢信者はなぜか地球温暖化論が大嫌いで、いくつかのブログが武田邦彦を大々的に宣伝していた。植草一秀センセもその尻馬に乗っていたように記憶している*2。しかし、もっとも声高なスピーカー役を務めたさるブログが更新を止めてしまったためか、現在ではかなりおとなしくなっている。
ここでは、彼らの影響を受けたお仲間が書いたトンデモ記事を紹介するにとどめておく。
BLOG版「ヘンリー・オーツの独り言」 「地球温暖化詐欺キャンペーン」で得をする人VS損をする人は!?