kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

陰謀論と陰謀、小沢一郎とCIA

いわゆる「陰謀論」だが、世に陰謀が渦巻いていることは事実だ。たとえばCIAの日本の政治家に対する援助は、岸信介佐藤栄作に対して現に行われていたことが明らかになっている。CIAは吉田茂鳩山一郎も好まなかったのだ。こうなると、「陰謀論」ではなく「陰謀」が実際に行われていた事実が確定する。

仮説を勝手にドグマに変えてしまうな、というのが「陰謀論批判」のキモなのであって、陰謀そのものを否定しているわけでは、もちろんない。

CIAの援助を受けたと噂された政治家としては、90年代には小沢一郎の名前もずいぶん挙げられた。


より。

小沢が1993年の著書『日本改造計画』を出した頃、「小沢=CIA」という噂はわりとあちこちで普通にささやかれていた。何しろこの本の英語版序文を書いたのは、他でもない上院議員ジェイ・ロックフェラーだったのだ。
周知の通り、CIAはロックフェラー財閥の資金で存在している組織である。CIAの前身であるOSS(戦略事務局)を経てCIA長官になり、現在のCIAの基礎を築いたアレン・ダレスが、ロックフェラーのスタンダード石油の顧問弁護士だったことは有名だ。
さらに『Blueprint For A New Japan』のタイトルで出された英語版の表紙には、ヘンリー・キッシンジャーの短い推薦文まで載っていた。キッシンジャーは言わずと知れたネルソン・ロックフェラーの外交顧問から政界キャリアをスタートし、ネルソンの秘書の女性と結婚までした人物で、ロックフェラー家の対東アジア戦略を担ってきた大番頭である。
また『日本改造計画』を翻訳したのは小沢の政策秘書を務めたルイーザ・ルービンファインという女性だったが、この人物はCIAの諜報要員だったと言われる。ルービンファインはその後ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究所(SAIS)ライシャワー・センターの研究員やジョージ・ワシントン大学助教授を歴任、現在は同大ガストン・シグール東アジアセンターの研究員になっている。
これだけのバックグラウンドを持って世界デビューを果たした小沢一郎が、ロックフェラー〜CIA人脈であると見なされたのは当然のことだった。
小沢がその政治生活を通じて成し遂げた事業の中で、最大のものは「小選挙区制」だろう。
小沢が最初に最も活発な政治活動を展開したのは1993年。新生党を結党し、8党派による細川連立政権を発足させた時期だった。
小選挙区比例代表並立制を導入する公職選挙法改正案は衆院で可決、参院社会党によって否決されたが、小沢は「豪腕」を発揮し、衆議院議長だった土井たか子の鼻を明かす形で、この法案を成立させた。
この一点を取っても小沢は、日本の民主主義にとって戦後最悪の政治家の一人だと言える。
小沢の目的は政権交代可能な保守二大政党制を作ることであり、そのために小選挙区制を導入しようとしていた。小選挙区制は「カクマンダー」を発案した師・田中角栄や、小沢の実父・小沢佐重喜らの悲願でもあった。
しかしそれ以上に、最大野党であった社会党を解体し、保守二大政党制を創出することは、アメリカ〜CIAの日本における最大のミッションだった。
また小沢が『日本改造計画』の中で展開した新自由主義的ビジョンは、後の小泉改革の直接のガイドラインとなり、国連中心主義に基づく自衛隊海外派兵は、ロックフェラーの規定した路線をそのままなぞるものだった。
小沢一郎はこうした流れの中で、確実にアメリカ〜ロックフェラー〜CIAのエージェントとして動いてきた。その役割は2009年の民主党による政権奪取まで続いた。(橋本龍太郎政権時代、小沢が直接CIAから資金を受け取っていたとのソース不明の証言*1もある。)


もちろん、「小沢=CIA」というのは仮説に過ぎないし、17年前の話でもある。しかし、ロックフェラー家及びCIAと小沢一郎のかかわりが具体的に示されていることは見逃せない。

2003年の民由合併の際、小沢一郎横路孝弘グループと政策協定を結んで「転向」したとされるが、最近「日本一新の会」を立ち上げた平野貞夫は、今でも『日本改造計画』や自由党が民由合併直前の2003年に発表した、新自由主義色の強い「日本一新11基本法案」*2を全面に押し立てて論陣を張っており、小沢信者はそれに対して何の疑問も持たずに、平野貞夫になびいている。

そういえば、「ロックフェラーは隠れユダヤ」だと言った小沢信者系陰謀論者もいた。