kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「小沢一郎総理」を容認する心理を告白する

民主党代表選をめぐる政局を見ていて、いまさらながらに小沢一郎信者ってどうしてこうも狂信的でうざいんだろうかと思う。

総理大臣になってからの菅直人にはほとんど評価できるところがないと考えている私から見てさえ、小沢信者の狂態には反感しか覚えない。

正直な感情論をいうと、どうせ何もできない菅直人が続投するくらいなら、民主党代表即ち日本国総理大臣が小沢一郎に代わって、小沢も自民党や菅と同じことしかできないのを見てみたい、という気持ちがある。

私の意図を見透かしたコメントも、「きまぐれな日々」の前々回のエントリにいただいている。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1101.html#comment10014


以下紹介する。

ネット上の小沢信者ほどではないが、今の民主党の小沢支持議員もひどいもので、川内議員が「アメリカは日本がグアム移転を言い出すのを待っている」などと発言する一方で、マニフェストが実現できるのは小沢だけ、といって小沢待望論をぶつのを見ていると、寒気がします。普天間現行案に批判的な議員ほど、小沢支持の傾向にあるのも、滑稽な話です。すでに破たんしたマニフェストを武器に、菅政権を攻撃するのもひどい話。


結局こうした言動も、小沢が責任のない地位にいるが故に出てくるわけです。なかばやけくそですが、いっそ小沢が短期間でも首相になって、自民党とも菅ともさしたる違いのない政治をやるのを見てみたい気もする。ネット上の信者はどうでもいいが、若い民主党議員も、そうでもないと目が覚めないでしょう。


もっとも、信者は、それでも「閣僚が小沢氏の『思い』を理解できなかった」「アメリカの陰謀にやられた」といって逃げるのでしょうが。


ネット上で、なぜここまで珍奇な小沢崇拝が跋扈するのか、一種の病理現象として解析してみたいものですが、上記のように、この20年浮き沈みを繰り返し、また実際は政治に大きな影響を与えつつも、責任を問われる地位から微妙にずれた場所にいたこと、あと、やはり曲がりなりにもこの20年の歴史を背負った存在ではあるわけで、90年代に注目されたリーダー候補たちのうち、橋龍も小渕も去り、YKKも去った後で、小沢だけがしぶとく生き残っている。民主党代表時代によく放送された、「小沢一郎の歴史」みたいなTV報道、角栄の秘蔵っ子で、47歳で幹事長、首相の座も辞退した政治家だ、みたいなのを見て、「カッコイイ」と、ころっと信者になっちゃった人が大半じゃないかと思います。で、自民党新進党自由党時代に小沢が何をやったかなんてことは、まるで関心がないんですよね。


代表選の帰趨はわかりませんが、小沢に絶対についてくる、という人が、150人は無理でも、3、40人もいれば、今の政局では決定的な影響を与えられるわけです。そして、そうした絶対帰依の手駒を使って政局をひっかきまわすのが、小沢流だったわけです。


憂鬱極まりないですが、そうした動きに菅首相も注意を払わざるを得ないわけで、当面ある種の小沢ペースで政治が進む可能性は高いと思います。


2010.08.21 02:20 茅場


そう、「西松事件」による代表辞任さえなければ、鳩山由紀夫菅直人なんかじゃなくて、小沢一郎参院選で国民の審判を受け、民主党代表選では小澤征爾、じゃなかった小沢政治の是非が問われるはずだった。

西松事件」で日本の政治はさらに1年遅れてしまったのではないかと思う。小沢一郎が総理大臣であれば、「小さな政府」対「大きな政府」の議論も起きて、小沢一郎は「より小さな政府」を求める自民党や前原・野田グループのような民主党新自由主義派から批判を浴びるとともに、「大きな政府」を求める左側からも批判を浴びたのではないかと思う。リフレ政策の是非についても、たとえ小沢支持者といえども、もっと真面目に議論したことだろう。しかし、政争の結果、前原・野田ら松下政経塾出身者が、さしたる信念がないことが明らかになった菅直人を簡単に手なづけ、小泉構造改革と変わらない路線へと政権の舵を切ってしまった。何しろ、福祉国家を目指す人間が財政再建に走ることは自己矛盾であることさえ菅直人は理解していないように見えるのである。単なる財政均衡主義だけでも罪悪だが、不況時に引き締めを行う政策は、この20年でどれだけ自民党政府が失敗してきたか、菅直人は認識していないのだろうか。

菅直人の正体が明らかになったというべきか、それは言い過ぎにしても菅直人の賞味期限切れが明らかになったことは、ある意味では収穫だったかもしれないが、民主党政治の混迷によって、国民生活のダメージは深まりつつあるし、社民連出身の菅の失敗によって、福祉国家への道はさらに遠のいた。

私は、小沢一郎にも自民党や菅と同様の政治しかできないだろうと予想しているが、ことここに至っては、小沢一郎民主党代表・日本国総理大臣になって、「小沢神話」の幻想を自ら吹き消す必要があるのではないか。これもまた、日本の歴史において避けがたいプロセスではないかと考える。

「小沢さんなら何とかしてくれそう」、「小沢さんでなきゃアメリカ(官僚、財界、「悪徳ペンタゴン」など何でも良いけど)に対抗できない」という無用な幻想が霧消して初めて、われわれ一人一人が、自らの手で何とかしなければならないことが理解できるのではないだろうか。

もちろん、私の予想に反して小沢一郎が思いがけない善政を行うのであれば、それはそれで良いことだし、私は自らの不明を恥じる記事をブログに上げるだけである。

もっとも、そんな日が来るだろうとは全く考えていないけれども...