kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「みんなで小沢信者になろう!」という流れの終焉

私は、民主党代表選で菅か小沢かを選ぶのであれば、どちらもダメだが、菅の直近の経済政策を支持できないことと「小沢神話」を小沢自身が終わらせるべきだという2つの理由で、「消去法で小沢」としてきた。

しかし、ブログに書いた記事は小沢批判が大半を占めた。これは、小沢一郎以上に、小沢支持者や小沢信者に対する批判を展開したものである。

代表選を通じて、ネットの小沢信者のみならず、リアルの文化人や民主党国会議員に至るまで、「小沢信者」が広がっていたことを痛感し、結局この代表選は菅直人が勝つしかなかったのだと、考えを改めた。

私自身は民主党を支持していないから、小沢が首相になろうが菅が続投しようが民主党政権の政策を批判することには変わりないのだが、ネット左翼のかなりの部分が小沢一郎に執着して離れられなくなったのは由々しき問題だと思う。

私自身は、70年代末から80年代初頭にかけてサッチャーレーガン、中曽根が台頭する直前の時期に政治・経済に関心を持つようになり、その頃社民主義的な考え方に影響された人間だが、その直後に生じた新自由主義の台頭に匙を投げてしまったところがあった。2005年の郵政総選挙以降の揺り戻しで、新自由主義に対する批判が強まったことによって、ようやく長い眠りから覚めた感覚を持っている。そんな人間だから、日本における新自由主義の開祖が中曽根康弘であることは私にとっては自明であり、「官から民へ」のスローガンも、あれは「公から私へ」と言い換えるべきだと考えているし、「諸悪の根源は官僚支配だ、小沢さんしか官僚支配を打破できる政治家はいない」という小沢信者の寝言に対しては、「なんだ、『泉』が『沢』にとって代わっただけじゃないか」と鼻で笑うだけだった。小泉純一郎だって官僚や族議員を「抵抗勢力」として敵視することによって支持を得ていたのである。小沢一郎で評価できるのはそんなところじゃない。「国民の生活が第一」というスローガンを掲げれば選挙に勝てることを証明した、そのたった一点だけだ*1というのが私の持論である。

だから、今回の代表選が、政策論争ではなく権力闘争にしかならなかったことも批判してきたのだが、それを指して「左翼にはこの代表選が『政治主導』と『官僚主導』の選択であることが理解できないから、権力闘争にしか見えないのだ」などというトンチンカンなことを言う人間まで現れた。たとえば浅野史郎氏も同様の代表選批判・小沢一郎批判を行ったのだが、元厚生官僚の浅野氏が果たして「左翼」なのだろうか?

ネット左翼の間には、「バスに乗り遅れるな」とばかり、「遅れてきた小沢信者」も相次いだ。昨日紹介した「逝っちゃってる人」こと旧名布引洋、現在は宗純と名乗るお方もその一人である。
菅直人対小沢一郎 究極の選択 - 逝きし世の面影

護憲左派の身で我ながら、とうとう小沢支持の論調の記事を書く世の中が来るとは、『情け無い』『世の中は変わった』と感慨にふけっています。

などと書いている。続きを読むと、

小沢一郎ですが、これはもう間違いなく大悪党で大実力者なのです。
小沢がいなければ、日本国は今のような世の中にはなっていないのですよ。
小泉純一郎郵政解散できたのも反対派に刺客が送れたのも総選挙で大勝出来たのも、その後に皇室とも姻戚関係にある平沼赳夫以外の民営反対派だったはずの議員が小泉首相武部幹事長に股くぐりの屈辱的な全面屈服した原因も、民主政変後に小沢幹事長職に権限が集中したのも、政党助成金小選挙区制が原因しているのですが、これを進めたのが小沢一郎であるのです。
(中略)
去年の今日8月30日に総選挙があり自民党がやっと政権から去りましたが、小沢一郎さえいなければ間違いなく『政治』は十数年以上早く動いていたのですよ。
その意味では、小沢一郎は今も昔も間違いなく最も優れた自民党幹事長であるのです
政権交代をうたい文句に導入された小選挙区制ですが、16年かかってやっと1回政権交代が出来たのですが、昔のままの中選挙区制だったら既に何回も政権交代が起きており過半数の支持が無い腐敗した自民党政権が去年まで延命するなどの日本国の不幸は絶対に無かったのです。
また現在の社共など後憲政党が一桁台の此処まで退潮したのも大きく選挙制度が影響しているのですが、それなら護憲派にとっては間違いなく大悪党でもあるのです。

などと、まっとうなことを書いているにもかかわらず、

日本経済(小沢)VS財政均衡財務省官僚(菅)の争いで、日本が残るか、それとも官僚が残るかの瀬戸際なのかも知れません。

という、陳腐な「官僚支配の打破」論から、小沢信者への転向を明言している。

他にも、今頃になって「マスゴミ」という言葉を使い出した元左翼ブロガーなど、遅れてきた転向者の例はゴロゴロ転がっているが、こういう手合いまでもが信者の列に加わった時点で、得てしてブームの終焉は近いものだ。

「きまぐれな日々」に、ぽむさん*2から「官僚支配を打ち破れるのは小沢一郎だけ」という信仰に対する的確な批判のコメントをいただいたので、下記に紹介する。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1111.html#comment10285

熱心な小沢支持者または小沢氏本人がしばしば言う訴えに「明治以来連綿と続く官僚支配を壊さなければならない」云々がありますね。
確かに、敗戦によっても払拭されなかった封建的な感覚や制度が今でも日本社会の健全な発展を阻む一因となっています。また、現在の問題を考えるとき歴史をふりかえるのは大切なことです。
しかし、場合によっては、あまりに過去にさかのぼって考えようとすると、当面直面している問題の直接の原因がどこにあるか、そして、改善するにはどうしたらいいかという肝心の論点をぼやけさせてしまうことがあります。
時間のスケールが大きいですが、例えばパレスチナ問題。「旧約聖書の時代から考えなければ理解できない」とよく言われますが、実は19世紀末のヨーロッパ列強による中東進出が始まった頃からの近現代史をみるだけでとりあえずわかると私は思います。むしろそのほうが、この問題を引き起こした責任の所在もはっきりするのです。
そして、今、日本が直面している最大の問題である貧困・格差・雇用不安・地方の崩壊・経済の低迷をもたらした原因を探るのであれば、明治にまで戻るより、とりあえず80年代に始まった中曽根行政改革、そして90年代の政治改革を考えるべきです。
この時代、現在同様、政界中枢で活躍し政局をリードしてきた政治家が他ならぬ小沢一郎。ところが、不思議なことにいわゆる「信者系」小沢支持者はほとんどこの時代に小沢一郎が何をしてきたかに興味がないようです。それだけでなく彼らは国民の苦境の原因は明治以来の官僚支配+小泉・竹中の悪政にありとひどく単純化して考えているようにみえてなりません。
中曽根政権の目指したものは私的諮問機関を多数設けるなど従来の官僚頼みの調整型政治を打破することでした。そして「官から民へ」のかけ声のもと三公社の民営化をはじめとする新自由主義化が進められました。以降、この30年「官僚政治からの脱却」なるスローガンがメディアでいかにもてはやされてきたか、どのように利用されてきたか、その目指す方向がどこかを冷静に考えてみるべきでしょう。


BLOG BLUES様
おっしゃる通り、悪しき体制の象徴とされる『55年体制」時代こそ日本が『一億総中流」を謳歌したときでした。もちろん、自民党長期政権による政財官の癒着だけでなくあの時代にも貧困や重大な社会問題は多々ありました。また、『一億総中流」というものの国による福祉政策は脆弱で企業に支えられていたことなど近年のセーフティーネット崩壊につながる問題を既にはらんでいました。しかし単純に考えて「国民の生活」という点からすれば現在よりはるかにマシだった事は誰の目にも明らかでしょう。自民党自体も現在と比べたらまともな政党でしたが、中選挙区制のもと、社会党共産党などが国会にかなりの議席を占め、新自由主義化・軍拡のストッパーとしての役割を果たしていたことが大きいのです。小選挙区制導入以降、国会は「ブレーキのきかない車」になってしまいました。こんな単純なこともわからず小沢氏を反体制のヒーローと持ち上げている人たちは、それこそ「権力に支配されたマスゴミ」に洗脳されているのではないかと言いたくなります。

2010.09.18 15:26 ぽむ


ぽむさんのこの批判に反論できる「小沢信者」は果たしているだろうか?

*1:たった一点ではあるが、あまりにも価値の大きい一点であり、決してこれを過小評価してはならない。

*2:ぽむさんは、悪名高い小沢信者のpompom20とは全く無関係なので、間違っても両者を混同されないように。