kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「闘魂おろし」と古関裕而、軍歌と反戦歌

巨人と阪神が合併したら | ログ速@2ちゃんねる(net)」という2ちゃんねる出典のサイトに、「球団歌は闘魂おろしになんの?」とあったのに吹いた。

六甲おろし」(もともとの名称は「大阪タイガースの歌」)と巨人の応援歌「闘魂こめて」の作者が同じ古関裕而であることは知っていたが、古関裕而 - Wikipedia で「ドラゴンズの歌」を作曲していたことも知った。さらには、高校野球の「栄冠は君に輝く」や早稲田大学の応援歌「紺碧の空」も作曲している。

だが、この古関裕而、もとはクラシックの作曲家を志していたらしいが、実家の破綻によって食っていけなくなり、早稲田大学の応援歌(1931年)やタイガースの球団歌(1936年)を作曲するようになった。さらに、戦時歌謡を作曲するようになった。Wikipediaでは同情的に記述しているが、「露営の歌」、「彈雨を衝いて」、「婦人愛國の歌」、「斷じて勝つぞ」、「大東亞戰争陸軍の歌」、「シンガポール晴れの入城」、「戰ふ東條首相」、「決戦の大空へ」、「撃ちてし止まん」、「雷撃隊出動の歌」、「嗚呼神風特別攻撃隊」、「特別攻撃隊『斬込隊』」などのタイトルを見ていると、古関はまごうかたなき戦犯であるとしか私には思えない。だが、古関裕而が戦犯として逮捕・起訴されることはなかった。

戦後は一転、1949年に「長崎の鐘」なる歌を作曲している。作詞はサトウハチローだが、古関とサトウは「斷じて勝つぞ」、「雷撃隊出動の歌」でコンビを組み、戦意を煽っていたのだから呆れた話だ。このコンビには、1945年に「アイウエオの歌」なる作品があるが、「アは愛国のア」とでも歌っていたのだろうか。

その後さらに古関は陸上自衛隊隊歌に手を染めた。「この国は」、「君のその手で」、「聞け堂々の足音を」などの作品があるが、「聞け堂々の足音を」は梅津統秋の作詞をサトウハチローが補作している。全くもって呆れた人たちだ。

巨人の応援歌「闘魂こめて」は自衛隊隊歌と同じ頃、1963年に作曲されており、「六甲おろし」より27年もあとの作品とのことだ。これは知らなかった。古関は1970年に「我ぞ覇者」という慶応大学の応援歌も作曲しているが、これも早稲田大学応援歌の実に39年後の作品である。

阪神にも巨人にも中日にも西鉄*1にも、早稲田にも慶応にもいい顔をしたのは、人気作曲家のご愛敬ですまされても、戦争にも平和にもいい顔をしたことはいただけない。古関裕而は1989年にこの世を去ったが、自身の戦争責任をどう総括したのだろうか。

*1:古関は、映画「鉄腕投手 稲尾物語」の音楽も作曲したらしい。