kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

池田香代子氏の「若泉敬」論があまりにひどい

とにかく読み出したら止まらない本だ。


他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス 〈新装版〉

他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス 〈新装版〉


佐藤栄作首相の密使として沖縄への核持ち込みを容認する密約の締結に関わった若泉敬(1930-1996)の著書である。

以前から読まなければならない本だとは思っていたが、628頁にも及ぶ分厚い本で、しかも最近の本には珍しく字が小さい。そのボリュームに恐れをなして読まずにきたが、ついに読もうと思い立った。いざ読み始めると、何章かを読み進むにつれて、早く続きが読みたいという気が起きる本で、ボリュームの割にはスラスラ読める本ではないかと思う。これを書いている現時点で、第17章、527頁まで読んだ。あと100頁ほどだ。

レビューは後日書くかもしれないが、この本は昨年の政権交代直後に軽装版が出版され、それに合わせたかのように昨年末には密約文書が佐藤栄作邸で発見されたと読売新聞がスクープした。さらに、今年6月にはNHKスペシャル若泉敬の特集番組が放送されたらしい。サッカーW杯の裏番組だったとのことで、私はサッカーを見たし、NHKスペシャルの再放送も見逃してしまった。

ネット検索をかけると、何人かの小沢信者が若泉敬を英雄扱いしたブログ記事を書いているのを見かけたが、冗談じゃないと思った。密約に関わった若泉敬は、能動的に動いて密約締結を推進した。若泉への批判も決して欠かせないことを、彼自身の著書を読みながら私は感じている。

おそらく、NHKスペシャルの視聴者が若泉に同情したのは、晩年の若泉が密約について自責の念に駆られ、著書を出版した上、最後には自裁したことを番組が強調したためなのだろうが、それはそれとして、60年代後半、30代の新進気鋭の学者だった頃に密約締結を実現させた若泉自身の行動も批判されなければならないのは当然だ。若泉自身の著作を読んでいると、善悪二元論で「佐藤栄作=悪、若泉敬=善」といわんばかりの小沢信者の番組評は滑稽にさえ思える。

特にひどいと思ったのは、最近私がしばしば批判している池田香代子氏のブログ記事だ。「若泉敬」でググると最初の頁に出てくる記事にしてはあまりにお粗末なので、ここで批判する。

池田香代子ブログ : 無残なり日本外交 NHK「密使若泉敬 沖縄返還の代償」 - ライブドアブログ

まず一読してわかることは、池田氏が『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』を読まずにブログ記事を書いていることだ。そうでなければ、下記のような文章を書くはずがない。

若泉敬は、たったひとりで交渉にあたったのでしょうか。外務省にチームと呼べるようなものはなかったのでしょうか。番組は、そのあたりには言及しません。のちに若泉がその著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』 (1994年)を刊行して、日米交渉と密約の問題を世に問うた時、当時の外務省は「すんだこと」ととりあいませんでした。


続く部分にも呆れた。

沖縄に米軍基地が居座っている現実を「すんだこと」とは。国会に証人喚問されることを覚悟して、と言うか、期待していた若泉の無念がしのばれます。若泉は、沖縄が米軍基地の桎梏から解放され、真の意味で「本土並み」になることをこそ期していたのですから。当時の野党は若泉の暴露をどう受けとめたのでしょうか。番組は、これにも触れていません。


新装版は昨年刊行されたが、初版が出版されたのは1994年5月だ。『ソフィーの世界』邦訳が出版される前年だったというのはどうでも良い情報だが、当時の「野党」は自民党共産党だった。共産党はともかく、自民党が若泉の暴露を無視したのは当然だろう。むしろ、小沢一郎も参画していた連立政権(当時は羽田内閣)が自民党政権時代からの見解を変えなかった方が問題だ。

実際、若泉の告白は、1994年当時国会でも取り上げられたことがあるが、当時の連立政権は密約を認めない立場を貫いた。

さらに、下記のくだりにはぶっ飛んだ。

アメリカは、ベトナム戦争を遂行するために、どうしても沖縄が必要だったのです。基地を縮小したり、その使用に大幅な制限をかける「本土並み返還」など、頭から考えていなかった。そのことを若泉に助言し、ともに交渉戦略を練る外務・防衛官僚はいなかったとすれば、総理大臣と密使という立場の違いを超えて、若泉の孤影は鳩山前首相のそれと重なります。どちらも、日本政府の中で孤立し、沖縄をじゅうりんしてアメリカの意思を貫くために踊らされた道化だった、と言わざるを得ません。


なんと、池田氏若泉敬を「悲劇のヒーロー」視するだけでは飽き足らなかったのか、鳩山由紀夫同情論に結びつけていた! なんたる牽強付会!!

開いた口がふさがらないとはこのことである。