非核三原則や武器輸出三原則の問題に関して、民主党が自民党以上に危険な体質を持っているとしばしば指摘されるが、それはその通りだと思う。
たとえば前者に関しては、実際には佐藤栄作内閣時代に、密使・若泉敬を介して米政府と非常時の核持ち込みに関する密約を結んでいたことが、若泉の著書や日米で見つかった密約文書によって明らかになったが、それでもシラを切り続けるのが自民党的やり方であるとするなら、「いっそのこと2.5原則にしてしまえ」というのが民主党的なやり方である。そして、民主党の中でも特にこうした傾向が強い政治家は、鳩山由紀夫である。
武器輸出三原則にしても、安保懇が今年8月、同原則の見直しを提言する報告書を菅首相に提出したが、安保懇のメンバーは鳩山政権時代に選ばれている。
そもそも、鳩山由紀夫が退陣に追い込まれたのは、普天間基地移設問題で鳩山が公約を破ったからである。そんな鳩山由紀夫を、前記の故若泉敬と重ね合わせて同情する、情緒的なブログ記事を書いた池田香代子氏を、先日批判した*1。
ところで、この若泉敬だが、沖縄返還交渉と同じ頃日米間で大問題となっていた日米繊維交渉にも、佐藤栄作とキッシンジャーの間を取り持つ密使として活動していたのだが、呆れたことに、若泉は著書にも書いている通り、「経済オンチ」を自認する人間だった。
若泉の著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』を読むと、アメリカが「核抜き」沖縄返還を認めてくれるのだから、佐藤首相は日米繊維交渉でアメリカの言う通りにしてやれ、そういう態度をとってくれなければキッシンジャーと話ができない、と言って若泉が佐藤首相に迫る場面が出てくるが、とんでもない話だと私は思った。
若泉自身が著書で明らかにしている通り、アメリカは沖縄から核を撤去しても困らないという結論に、60年代末の時点で既に達していた。しかし、当時の若泉はそれを知らなかった。アメリカは、核抜き(それも緊急時には核持ち込み可能)にする代わりに沖縄基地の自由使用を求めていたのであり、その意図が満たされたことは歴史が示している。結局のところ、毎日新聞の西山太吉元記者が指摘するように、若泉はアメリカの掌の上で踊っていたに過ぎなかった。
結局沖縄交渉でもアメリカのもくろみ通りになった上、日米繊維交渉でも、若泉はキッシンジャーと一緒になって佐藤首相に圧力をかけていたようなものだった。これでは、結果的に若泉はアメリカのエージェントの役割を果たしたようなものではないか。
『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』を書き上げたあと、若泉は日米繊維交渉に関して持っていた膨大な資料をすべて焼却し、闇に葬ったという。そこには、若泉にとって不名誉な事実が多く記されていたに違いないと想像するのはごく自然だろう。
同書の「新装版に寄せて」に、手嶋龍一は下記のように書いている。
それ(=引用者註:日米繊維交渉に関する密約合意)は、沖縄の合意とは異なり、忌むべき合意だったのだろう。だが日米関係の文脈からは、庭で燃やされた資料こそ貴重だった。
もしそれが明らかになったなら、若泉は「悪徳ペンタゴンの手先」呼ばわりされたに違いないと私は想像する。
当時、日本のマスコミも議会も財界も自民党政権の政治家たちも、みな日米繊維交渉において強硬姿勢をとっていた。議会は自民党から共産党まで、超党派でアメリカに一歩も譲らない姿勢の決議を行ったし、マスコミも日経から朝日、産経に至るまでみなこれを支持。旭化成の宮崎輝社長らは、沖縄返還の交渉のために渡米した佐藤首相一行に、沖縄と繊維で取引するなと圧力をかけるために、わざわざ同時期に渡米して佐藤首相らに会おうとした。
実際には日米政府は沖縄と繊維で裏取引していたのだが、佐藤首相が約束を反古にしてニクソンの激怒を買い、日米関係はきわめて険悪になった。それを、1971年の佐藤内閣改造で新通産相に就任した田中角栄が、ほぼアメリカの言い分を認める形で交渉を妥結した。その時田中は、日本の繊維業界の損失を日本国民の税金で補填したのである。これも、今なら「悪徳ペンタゴンの手先」呼ばわりされても仕方ない決断ではあるまいか。なにしろ、田中角栄以前に佐藤内閣の通産相を務めていた大平正芳や宮澤喜一は、アメリカに一歩も妥協しない姿勢をとっていたのだから。
おそらく、田中角栄がアメリカの言いなりになった裏には、若泉敬が絡んでいた裏交渉があったのだろうと私は想像するが、それでも決断を下したのが田中角栄だった事実に変わりはない。
それ以後の政治がどうなったか。その当時、佐藤栄作は福田赳夫を後継者にしたい意向だとされていたが、1972年に佐藤の後継首相になったのは田中角栄だった。そして、田中が首相になれたのは、日米繊維交渉でアメリカの言いなりになったからだという見方もあったらしい*2。
それから約20年後、日米構造協議で小沢一郎はアメリカの言いなりになった。この件に関して、3年前に田原総一朗が述べた言葉を、私は『きまぐれな日々』に記録した*3。以下に引用する。
田原は、今日のサンプロで、「日米構造協議」(1989〜90年)の時、アメリカに譲歩ばかりする小沢一郎に問い質したら、「日本がなくてもアメリカはやっていけるけど、アメリカがなかったら日本はやっていけないだろ」と答えたと言っていた。
「アメリカの言いなりにならなかったのは、田中角栄と小沢一郎だけ」という小沢信者の信仰が、いかに怪しいものかがよくわかるだろう。
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*1:http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20101023/1287821336