kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

東京都痴爺・石原慎太郎のどうしようもない下品さと頭の悪さに唖然呆然

昨日、安倍晋三城内実が、尖閣ビデオを流出させた人間を、「国民栄誉賞もの」(by城内実)などと持ち上げたことを書いたが*1、発言の下品さや頭の悪さにかけては、やはり石原慎太郎に敵う者はいない。


http://sankei.jp.msn.com/politics/local/101112/lcl1011121820003-n1.htm より。

 東京都の石原慎太郎知事は12日の定例会見で、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突をめぐる映像流出事件について「やった(流出した)人間は僕は愛国的だと思う。その人間を売国内閣が罰する資格あるのか」と語った。


何といっても呆れるのは、「売国内閣」などという、安倍晋三城内実でさえそうそう頻繁には使わない言葉が、簡単にポンポン出てくるところだ。さすがは歳をとってから2ちゃんねるにはまっただけのことはある。


しかも石原は、尖閣ビデオの件で流言飛語を撒き散らした犯罪行為も犯している。


山本弘のSF秘密基地BLOG:「谷岡敏行氏殉職事件」の拡散過程【都市伝説】 より。

●10月24日
 石原慎太郎氏がフジテレビ系『新報道2001』で「政府の関係者から聞いた。日本の巡視船の乗組員が何かの弾みに落ちたのを、中国の漁船(の漁師が)モリで突いてるんだって。それは『仄聞ですが』と、数人の人から聞いた」と発言。
「仄聞」(ほのかに聞くこと。うわさに聞くこと)と言っているように、ソース不明の情報である。
 海上保安庁の広報担当者は26日、「そういう事実はない。巡視船の乗組員は海に転落していないし、誰もケガをしていない」とコメント。

http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20101027/plt1010271610003-n1.htm


その後、石原に煽られた人間が続出した。上記リンク先より。

●11月7日
たかじんのそこまで言って委員会』に出演した元自衛官惠隆之介氏が「乗員が海に落ちたらしいという情報ですね。それをモリで突こうとしたという関連も、私は聞いております」と発言。ただし情報の出所については口をつぐむ。

●11月8日
 テレビ朝日ワイド!スクランブル』に出演した佐々淳行氏が「検挙活動の際に、中国船に(海保職員が)3人乗ったところで、離れて、1人突き落としているという、複数の、確実と思われる情報があります。それが一生懸命泳いでいるのをモリで突いた。さらにはね、乗り切っちゃって沈めようとした」と発言。


蛇足だが、この佐々淳行というのは、1930年生まれで、東大在学中から、のちに沖縄密約に関わった故若泉敬の盟友として、保守派の学生運動をしていた男である。若泉敬普天間基地移設問題で現行案に立ち戻る決断を下した鳩山由紀夫と重ね合わせて英雄視した、おめでたい護憲派の文化人がいたが、NHKによると「土曜会」とはこういう会だった*2

1960年、多くの学生や労働者が 「安保反対」 を叫び、デモやストを繰り返した安保闘争の渦中で、安保闘争に異を唱えた人々がいた。そのグループのひとつが、保守系の大学生やOBの結成した 「土曜会」 である。「土曜会」 は、東大、早大、慶大などの学生によって1950年に創設された勉強会。メンバーには、沖縄返還交渉に密使として関わった国際政治学者・若泉敬もいた。
彼らは安保条約を詳細に検討し、「安保賛成」 のビラを街頭で配り、日米関係の重要性と改定の意義を訴えた。しかし、土曜会のメンバーにとって60年の安保改定は、ひとつの通過点に過ぎず、最終目標は、敗戦国日本の独立、「自主体制」 の確立だった。次なる正念場は、新安保の見直し期限とされた10年後の1970年となるはずだった。


佐々淳行も、この「土曜会」のメンバーだった。そんな佐々は、前回の東京都知事選で「反省しろよ慎太郎、だけどやっぱり慎太郎」というフレーズを作り、やはり護憲派を気取っていたタレントの藤原紀香らを抱き込むなど、大々的に石原の3選に協力した男でもあるが、来月には80歳を迎えるという今になっても、石原の撒き散らしたデマを拡散するとは、なんという恥知らずなじじいだろうか。なんとかはなんとかしなきゃ治らないという、城内実の大好きな言葉*3を思い出した。


やはり、石原軍団の下品さや頭の悪さには、安倍晋三城内実程度では到底歯が立ちそうにない。やつらはだてに長生きはしていないと呆れ返った次第である。