kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

読み終えた本『限界集落』

日曜日(12日)に読み終えた本。


限界集落

限界集落


今年(第64回)の毎日出版文化章受賞作。著者は兵庫県出身の元山陽放送(岡山)記者で、現阪南大学教授。舞台は第1章から第4章までが岡山県北西部の中山間地域平成の大合併により新見市編入)、第5章が「産廃の島」として知られる香川県の豊島。中山間地域のみならず、瀬戸内の離島も限界集落化している。

著者と同じ関西(大阪)の出身でも、下記のような戯言をほざく「経済学者」がいたよなあ*1、と思い出した。

経済が沈滞した地域に住み続けたいという住民がいるなら、それは所得以外の要素(例えば郷土愛)で低所得を埋め合わせるだけにたる効用(満足)を得ていると理解すべきです。だから、経済が沈滞して低所得に直面しつつも移住しない住民(物理的に移住できない人を除く)に対しては、長期的に見れば、経済的に特別な措置を講じる必要はないのです。


堺屋太一は下記のように言っているのだが*2

80年以降、人口、経済、文化の各面で、国全体に対する首都圏の比重が高まっているのは、主要国では日本だけである。北米でも欧州でも、中国やインドでも、首都圏の比重は低下して地方都市が発展している。そのなかで、日本だけは逆、極端な東京一極集中が進んでいるのは官僚たちの東京一極集中促進政策の結果である。


限界集落』の主要な舞台である岡山県北の中山間地域には行ったことがないが、その近くの新見市千屋には9年前の2001年12月に行ったことがある。「千屋牛」で有名なところ。本には千屋の「蔓牛」復活に賭ける牛飼いの話も出てくる(第2章)。

当時既に新見は土建業が「地場産業」と化している感があった。そのさらに奥の集落がさびれる一方であろうことは想像に難くない。日本で最も早い時期から過疎が問題になったのは、中国地方の中山間地域だったそうだ。同じ2001年の春に訪れた徳島県祖谷渓でも、林業が衰退して、人々は主に土建業で生計を立てていると聞いた。

その4年後、あの忌まわしい「小泉郵政総選挙」の数日前、台風によって四国山地に猛烈な集中豪雨があり、一夜にして早明浦ダム貯水率が0%から100%になったことがあったが、あれで剣山山系では土石流が続出し、山道も大荒れになったのだった。

いろんなことを思い出しながら読んだ。