kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「イタリア人陰謀論」に取り憑かれていたモーツァルトの父親


 上記リンク先の本を読み始めた。2004年に山本七平賞を受賞していたり、巻末に稲田朋美の後援会長として悪名高い渡部昇一の解説がついているので、警戒しながら読み始めたが、結構面白い。今まで読んだところでは政治思想に関係する話は出てきていない。

 中でも、最初の章「音楽はイタリア人」で、モーツァルトの父・レオポルトを戯画化した文章にウケた。

 現在広く日本で受け入れられているドイツ至上主義のクラシック音楽史観とは違って、18世紀後半の音楽の世界はイタリアが支配しており、ドイツ人音楽家は自国内でも見下されていたというのである。

 大作曲家、ヴォルフガング・アマデウスモーツァルトの父レオポルトは、後述するが、もとは大変なインテリでありながら、楽士にまで身を落とした人物だった。そのレオポルトは、息子ヴォルフガングが音楽の天才であることに気づくと、幼い息子を売り出そうと奮闘したのだが、子供時代には神童としてもてはやされた息子モーツァルトも、成長するにつれて「なんだドイツ人音楽家か」と見下されるようになった。当時、ドイツでは「ドイツ語は音楽に向かない」とされていたのである。事実、モーツァルトのオペラもその大部分がイタリア語で書かれており、ドイツ語で書かれた最晩年のオペラ「魔笛」にしても、登場人物の名前はタミーノだのパミーナだのパパゲーノだののイタリア名である。

 いくら息子を宮廷で雇ってもらおうとしても、その度に「イタリア人の壁」に跳ね返された父レオポルトは、ある時、大作曲家ハイドンの弟、ミヒャエル・ハイドンにこう愚痴ったそうだ。

私がいやだったのは、ハイドン君、そんなことじゃない。みんな策謀、陰謀なんだ。陰謀にやられたということなんだ。だが、もっとひどいのは、そのイタリア人の陰謀にドイツ人が加担しているということだ。あのウィーンのおえら方、グルックとかハッセ(ともにイタリア・オペラを書くドイツ人音楽家)とかいった連中までがヴォルフガングを潰そうとする。音楽はアフリージョのような奴らに握られている。こんな国に何を望める? アフリージョは泥棒だ。あいつは息子の作曲に対して一グルデンも払わなかった。その男が私にこう言うんだ。「お前は息子を売って商売にしている」とな。


(石井宏『反音楽史―さらば、ベートーヴェン』(新潮文庫、2010年)34頁)


 これに対して、ミヒャエル・ハイドンが冷静に「アフリージョの言うとおりだ」と答えたために、2人は口喧嘩になったという。

 これは、9時間にも及ぶというフェリシアン・マルソーとマルセル・ブリュヴァルの映画「モーツァルト」(1982年)に出てくるシーンらしいから、実話かどうかはわからないが、レオポルト・モーツァルトが「イタリア人陰謀論」に取り憑かれていたことは事実らしい。

 この本によると、商業都市アウクスブルクの製本職人の家の長男に生まれたレオポルトは大変なインテリで、奨学生として中学(ギムナジウム)に進学し、ラテン語の読み書きまでできた上、何万人、いや何十万人に一人というようなエリートとしてザルツブルクの大学に留学したのだという。それが、在学中に「ひとりだけの反乱」を起こしたとして退学になり、放浪生活をしたあげく、身分の低い職業だった楽士になったのだそうだ*1

 なるほど、そういう栄光と挫折を経験した人間だからこそ、「イタリア人陰謀論」に深くはまり込んでしまったのだなと妙に納得した次第である。頭の良い人間ほど、ひとたび挫折を経験すると、深く深く陰謀論にとらわれてしまうものなのだろうか。イタリアとドイツの宮廷と宮廷お抱えのドイツ人音楽家が「悪徳トライアングル」を形成しているのだ、とレオポルト・モーツァルトは思っていたのかもしれない。ザルツブルクの大学を退学になった反乱も、レオポルトの脳内では「冤罪」ということになっているのかもな、とふと思った。

 その後、ベートーヴェンや彼に続くドイツ・ロマン派の音楽家たちによって、クラシック音楽の世界は本当にドイツ人が覇権を握ることになったのだが、200年後の世界はどうなっているだろうか。「悪徳ペンタゴン」理論が正史になっていることが果たしてあり得るだろうか。

*1:前掲書43〜44頁