2006年7月に買ったものの、封も切っていなかったCDを今頃になってようやく聴いてみた。その頃からブログ書きにばかりかまけていて、音楽をあまり聴かなくなっていたことを最近反省している。
- アーティスト: アンサンブル・タケミツ,中田章,コンヴァース,武満徹,コスマ
- 出版社/メーカー: キングレコード
- 発売日: 2006/02/22
- メディア: CD
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最初の2曲が、よく知られた歌をギターのために武満徹が編曲したもので、そのあと一転して武満の「現代音楽」の曲が続く。CDは2枚組で、2枚目の最後を、武満が弦楽四重奏のために編曲した「枯葉」で閉じるという趣向になっている。
最初の「早春賦」が始まった時、あれ、これって「知床旅情」と同じメロディーかと思ってしまった。
だが、確かに違う曲だ。
ところで、ネットで調べてみると、「早春賦」(と「知床旅情」)がモーツァルトが最晩年に作曲した「春への憧れ」に似ているという記事がいくつも見つかった。
この歌は、中学1年の音楽の教科書に出ていたから昔から知っているが、メロディーだけで「早春賦」にどこまで似ているかというと微妙だろう。だが、ともに春を歌った歌ということで、類似が特に指摘されるのだと思う。
ちなみに、「春への憧れ」のメロディーは、モーツァルト最後のピアノ協奏曲の最後の楽章にも似ている。同じ作曲家の同じ時期の曲だから、これは意図的だろう。
だが、このピアノ協奏曲と「早春賦」が似ているとまではさすがにいえないと思う。そんなことを言い出したら、分散和音で「ドーミソード」と駆け上がって始まる3拍子系の曲は全部似た者同士になってしまう。もちろん、「早春賦」がモーツァルトの「春への憧れ」を引用したともいえないと私は思う。
だが、「知床旅情」と「早春賦」の類似は微妙だ。森繁久彌が意識的に引用したとまでは言わないが、森繁が「早春賦」を知らなかったということはまず考えられない。とはいえ、それでも「盗作」の範疇には入らないだろう。「ドミソド」のほかにも、「ソドレミ」の上昇音型で始まる音楽などは非常に数が多く、いちいち挙げていったらきりがない。ただ、「早春賦」と「春への憧れ」の例が挙げられるのは、前述の通り、題名の類似が大きな要因になっているのだろう。
ところで、今回知ったのが「早春賦」の作曲者・中田章が、中田喜直の父であること。中田喜直の「雪の降るまちを」が、ショパンの幻想曲によく似たメロディーを持っていることはよく知られている。中田喜直はショパンに心酔していたそうだから、知らなかったということはあり得ないと思うが、作曲者は特にコメントなどはしていないそうだ。
「春への憧れ」の話に戻ると、うろ覚えだが、中学の音楽の教科書に1箇所メロディーの改変があったような記憶がある。原曲で「ファード♯レミファ」となっている部分が、確か「ファーミレミファ」になっていたはずだ。これは、おそらく「ド♯」が中学生には歌いにくかろうと、教科書の編集者が勝手に改変したものだろう。山田耕筰と同じようなこと*1を考える人間は、いつの時代にもいるものだと思う。
冒頭の武満徹の話に戻るが、CDのライナーノーツによると、武満徹は演奏家にとても厳しい作曲家で、自分の曲がどのように演奏されるということに対して、常に厳しい基準を持っていたので、武満の生前には、武満作品は気軽においそれと演奏できるものではなかったそうだ。
そこで、武満徹が生前、山田耕筰をどう思っていたか、ちょっとネットで検索してみたが、よくわからなかった。その代わり、こんなブログ記事が引っかかった。
武満徹/2つのレント@福間洸太朗(ナクソス:8.570261J)
2006年7月の録音.
僕は生憎,武満徹(1930−1996)の良い聴き手ではこれまでなかったし,これからもそうだろうと思う.僕がこの「武満徹/ピアノ曲集」を購入しようと思い立ったのは,まずは「音楽以前」と山根銀二(1906−1982)が酷評した「2つのレント」(1950年)が収められているから,というくらいで.
山根銀二は戦前戦後を通じて活躍した音楽評論家で,確か長らく朝日新聞に音楽批評欄をもらって健筆を振るっていた人物.何となく,晩年の批評を呼んだ記憶があるのは気のせいか? 何しろ,戦時中は山田耕筰と組んで国策に協力していたのに,戦後は一転して山田耕筰批判の急先鋒になるという,変わり身の早さに象徴される一種の「目利き」が,長らく山根を業界の第一線で活躍させた主因だったのだろう.
またしても山根銀二が検索網にかかってしまった。山田耕筰と山根銀二の2人は、いつもつまらないところで音楽関係のネット検索に引っかかって不愉快な気分にさせられる。