「週刊ポスト」が元十両力士・四季の花が八百長を告白する手記を掲載し、大相撲八百長キャンペーンを始めたのは1980年のことだった。私はこの記事を立ち読みしたのを覚えている。
当時台頭してきた力士が千代の富士だったが、1981年初場所、14戦全勝の千代の富士を1敗の北の湖が千秋楽の本割りで破り、同点決勝で千代の富士が勝って初優勝と横綱昇進を決めた。事前に「もっとも盛り上がるパターン」と言われていたものだったので、「千代の富士は八百長力士なのではないか」と思ったものだった。実際、その後「週刊ポスト」は千代の富士を八百長力士として叩くことになる。
思い出深いのは、学生時代に企業で実習をしていた頃の話だ。その企業では朝礼があって、従業員が輪番で何か一言話すことになっていた。内容は仕事に関することでもそうでなくても、何でも良かった。ある日の朝礼で従業員が、今日の大相撲で予定されている横綱千代の富士と大関朝潮の一番は朝潮が勝つと予言した。理由はというと、先場所千代の富士が朝潮に勝ったが、あれは先場所優勝した千代の富士が朝潮に星を借りたものだから、千代の富士が優勝争いに絡んでいない今場所は千代の富士が星を返すのだという。
前の場所で千代の富士が朝潮に勝った一番は、私もテレビで見ていたが、朝潮が派手に投げ飛ばされて、勝った千代の富士が苦笑いしていた。「週刊ポスト」はこの一番について、千代の富士が苦笑いしたのは、朝潮の負け方がわざとらし過ぎる、もっとうまく演技しろという意味だろう、などと書いていた。
帰宅した時間には相撲は既に終わっていたが、従業員の予言通り朝潮が千代の富士に勝っていた。
この件は、ずっと以前にも一度当ブログに書いたことがあるような気もするが、タイムリーな話題なので改めて取り上げた。
もちろん、この一番やその前の場所での千代の富士と朝潮の取組が八百長だったかどうかはわからない。のち、「週刊ポスト」は、千代の富士を悪玉、若貴兄弟など藤島部屋(当時)の力士を善玉とする善悪二元論で記事を書くようになったが、私はそれも信用していなかった。実際、のちに元横綱貴乃花が、実兄の元大関若乃花が八百長をやっていると公言したことがあったし、かくいう貴乃花自身がどこまでクリーンだったかについても私は疑問を持っていた。
要するに、私は一貫して大相撲を疑いの目を持って見ていたのである。だから、今回八百長の動かぬ証拠が出てきてもいっこうに驚かない。今朝の朝日新聞一面で、報知新聞から朝日新聞に転じて大記者様に出世した編集委員の西村欣也が、「スポーツとは認めぬ」という見出しのもと、
国技といわれてきた大相撲は果たしてスポーツとして成立していたのだろうか。今回の八百長疑惑は日本相撲協会に根源的な問題を突きつけている。
と署名記事で書いたところで、今頃書くなよ、30年遅いぞと思うだけだ。
「週刊ポスト」の八百長告発は週刊誌のヨタ記事として片付けられ、世間には認知されなかった。それがいまや大相撲の「正史」になろうとしている。30年前、朝日新聞をはじめとする大マスコミが、もっと真面目に大相撲八百長問題を追及すべきだった。だが彼らはそうしなかった。大新聞社の幹部が横綱審議会の理事長を代々務めるなど、中継権を独占するNHKともども相撲協会とべったり癒着してきた。
朝日の西村編集委員の記事は正論だが、これを一面に載せるのであれば、朝日新聞は大相撲の記事をスポーツ面から追放し、今後社会面か芸能面に載せるべきだろう。そして「徹底的な解明がはかられるまで、ファンは大相撲をスポーツとして認めない」と書いた朝日新聞自身が、過去に遡って大相撲の八百長を検証しなければなるまい。
1988年、千代の富士が53連勝を達成した頃が、「週刊ポスト」の八百長告発キャンペーンの全盛期だった。53番のうちガチンコ(真剣勝負)が何番、星を買ったのが何番などと書いていた。そして、千代の富士の連勝を止めたのは、当時「週刊ポスト」が「八百長をやらない変人力士」だとしていた元横綱大乃国だった。最低でも、53連勝当時の千代の富士の取組に八百長があったか否かくらいは検証する責任が、当時なすべき報道をなさなかった朝日新聞にはあるだろう。
それにしても、31年の月日はあまりにも長い。時代が変わるまでには、かくも長い月日が必要なのかとため息が出る。