谷沢永一(たにざわ・えいいち)の訃報に接した。私が谷沢の名を知ったのは、朝日新聞が「ソ連は脅威か」と題した一面記事を連載した直後の1981年1月に、「週刊朝日」の最終ページのコラムを、朝日新聞編集委員の百目鬼恭三郎(どうめき・きょうざぶろう)と交互に執筆を始めた時だった。「おきゃがれ」「あほかいな」という副題がついていたが、百目鬼は東京出身、谷沢は大阪出身だった。
谷沢も百目鬼も右派の論客だったが、当時の朝日新聞は、本紙で旧来左派路線、「朝日ジャーナル」で新左翼路線、「週刊朝日」で右派路線をとっていた。コラム開始早々、百目鬼が朝日新聞本体の上記連載記事「ソ連は脅威か」に噛みついていたと記憶する。
百目鬼が世を去ったのはずいぶん前だった。私は百目鬼は全く買わなかったが、谷沢には買えるところがあった。その一つが、「つくる会」の「新しい歴史教科書」を批判したことだった。当時谷沢は、筋の通らない味方は筋の通った敵よりたちが悪いと言っていたと記憶する。この表現が谷沢の書いた通りだったかどうかはわからないが、そういう意味だった。これを知って以来、私はこのフレーズを愛用している。もっとも、谷沢の主張にはずいぶん粗雑なものが多かったとも思う。
元共産党員の左翼だったそうで、そういえばナベツネと共通点があるかもしれない。私は、安倍晋三に代表されるような、根っからの腐りきった極右は大嫌いだが、ナベツネや谷沢永一には、どこか惹かれるものを感じていた。合掌。