kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

陳腐な「自己責任厨の保守オヤジ」小沢一郎がなぜここまで神格化されるのか

とある掲示板より。
http://www3.rocketbbs.com/731/bbs.cgi?id=liberal7&mode=res&no=16233

Re: 前原、岡田もひどいけど、小沢一郎はもっとひどい (No.16232 への返信) - 浮葉

> > 一理ありますなあ。
> > そうであればわれわれも、政策とは無縁な呪詛やインボー論をいつまでもいつまでも聞かされなくてすんだわけで。

> > あーあ。
>
> 小沢総理は想像するだけで面白い。 アメリカ、マスコミ、官僚と
> 拒絶反応が強いだけに彼にやらせてみたい気持ちもある。
> 強い指導者を求める空気がある・・慎太郎待望論もその一つ。
> 小沢が総理になったら有能な大臣を上手く料理するかもしれない。
> 官僚は強い指導者には従う。 意外と官僚を手玉に取るかもね。
> 比較論は嫌いだが、前原、岡田とは器が違う。


その通りです!!

小沢一郎は他の政治家とは比べようがない、別格の存在です。

言わば「救世主」とでも言うべき存在です。

小沢バッシングに明け暮れている阿呆どもは何にも分かっちゃいない。

真実、真理を直視できない腐った己の眼を恥じない。

小沢一郎支持者は全国に数百万人いる。コアのぶれない市民である。

この国をゆるやかな社会民主主義へと大転換する為の突破口を開ける指導者は小沢一郎だけである。

国民の生活が第一」とは、その理念の御旗である。


[No.16233] 2011/03/09(Wed) 11:10:00


青字ボールドの部分は私が書いた。それが、小沢信者の手にかかれば赤字ボールドみたいな主張になってしまう。

小沢一郎を「救世主」などと崇拝するのは勝手だが、社会民主主義だって?

社民主義者がこんなこと言って、それをいつまでも自身の公式サイトに残しておくかあ?

http://www.ozawa-ichiro.jp/massmedia/contents/fuji/2005/fuji20050419134025.html

ニート激増、85万人」「漠然と他人に寄生して生きるなどとんでもない」
「甘やかせた親が最も悪い」「家から追い出して自活させよ」


内閣府が先日、ニートが全国で約85万人に達するとの推計を発表した。10年前に比べて約18万人も増えたといい、約85万人の中で将来の就職を希望していない者は約42万人にのぼった。これは大問題だ。

定職に就かず、短期のアルバイトなどを繰り返すフリーターの増加も以前から問題視されているが、ニートは就職する意思すらなく、職探しも進学も職業訓練もしていない15歳から34歳までの若年層無業者のこと。

本人たちは「誰の迷惑にもなっていない」と言うかもしれないが、親の稼ぎで食わしてもらっているうえ、国民全体で支える公共的サービスは享受している。病気でもない働き盛りの若者が、漠然と他人に寄生して生きているなど、とんでもない。

自分の力で生きようとしない彼ら自身も問題だが、最も責任が重いのは厳しいシツケもせずに、ただ甘やかせている親たち。どうかしている。親自身が自立していないから、子供がまともに育たないのである。

僕は自宅で小鳥を飼っているが、親鳥はヒナが大きくなるまでは一生懸命に世話をするが、一定の時期がくると冷たいほど突き放して巣立ちさせる。ニートの親は動物にも劣るといっても過言ではない。

政府は「少子高齢化の進む人口減少社会で、経済の活力を一段と失わせかねない」として、今後、ニートの就職支援に本腰を入れるというが、果たしてそんな次元の話なのか。

僕に言わせれば対策は簡単だ。一定の猶予を与えて、親が子供を家から追い出せばいい。無理矢理でも自分の力で人生を生きさせるのだ。追い詰められれば、彼らも必死に考えて行動するはずだ。

それでも働きたくないというなら、勝手にすればいい。

その代わり、親の世話には一切ならず、他人に迷惑(犯罪も含む)もかけず、公共的サービスも受けないことだ。無人島でも行って自給自足の生活でもすればいい。

こうした現象を見ていると、日本社会の崩壊、歪みを感じざるを得ない。いつからか、米国よりも日本の方がはるかにモラルが低下している。いつ爆発するか分からないが、日本社会は極限に達しつつあるのではないか。


これは、「夕刊フジ」2005年3月25日付に掲載された小沢一郎の「剛腕コラム」第226回だが、私は、新自由主義者という以前の、自己責任厨の保守オヤジが田舎の居酒屋で大酒をかっくらいながら管(くだ)*1を巻いているような、という形容しか思いつかない陳腐な言葉に、ただただ呆れるばかりだ。小沢一郎は、しゃべらせても魅力がないが、書く文章にも魅力が全くない。ま、自分で書いたのではなく、適当にしゃべった言葉を夕刊フジの記者が文章にしたものかもしれないけれど。

このコラムが、きまぐれな日々 小沢一郎はトンデモ、菅直人は規制緩和屋。救いのない民主党 のコメント欄で議論になっているのだが、こんな陳腐なことしか言えない政治家がどうして「救世主」だの「ゆるやかな社会民主主義」を実現させる政治家だのになるんだろうか。

そもそも、「ゆるやかな社会民主主義」っていったい何だ? 過激な新自由主義者の集団である「減税日本」(=「強者への逆再分配日本」)にすり寄る小沢一郎社民主義とはかけ離れた人間であることを、小沢信者もうすうす感じているのではないか? それをごまかすために「ゆるやかな」などという言葉を持ち出してるんじゃないか?

いずれにせよ、「ゆるやかな」という言葉を含むキャッチフレーズはろくなものではないというのが私の経験則だ。

ともあれ、陳腐な「自己責任厨の保守オヤジ」小沢一郎がなぜここまで神格化されるのか、私にはさっぱり理解できない。

*1:「菅」(かん、すが)に非ず。