kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

東日本大震災で崩れ去った日本の原発の「安全神話」

東北地方太平洋沖地震の揺れは、私も東京で体験したが、地震震源宮城県沖と知って、東北の被害はいかばかりかと思った。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々にはお見舞い申し上げる。月並みな言葉だが、これ以上は何も言えない。

この地震で、福島原発が炉心を冷やす緊急炉心冷却システム(ECCS)のトラブルを起こし、日本初の原子力緊急事態宣言の発令に至った。12日付朝日新聞3面に掲載されている環境・エネルギー問題を専門とする竹内敬二編集委員の記事は、asahi.comには出ていないようなので、以下に一部を引用して紹介する。

 原子力史上初の非常事態宣言。周辺住民の避難指示に至った事態は、原発が持つ潜在的な危険の大きさを改めて思い起こさせた。「原発はきちんと設計されているから大丈夫」という説明は崩れ、「地震国・日本はどう原発と共存するのか」という、根本的な問題を突きつけている。

 緊急炉心冷却システム(ECCS)は「事故から守る多重防護装置」の中で要だ。それが働かなかった。

 地震の際、原発が止まるだけでは事故を防げない。核燃料が当分の間、熱を発するため、炉心に水を十分に注入して冷やす必要がある。失敗すると、燃料が高温で溶け、炉心の爆発、大事故に向かってしまう。

 炉心の水が減って大事故一歩手前までいったのが、1979年の米国スリーマイル原発事故だった。今回はこれと似た事態になった。

 「ECCSが作動しないことがあるのか」は、原発の開発初期から安全論争の中心だった。それが日本のような先進国の複数の原発で、いとも簡単に起きてしまった。


(2011年3月12日付朝日新聞3面 竹内敬二「地震国と原発 どう共存するのか」より)


スリーマイルが大平政権時代の1979年、チェルノブイリが中曽根政権時代の1986年。しかし、原発を中心に据えた日本のエネルギー政策が見直されることはなかった。上記引用のあとに続く部分で竹内記者が書くように、日本における「自然エネルギーの普及は遅い」。よく「政官業の癒着構造」が言われるが、原発はその最たるものであって、だから電力会社も電機会社も、電力総連も電機労連も、自民党民主党もみんな「原発利権」を必死で守ろうとする。「地球温暖化論」も、政官業によって「原発推進の口実」にねじ曲げられる始末だ*1。それが今回のような事態を招いてしまった。

竹内記者の記事から、末尾の部分を再度引用する。

 今、原子力政策を決める原子力大綱の改正が議論中だが、従来の方針を踏襲するだけになりそうだ。

 今回、多数の原発が止まった。再開には時間がかかる。原発頼りがかえってエネルギー供給リスクを生んでいることも認識すべきだ。

 謙虚になって地震の脅威を考える必要がある。地震国日本でどこまで原発を増やすのか、原発の安全は確保できるのかという「振り出しに戻る議論」が必要だろう。そうしないと、地震のすさまじい被害の上に放射能事故の恐怖に直面した多くの国民が納得しない。


(2011年3月12日付朝日新聞3面 竹内敬二「地震国と原発 どう共存するのか」より)

*1:だからと言って、「地球温暖化論は原発推進勢力のでっち上げだ」という一部小沢信者たちが大好きな陰謀論が正しいことにはならない。彼らに対する反論としては、「地球温暖化論」の支持者で反原発のスタンスをとる飯田哲也氏の存在とその主張を挙げておけば十分だろう。陰謀論者とは、結果をもとに原因を勝手に捏造する人たちのことをいう。